十津川村から世界に繋ぐ、自然に囲まれた豊かな暮らし

角田華子

Hanako Kakuta

十津川村 [奈良県]

角田華子(かくた・はなこ)
宮城県仙台市出身。大学進学で横浜に移り、卒業後はIT関連の会社員、女性不妊の研究者などを経て、外国人観光客を対象にしたツアー会社に勤める。その際、長期滞在先となった奈良県吉野郡十津川村に惹かれ移住。現在は、コーヒーを淹れるタクシードライバー兼ガイドとして外国人観光客に十津川村の魅力を伝えている。

大自然が織りなす数々の絶景を堪能できる秘境、十津川村。そこで外国人観光客にツアーを提供するガイドとして暮すのが角田華子さんだ。豊かな暮らしを営みつつ、生きる術を身につけている十津川村の「人」に惚れ込み、現在、観光地案内や体験ツアーを通して、村の人たちのストーリーやマインドを伝えようとしている。角田さんが感じる十津川村の魅力とは、そしてこの村で思い描く未来とは。話を伺った。

肩書は、コーヒーを淹れるタクシードライバー兼ガイド

奈良県の最南端に位置する十津川村は日本一の広さを誇り、約2,800人が55の集落に暮らす。いくつもの山々に囲まれたこの村には、長さ297m、高さ54mにも及ぶ「谷瀬の吊り橋」や、​​世界遺産に登録された高野山から熊野三山を結ぶ道「熊野参詣道 小辺路」、また、果無山脈や村を一望できる「玉置山展望台」など、雄大な自然や歴史を堪能できるスポットが点在し、四季折々で美しい表情を見せてくれる。

「村の人に、お気に入りの季節は?と聞くと、たいてい春と夏だと言うんです。私が十津川村に初めて滞在したのは秋から春にかけての半年間だけ。だったら春も夏も過ごしてみたいと思って期間を延長し、1年通して住むことに決めたんです。でも気づけば5年が過ぎていました」

そう話すのは、2019年から十津川村に暮らす角田華子さんだ。外国人へ日本の地方を案内するガイドとして派遣されたのを機に、この村の自然や文化、なにより「人」に惚れ込み移住を決意した人物である。角田さんの現在の肩書は、「コーヒーを淹れるタクシードライバー兼ガイド」。数ヶ月前にオープンしたばかりのカフェは、角田さんに続いて移住したカナダ人の夫、タレクさんと共に営んでいる。

角田さんが初めてこの村を訪れたのは、鎌倉にあるインバウンド関連のツアー会社に勤めていた頃だ。

「勤め始めた頃は、日本に訪れた外国人と、各地を案内したい日本人とをマッチングするサービスのプラットフォーム運営を担当していました。ただ、ガイド経験がない私が担当していることが腑に落ちず、自分もガイドをやるようになったんです。それがいつの間にか、会社の中でも一番のベテランになっていました」

そんなとき、奈良県の観光財団によって、十津川村でインバウンドを呼び込むプロジェクトが計画される。その運営を会社が担うことになり、ガイドとしての経験が豊富だった角田さんが現地に派遣されることになったのだ。

「いつか外国人にも、日本の地方を案内したいと思っていましたので、私にとってはまたとない機会でした」

幼い頃から自然に育まれた多様性

角田さんの現在の活動には、幼い頃の経験が大きく影響している。

生まれ育ったのは宮城県の仙台市。2人の姉の後を追って入園したのは、市内でも有名な英語教育に熱心な幼稚園だった。そのおかげでネイティブイングリッシュが身につき、外国人を身近な存在として認識したという。さらに、高校生の頃にアメリカに留学。世界各国から集まった、文化も宗教感も全く異なる友人たちと出会い、将来は国を跨ぎ多くの人と関わる仕事に就きたいと思ったそうだ。

「オムツを着けている頃から外国人の先生方に抱っこされていたようで、自然と私の中に多様性が育まれたんだと思います。そのせいか、留学先で出会った友人たちの様々な価値観を、素直におもしろいと感じたんです」

高校卒業後は横浜の大学に進学、さらに就職でIT関連の企業をいくつか経験する中で、角田さんは再びアメリカの地を訪れることになる。そこで出会ったのがバイオテクノロジー。興味を惹かれ、帰国後は仕事を辞めて大学の博士課程に再入学し、研究に没頭する。

「かなり長い期間携わっていましたね。ただ、一人で研究を進めていると気が滅入ることも多くなってしまって。そんなときに誘われたのが、外国人を対象にしたツアー会社だったんです。それまでも、日本を訪れた外国人旅行客と交流するコミュニティに入っていましたので、研究に区切りを付けて、思い切って方向転換したんです」

そして、縁あって十津川村へ。滞在が始まって数ヶ月後には、期間を延長しようと決めていたものの、コロナ禍によりプロジェクト自体が中断。会社からは十津川村から引き上げることも打診されたが、角田さんにこの村を離れるという選択肢はなかった。そこで役場の人にすすめられた「地域おこし協力隊」の一員として十津川村に暮らすことを選んだ。

十津川村の人が持つ、生きる術と豊かな暮らし

十津川村の何が角田さんをそれほど魅了したのだろうか。

「この村の人たちは、大自然の中で生きる術を持ってると感じたんです。野菜も作れば、鶏を育て卵も自給し、さらに鹿や猪を獲って調理もできる。しかも以前、大きな水害があったときには、行政の助けを待つことなく土砂で覆われた道路を村の人自らショベルカーで復旧させ、まずは自分たちでその状況を切り抜けようと行動したそうなんです。皆んなが協力しあって、生きるために知恵や技術をフル活用する。私はその生き様に惚れぼれしたんです」

山々に囲まれたこの地域で、それまでの自分なら想像さえしなかったことを、当然のこととしてやってのける十津川村の人たちに接し、角田さんは確信したことがあったという。「この土地には、生き続けたいと思わせる理由があるはず」。その理由を追求するためにも、居続けたいと思ったそうだ。

「とにかく、ここに来たときに最初に驚いたのは人と人との距離が近いことだったんです。横浜のアパートに住んでいた頃は、名前を知っていたのは隣の人だけ。生活と仕事はありましたが、そこに『暮らし』はなかった気がするんです。でも十津川村では人々が本当に豊かな暮らしを営んでいると感じました」

都会での一人暮らしは、自ら地域に関わろうとしない限りずっと独りだ。だが、十津川村ではそうはいかない。住んでいる限り、地域の一員としての役割があり、それを果たすのが当たり前とされる。

「私にはそれが心地良かったんです。寝泊まりするだけではなく、人と関わりながら暮らしているという実感を持てたんです。だからこそ、十津川村の人たちをリスペクトし、自然や文化に対する接し方も倣おうと思いました」

一方、十津川村の人も角田さんを喜んで受け入れた。道ですれ違う度、笑顔で挨拶する角田さんに「よう来たね。若い人が頑張ってくれるね」と話しかけたという。

村の人たちが紡いだストーリーを、育んだマインドを伝えたい

さて、今ではすっかり村の一員になった角田さんの肩書は、冒頭でも触れたように「コーヒーを淹れるタクシードライバー兼ガイド」だ。夫タレクさんと、観光客の交流拠点でもあるカフェを営みながら、タクシードライバーとしてもガイドとしても活動している。

まず2021年より役場と地元のタクシー会社が連携し運行が始まった村営タクシー。現在、観光客のみならず、村に暮らす人たちの移動手段としても利用されている。日本一広いこの村では自家用車がない限り、買い物や通院などには一日数本のバスを利用するしかなかったが、村営タクシーが運行したことで日常の移動が劇的に楽になったという。そこに角田さんもドライバーとして関わっている。ガイドという立場だけでは出会えなかった人たちとも接するようになり、顔馴染みも増えたそうだ。
そしてツアーガイド。側から見れば、外国人と受け入れ側の村の人たちとの関係はうまくいっているのかと懸念するが、どうなのだろうか。

「そこに難しさは感じてません。まずは村の人たちの寛容さ。それから私が人と人を繋ぐのが得意ということもあると思います。観光客が興味を持っていることと、村の人が得意としていることを繋いで体験ツアーも行っています。例えば、お弁当作り体験。村のおばあちゃんたちと一緒に、伝統食である『めはり寿司』や、採れたての野菜を使ったおかずを調理する過程では、ここの自然や文化についての会話も弾みます。私はガイドとして通訳をしながら、観光客と地元の人のブリッジ役に徹しています」

角田さんが最も大切にしていることは、村の人たちのマインドを伝えること。観光地を巡る際にも、その場所に対する村の人の想いや関わりなどを丁寧に辿りながら案内することを心がけている。角田さんが暮らす集落にある「谷瀬の吊り橋」を案内するときには、かつて生活改善を目的に造られた橋が観光客誘致のために利用されるようになった経緯、さらにそこから集落全体にも興味を持ってほしいという思いで展望台へ続く散歩道が整備された様子なども、村の人たちの「ストーリー」として観光客に伝えている。

「何十年、何百年と大切に守られてきた場所や文化を、ここに暮らす人たちの想いとともに伝えることに意味があると思っているんです。昔の話だけ、今の話だけではなく、昔と今を織り交ぜることで、村の人のマインドが感じられると思っています」

「見たい日本がここにあった」。角田さんに案内された外国人は、そう口にするという。東京や京都だけではなく、日本の原風景に触れることができる田舎に足を踏み入れ自然や歴史を感じ、そこに暮らす人たちと出会いストーリーを耳にすることで、「また来たい」、「次回はもっと長く滞在しゆっくりと過ごしたい」と語るそうだ。

今後、角田さんが思い描いているのは、十津川村を世界各国の人たちが集う拠点にすること。そして、ここで多様性を育んだ人たちがさらに世界へと羽ばたいていくことだという。

「いつかそれが、十津川村のPR、奈良県のPRにも繋がっていけばと願っています。この村は現在、人口の46%が65歳以上の高齢者。移住者を増やしたいのであれば、私は日本人にこだわらなくても良いと思うんです。ただ、そのためには、外国人でも働ける場が必要。まずはモデルとして、私と夫が暮らしていける生計を立てることからですね。それが実現すれば、進学などで村を離れた若い世代の人たちが村へ戻るきっかけにもなるかもしれません。都会に出なくても、自分が情熱を注げることを仕事にできるんだと、私たちが体現することがスタートだと思っています」

やりたいことは、まだまだある。タレクさんの故郷であるカナダとの二拠点生活を送りながら、そこから観光客を十津川村へ誘致することも考えている。まずは、自分たちが十津川村の一員として、楽しく暮らしを追求することが大事だと考えている。

未来へ繋いでいきたいものは何か?

最後に、角田さんが未来に繋ぎたいものを聞いてみた。

“子どもたちの声が聞こえる村にすること。そこに外国人も過ごすことで、観光を通した村内国際交流を実現したい”

「子どもたちの声が聞こえない場所って寂しいと感じるんです。子どもたちが元気に遊ぶ姿を見て、村のおじいちゃんやおばあちゃんがニコニコ笑っている環境が理想です。子どもがいるということは、若い人たちが暮らす村だということ。文化も歴史も、やはり次の世代がいてこそ繋がっていくものだと思います。さらにそこに外国人が加われば、村内国際交流も実現できる。奈良の山奥にある十津川村で、世代も国籍も関係なく、ずっと受け継がれてきた暮らしを営んでいく。私がやろうとしていることは、その実現への一歩なのかもしれません」

角田さんに話を伺っていると「ボーダレス」という言葉がずっと頭に浮かんでいた。人種も国籍も世代も超えて、全てと関わりを持ちお互いを繋げていくことで、思いもよらなかった化学反応が起きる。それを誰よりも驚き、興味を持ち、楽しんでいるのが角田さんなのだ。十津川村の人に惚れ、移り住んだ角田さんに、私自身が惚れてしまったようだ。