世界が認めた長寿の里・大宜味で、かけがえのないつながりを紡ぎ出す。

宮城 健隆

Kenryu Miyagi

国頭郡大宜味村 [沖縄県]

宮城 健隆(みやぎ・けんりゅう)
宮城県出身。都内の鉄鋼会社で定年まで勤めたのち、一族のアイデンティティがある沖縄県・大宜味村に移住。地域協議会を立ち上げ、2010年にはNPO法人おおぎみまるごとツーリズム協会を設立する。教育民泊事業を軸に、大宜味の自然と文化を体験できる機会をつくりだしている。

2021年に世界自然遺産に登録された沖縄本島北部。自然豊かなこのエリアの中に大宜味村がある。実は、この地域は世界保健機関(WHO)も認めた世界屈指の「長寿の里」。リラックスした生活環境や地産地消をベースにした食生活などもさることながら、「生きがい」が、長寿の鍵を握るとも言われている。
そんな村民の「生きがい」の一端を担っているのが、修学旅行などで都市圏の子どもたちを受け入れる教育民泊だ。今回は、延べ15000人以上を受け入れてきた大宜味の教育民泊事業をリードするNPO法人おおぎみまるごとツーリズム協会・理事長の宮城 健隆さんに話を聞いた。

母亡き後、由緒ある一族のアイデンティティが
根づく大宜味で生きていくと決めた。

「私が生まれ育ったのは、東北地方。でも、私のルーツは沖縄・大宜味にあるんです。」

宮城さんの一家は、日本に牡蠣養殖を広め、「世界の牡蠣王」と言われる宮城新昌氏を輩出した由緒ある家系。一族の血は、大宜味で受け継がれていった。そんな中、今や日本屈指の牡蠣の産地となっている宮城県で牡蠣養殖事業を展開している際に宮城さんは生まれる。

宮城さん自身、東北の地で生活する中でも、一族のアイデンティティが残る大宜味とはつながりを持ち続けていた。

「私が小さい頃は、まだアメリカから沖縄が返還されていなかったとき。パスポートが必要だった時代から毎年のようにずっと大宜味には通っていましたね。大宜味には、海があって、山があって、川がある。自然が豊かな地域で、『日本にもこんな南国の風情があるんだ』と思っていましたね。」

その後、進学を機に上京。そのまま都内の鉄鋼会社に勤めることに。「営業として、技術者として、さまざまな仕事をたくさん経験した」と話す宮城さんは、その会社で定年まで勤め上げた。

「リタイヤ後は妻とゆっくり趣味のゴルフでも楽しもうと思っていた」という宮城さんでしたが、ひとつの転機が訪れる。

「母が103歳で天寿を全うしたんです。大宜味は『長寿の里』と呼ばれますが、その通りでしたね。ただ、そのとき兄弟はみんな大宜味からは離れてしまっていました。宮城家の大宜味とのつながりが途絶えてしまうという危機感の中で、一族のアイデンティティをどう守るのか。家族会議を開き、『自分が沖縄で生きていく』と伝えたんです。」

そして、2004年、奥さんとともに東京から大宜味へと移住。宮城家の記憶が残る、この地での暮らしを始める。その中で、改めて地域のポテンシャルを実感していった。

「移住してから1、2年くらいは沖縄中を巡っていました。そのときに、大宜味がある本島北部の自然の豊かさをしみじみ実感していったんですよね。ただ、当時はまだ観光客を受け入れる環境を整備している途上。もっとこの資源を活かして、大宜味に訪れる人が増えたらいいなという想いはありましたね。」

一族の誇りを受け継ぐ者として、
大宜味に力を尽くす。

大宜味で暮らす中で地域の価値を実感していた宮城さん。ふとしたきっかけから、まちづくりの舞台に上がる。

「大学の後輩が大宜味にいて『地域の意見交換会に参加しませんか?』って言うんです。その場に行くと、みんな何とかしたいという強い想いはあるけれど、実際に行動に移せない。その理由を聞くと、みんな地域で生まれ育っていて、地縁が強すぎるあまりリスクを取りにくいと言うんです。そんなとき、地域への想いはありつつも地域外から移住してきた私に白羽の矢が立ち、『宮城さん、一緒にやってほしい』と頼まれて。『それならば、一肌脱ごう』と思ったんです。」

本来ならば、定年退職をして、都会から自然豊かな大宜味に移住し、悠々自適なセカンドライフを送ってもいいはず。何が宮城さんを駆り立てたのか。そこには、やはり由緒ある一族としての誇りがありました。

「宮城家が築いた実績や誇り。それを受け継ぐからには、一族にとって大切な場所がある大宜味で一旗あげてやろうという想いがありました。もともと、目標が生まれると突き進むタイプだったので、やるならとことんやろうと決めたんです。」

そして、宮城さんが中心となって地域協議会を立ち上げ、2010年には「おおぎみまるごとツーリズム協会」としてNPO法人を設立することに。以降、地域文化に根ざした教育民泊を中心に事業を展開し、参加者は延べ15000人以上にのぼっています。

長寿の里・大宜味で
「生きがい」を生み出す教育民泊。

宮城さんが生きていくと決めた地・大宜味。そこはどんな地域なのだろうか。

「大宜味には、4つのキーワードがあります。1つめが『長寿の里』。ここは世界五大長寿地域“ブルーゾーン”に選ばれるほど長寿の地域なんです。2つめが、『芭蕉布の里』。これはバショウ科の多年草イトバショウから採った繊維を使った、伝統工芸の織物で国の重要無形文化財にも指定されています。3つめが、『シークヮーサーの里』。シークヮーサーの産地・沖縄の中でも、大宜味は随一の生産量を誇ります。そして、最後が『ぶながやの里』。“ぶながや”というのは、キジムナーとも呼ばれる森の精のこと。大宜味は、自然豊かで平和なところにしか住み着かない“ぶながや”がいる数少ない地域なんです。」

4つのキーワードの中でも特に注目なのは「長寿の里」。大宜味は、全国平均の28%を大きく上回る37.1%の高齢化率で(※)、村民のおよそ7人に1人が80歳以上だと言われている。1996年には世界保健機関(WHO)より「世界一の長寿地域」として認定された。

なぜ、みな長寿でいられるのか。宮城さんには、ひとつの仮説があるという。

「ストレスのない環境や地産地消の豊かな食生活もあると思うけれど、きっと『生きがい』も長生きする上では欠かせないと思うんです。」

そして、宮城さんが展開する教育民泊は、まさに「生きがい」を生み出す取り組みでもある。

「あるとき隣村で実施されていた教育民泊のプログラムに参加させてもらったときに衝撃を受けたんですよ。自分たちの暮らしをおすそ分けするような感覚で観光客を受け入れるから無理しなくていい。参加者が訪れることで受け入れ側には、日常に刺激が生まれる。しかも、大宜味の価値をいろんな人に知ってもらえる。なんていい仕組みなんだと驚きましたね。すぐに取り入れようと思いました。」

その後、宮城さん自身も受け入れ側になりながら教育民泊事業をスタート。観光のために、取り繕った姿ではなく、あくまで大宜味の日常を感じてもらう。そんな想いでサービスを磨き上げていく。

現在では、都市圏を中心とした小中学校から年間数百人が訪れるように。受け入れ先として登録されている民家や農家も40軒ほどに達した。その過程で、地域の人々が訪れる人たちとの交流を通じて元気になっていくさまを宮城さんは目の当たりにしてきたという。

「登録いただいている方はリタイアされた高齢者の方がほとんど。『子どもも巣立って日常に張り合いがなくなった』という人も少なくないんですが、教育民泊で都市圏から子どもたちが訪れるとみんな元気になってね。『宮城さん、こないだ来てくれた子どもたちからパワーもらったよ』なんて言ってくれる人もたくさんいます。」

(※)2020年現在。参考:https://jmap.jp/cities/detail/city/47302

訪れる人、受け入れる人、
それぞれがパワーを与え・もらいながら。

2023年では60校近くの教育民泊を受け入れる予定だという宮城さん。この取り組みの価値を改めて語る。

「大宜味に訪れる子どもたちは、みんな最初は緊張しているんですよ。でも、大宜味の人たちがみんな自分たちの子どものように接する中で、だんだん心を開いていく。そして村を離れるときには、『おじおば、ありがとう』と言いながら涙を流したりしていて。そんな出会いが生まれるのって、とっても尊いことだと思うんですよね。訪れる人も、受け入れる人も、お互いがパワーを与えて・もらっている。それが教育民泊の価値だと思うんです。」

取り組みを始めて10年以上。訪れる子どもたちとの間には強いつながりが生まれている。

「この教育民泊は、一度訪れただけでは終わりません。子どもたちにとって大宜味が第2のふるさとになればいい。そんな想いで取り組んでいます。実際に、夏休みにまた遊びに来たり、社会人になってまた訪れたりする子もたくさんいるんですよ。私たちも送り出すときは『さようなら』ではなく『また、おいでよ』と言うし、再会したときには『おかえり』と言う。子どもたちにとって“もうひとつの居場所”を、ここに用意しておきたいと思うんです。」

最後に、宮城さんが未来に繋いでいきたいものを聞いた。

「2021年に大宜味を含めた沖縄本島北部が世界自然遺産に登録されました。海・山・川……そんな豊かな自然環境と共生しながら暮らしてきたのが大宜味という地域です。たしかに都会に比べると、刺激は少ないかもしれません。でも、大宜味にしかない文化や風景が確実にある。たった2,3日の滞在かもしれないけれど、その価値や魅力を、丸ごと感じられる時間を、これからもつくっていきたいと思います。」