打ち鳴らした響きは、“鼓動”に共鳴する。祖父から受け継いだ御諏訪太鼓を次の世代へ。

山本 麻琴

Makoto Yamamoto

茅野市 [長野県]

山本 麻琴(やまもと・まこと)
1981年長野県岡谷市で御諏訪太鼓の家元に生まれる。宗家である祖父と奏者である両親のもと、2歳より太鼓を始める。現在は御諏訪太鼓の演奏・指導・制作を行い、御諏訪太鼓の普及に励む。

長野県諏訪地域に伝わる御諏訪太鼓。農民による奉納の手段であり、戦で民衆を鼓舞し勝利へと導くものでもあったその文化は、一度は途絶えかけたものの、宗家・小口大八の手で再興され、現在は国内にとどまらず海外でも高く評価されている。
小口大八を祖父に持ち、自身も奏者兼指導者としてその文化を伝承するのは山本麻琴さん。山本さん曰く、「太鼓を打つことは、命や生に直結する営み」なのだという。御諏訪太鼓の文化を受け継ぎ、次の世代へと継承し続ける山本さんに話を伺った。

太鼓と共にあった子供時代、
離れても欠かさず続けた奉納。

「母のお腹の中にいるときから太鼓の音は聞いていたし、実際に習い始めたのは2歳から。私の人生には最初から当たり前のように太鼓がありました」

そう話す山本麻琴さん。御諏訪太鼓の宗家である小口大八を祖父に持ち、父親も奏者兼指導者。そんな由緒ある家元に生まれた。ただ、幼い頃は、御諏訪太鼓に正面から向き合えない時期を過ごしていたという。

「平日はもちろん、土曜日も日曜日も太鼓の指導や演奏がある。家の中にはいつも太鼓がありました。でも、小学校高学年くらいになると、太鼓を中心に生活することが当たり前ではないことに気づいていくんです。そうすると、周りの友達のことが羨ましくなってきて。将来が決められているのがだんだん嫌になり、『将来はサラリーマンでもなんでもいいから、親と違うことがしたい』と思っていました。」

そして、地元・岡谷の高校を卒業後、選んだ道は彫金。東京の専門学校で2年間学び、その後は松本のアクセサリーショップで勤務する。しかし、そんな中でも太鼓から完全に離れることはなかった。

「諏訪では、年に2回、1月と8月に奉納があります。父が『奉納だけは絶対に欠かしてはいけない』と言っていたため、3歳の8月に初めて奉納したときから、専門学校に通っていたときも、松本で働いていたときも、年に2回だけは必ず太鼓を打つ生活を送っていましたね。」

そんな山本さんに、突如、御諏訪太鼓との向き合い方が変わる転機が訪れる。指導者でもあった父親が病気で他界してしまったのだ。

「父は、御諏訪太鼓の伝承に強い想いを持っていました。その分、私に継承者になってほしいという期待もかなり大きかった。その反発心もあって、私自身『サラリーマンになりたい』という夢を持っていたように思います。でも、そんな父のプレッシャーがなくなった。ある意味“自由の身”になってみて、フラットな目線で自分の将来を考えるようになったんです」

そのまま彫金の道で生きるのか、御諏訪太鼓を引き継ぐのか。山本さんは、自分自身の内面に向き合いながらひとつの試みをはじめる。

「年に2回の奉納の場に限られてはいたけれど、太鼓がいつも頭の片隅にあったのは事実。これまでは、『やらなければならない』という気持ちで打っていた太鼓に、まずは『自分がやるんだ』という気持ちを持って向き合ってみようと思ったんです。期限は1年。その間、本気で取り組むことで、太鼓を生業にするのか否か、答えを出そうと決めました」

そこからは、演奏や指導など、太鼓のことを中心に活動するように。決意してから数ヶ月後には、祖父と母を呼び、祖父・娘・孫の三代公演を自主企画。見事、成功させた。

「演者の人選、曲のアレンジ、ほかの楽器との協奏……自分の表現したいことを、舞台上で祖父に伝えることができました」

しかし、その矢先、次は祖父が突然交通事故で他界してしまう。

「太鼓に向き合いはじめてから一年が経つ前のことでした。でも、その頃にはもう太鼓から離れるという選択肢はなくなっていましたね。ただ、継承者として一層御諏訪太鼓を背負う立場にはなったことを自覚しながらも、『私は祖父の代わりにはなれない』という想いがあったのも事実。だからこそ、私が教わってきたこと、体得してきたものを、私なりに演奏や指導を通して伝え続けていく決意をしました。」

その後は多方面において御諏訪太鼓の継承に取り組んだ。多くの弟子を育てながら、映画やドラマにも出演。海外公演も積極的に展開する。「御諏訪太鼓を継承するべきかどうか」……その岐路に立ってから15年以上。今や山本さんは御諏訪太鼓の最前線に立って活動を続けている。

どこで演奏する時でも、
諏訪の神様への奉納の気持ちは変わらない。

山本さんが継承することを決めた御諏訪太鼓。それは、どのような文化なのだろうか。

「諏訪の農民が、雨乞いや虫追い、豊作祈願や豊作への感謝などを、諏訪大社の神様に向けて太鼓の音で伝えたのが、御諏訪太鼓の起源と言われています。戦国時代になると、合戦場の先頭で農民が太鼓を打ち鳴らし、味方の兵を鼓舞したり、音によって陣形を変更したりしました。神楽であり、鼓舞楽であり、軍楽である……そんな御諏訪太鼓の背景は、必ず伝えていくべきだと思っています。」

また、御諏訪太鼓の特徴の一つが、真っ直ぐ腕を上げたり、バチ先を見たりする振りが入っていること。この振りにも、諏訪の神様への思いが込められているという。

「手を真っすぐ上げることは天の太鼓を打ち鳴らす意味があります。太鼓を教える時の口伝で、『テンツクチーツクテテンガタイヘイ』というのがあるのですが、『テンツク』が天の太鼓を打つ、『チーツク』が地の太鼓を打つということ、つまり、天の太鼓、地の太鼓を打って、天下が太平になっていく、平和に暮らしていけるという意味なんです。」

日本国内にとどまらず、海外からも演奏に呼ばれるという山本さん。諏訪大社への奉納という御諏訪太鼓の原点を大切に、どこで演奏する時でも、諏訪大社に奉納している時の気持ちは変わらずに演奏しているそうだ。

もうひとつ、御諏訪太鼓ならではの特徴がある。それが、オーケストラスタイルの組太鼓であること。

「多種多様な太鼓を複数人で打つこのスタイルは、今でこそ全国各地で見られますが、実はオリジナルは御諏訪太鼓なんです。

終戦後、満州から帰ってきた祖父・小口大八が、生きる気力を無くした人々を見て、元気づけるためにバンドを始めました。祖父はドラムを担当していて、バンドも結構有名になったそうです。そんな折、ドラムをやっているなら和太鼓もできるのではないかと言って親戚が持ってきたのが、諏訪地域に伝わっていた太鼓の譜面。地域で途絶えてしまっていたものを復活させることにおもしろさを感じた祖父は、好奇心から御諏訪太鼓の復元作業を始めたそうなんです。」

ただ、復元作業は決して簡単ではなかった。古来の譜面は丸と点しか書かれておらず、読み解くためには、お師匠さんからの口伝が不可欠だった。

「小口大八は、諏訪だけでなく長野県内にまで範囲を広げ、御諏訪太鼓を知る人を探し回ったそうです。しかも、やっと宮司さんを見つけてもリズムやテンポ感がどうしてもわからない。そこで、祖父が培ってきたジャズやタンゴの感覚を取り入れながら復元をしていったといいます。

また、当時、演者が持っていた太鼓の種類はバラバラ。でも、そんな不揃いの太鼓だからこそいろいろな音が生まれます。その個性を活かすことで太鼓だけでひとつの音楽を表現していこうと考えました。それが、御諏訪太鼓ならではの『オーケストラスタイルの組太鼓』として昇華されたんです」

“郷土料理”のように、みんなが気軽に触れられるものへ

山本さんの祖父が諏訪の人々に声をかけて始めた太鼓祭は、2023年で開催54回目。しかし、コロナ禍の影響もあって御諏訪太鼓の打ち手の数は減っており、現在は15名程になっている。山本さんに、御諏訪太鼓の継承への思いを聞いた。

「御諏訪太鼓への門は常に開かれているのですが、残念ながら地域の人でも、太鼓を打ったことがない、見たことがないという人もいる。“郷土料理”みたいに、好きになるかどうかは別としても、みんな子供のうちから一度は太鼓を打ったことがある、となるように、太鼓を聴ける機会、打てる機会を増やしていきたいです。」

敷居が高くなるほど希少になり、文化が途絶えてしまうかもしれない。特別に太鼓に興味がない人たちでもじっくり聴けるような演奏の機会を設けることが、太鼓の価値を高めることに繋がるのではないか。そう考える山本さんは、湖畔や博物館など非日常的なシチュエーションでも演奏を行っている。

最後に、山本さんが太鼓の持つ魅力を教えてくれた。

「私たちは一人ひとり、生まれた時から自分だけの“太鼓”を持っています。つまり、心臓のこと。“鼓動”と言われるように、生きている間ずっとその“太鼓”は鳴っていますよね。気分が高まれば早くなり、眠くなればゆっくりになる。だから、太鼓の音を聞くと、自分の“太鼓”=心臓と共鳴するんです。」

現在は、「聴く」だけでなく、実際に「打つ」機会も手掛けている山本さん曰く、太鼓を打つことは、「命」や「生」に直結する営みなのだという。

「赤ちゃんはある程度動けるようになったら机を叩くようになり、何か持てるようになったら振って叩いて音を出す。さらに、原始時代には太鼓は愛の信号であり、食事の時間や敵の襲来などを、太鼓を打つことで伝えていました。太鼓を打つという行為は本能であり、それを遠くまで届けるということは人間が昔からやってきたことなんです。バチさえ握れれば誰でも太鼓を打てる。どんな人でもスッキリするので、ぜひ打ってみてほしいですね。特に白樺湖は山が近いので、太鼓を打つとこだまが返してくれる最高のシチュエーションです。『自分も人間なんだなあ、動物なんだなあ』と、原点に返れると思います。」