
木地屋の手仕事に、未来の入口をつくる——「無垢の美」と輪島のこれから
四十沢 宏治
Koji Aizawa
輪島市 [石川県]
四十沢 宏治(あいざわ・こうじ)
石川県輪島市の木工房「四十沢木材工芸」2代目。戦後間もない1947年に創業した同工房は、輪島塗の土台となる木地づくりを担ってきた。大学卒業後、電気メーカーに就職し、2年目に家業へ。木地の高精度な加工と丁寧な磨き仕上げを軸に、無垢材の魅力を活かしたオリジナル商品の製作販売を開始。2019年には大治将典氏をブランディングディレクターに迎え本格的にブランド展開。2023年に工房併設の「Factory’s Gallery」を開設し、人を呼び込む拠点づくりにも取り組む。
輪島塗は、多くの職人が分業で支える工芸だ。その最初の要となるのが、器の原型をつくる「木地」。
戦後すぐに創業し、輪島の木地づくりを支えてきた四十沢木材工芸は、いま“塗る前の仕事”にとどまらず、木そのものの美しさを伝えるプロダクトや、震災後の輪島と人をつなぐ小さな「雫」を生み出している。2代目・四十沢宏治さんに、創業の背景から「無垢の美」、そして輪島のこれからまで、じっくり話を聞いた。
木地屋として輪島を支えてきた、四十沢木材工芸の歩み

「僕は2代目になります」。四十沢さんはそう切り出し、家業と自分の距離感を丁寧に語ってくれた。
長男で、男兄弟は自分ひとり。幼い頃から工房で遊び、木に触れ、職人たちが工場で宴会をする場にも混ざっていた。家業は“特別なもの”というより、日常の延長線上にあった。
大学を出て、四十沢さんはいったん電気メーカーへ就職する。選んだ理由は「物を作っている会社」だったから。ものづくりへの関心は、自然と体に残っていた。
転機は、就職の時期に父へ「どういうつもりなのか」と聞いたことだった。返ってきたのは、「2、3年くらい、何してきてもいいよ」という言葉。
その時、父が「継いでほしい」と思っていることを、初めて確かめられたという。そして会社員2年目、「そろそろ帰ってこい」と呼び戻される。
「僕もそういうつもりでいましたし、小さい頃から仕事を手伝ったり木にも触ってきたので、作ることは好きだった」。そうして、家業へ戻る道を選んだ。
四十沢木材工芸が創業したのは1947年、戦後間もない頃。先代は若くして木工の世界に入りながら、長く勤めることなく辞め、独立した。
「人に使われることに抵抗があったのか、自分で仕事を始めた」。その出発点は、輪島の木工技術「指物(さしもの)」だったという。
さらに先代は、輪島の中でも早い段階で「モーター付きの機械」を導入した。手仕事が当たり前だった時代に機械を入れたことで、ほかの木地屋が「うちのも削ってくれ」と持ち込むほどだったという。
四十沢さんはそれを「先進性」と呼ぶ。合理化や新しい道具の導入は、いまの工房にも通じる気質として受け継がれている。

そうした木地屋としての歩みの中で、四十沢さんが次に向き合ったのが、「木そのものの美しさ」だった。
印象的だったのは、「塗らない製品を作っている」という一般的なイメージを、四十沢さん自身が丁寧にほどいてくれた場面だ。
輪島塗は分業で成り立ち、塗りを重ね、加飾を施し、最後に完成へ向かう。その中で木地は“基盤”でありながら、輪島塗の製造販売側に取り込まれず、独立した工程として存在してきた。
四十沢木材工芸もその一員として、「塗る前までの仕事」を長く続けてきた。
一方で四十沢さんは、20年ほど前から別の問いを抱くようになった。
「木肌のままで十分美しい」。しかし輪島塗になると、木肌は完全に見えなくなる。そこに疑問があり、「美しい木肌を、もっと皆さんにも知ってもらいたい」と考えた。
最初に試したのは、産地ならではの「拭き漆」。けれど仕上がりは茶色っぽくなり、木目は美しくても「生活の中で使うには、和風っぽくて違う」と感じたという。
転機は10数年前。妻が木地に「くるみオイルなどの天然オイル」を塗ってみた。
「これ、可愛いじゃないか」。その感覚が、いまの方向性を決めた。七尾のお店が扱ってくれ、そこから少しずつ広がっていく。使い手の暮らしの変化と、作り手の“自分が使いたいと思うもの”が重なった瞬間だった。
輪島という土地と向き合いながら生まれた「無垢の美」

四十沢さんが掲げる言葉が「無垢の美」。
木が好きで、木に触れてきた時間が長いからこそ、無垢材の魅力を「存分に引き出したラインナップ」にしたいという。
木の塊を削り出すものもあれば、材料を貼り合わせてボリューム感を出すものもある。そこに共通するのは、「素材の量感=背景にある木の価値」まで感じてもらいたいという思いだ。
たとえば直径30cmの盆を作るには、相当太い木が必要になる。つまり、形の美しさだけでなく、材料そのものが持つ時間の厚みも背負っている。
素材選びも明確だ。オリジナルブランドに使うのは、硬く、木目が美しく、使用に耐える広葉樹。
同時に、広葉樹は人工的に“育てて使う”仕組みがまだ整っていないという現実も語る。だからこそ「山にある財産を奪っている側面もある。無駄にしたくない」。その意識が、材料を活かし切る発想につながっている。
そうした素材への向き合い方は、木だけでなく、輪島という土地そのものへの眼差しとも重なっていった。
震災後、輪島には多くの復興業者やボランティアが入った。彼らが時折、工房を訪ねてくれる。そこで聞いたのが、「輪島で何か買って帰りたいのに、買えるものがない」という声だった。
「金沢で買って帰る」。その事実が、四十沢さんには「残念で、悔しい」ことだった。輪島での縁を形にして持ち帰れるものを——。
そうして生まれたのが「輪島の雫」。

デザイナーの大治将典さんが雫形の製品を考案し、さらに周囲のデザイン関係者がパッケージや同封物づくりを助け、完成度を高めたという。
特徴は、製品と一緒に入っている“小さなしおり”。
四十沢さんの「行ってほしい店」「おすすめの工房」「場所や自然」などがおみくじのように書き込まれている。買った人が「いつか訪ねてみよう」と思い、また輪島へ戻る。そのきっかけになってほしいという。
物が人をつなぎ、記憶を共有する——雫には、そんな願いが込められている。
実際、輪島を離れた人がこの雫を見つけて購入し、そこから連絡が復活したこともあった。四十沢さんは「製品の力だ」と言い、静かに手応えを語った。
技術は道具、価値は姿勢——人と場を育てるものづくり

四十沢木材工芸の仕上がりを支えるのは、機械加工と手仕事の組み合わせだ。
ただ、四十沢さんの言葉は“技術自慢”ではなく、価値観の説明に近い。
「機械といっても、道具のひとつ。いかに使いこなすか」。注文内容によって、機械のほうが効率が上がる場合もあれば、逆に落ちる場合もある。輪島は「多品種少量」の注文が多く、その都度、最適な工程を組む必要があるという。
そして、もっとも重視しているのが「磨き」。
「形はどの人もできる。でも最後の磨きは、その人の完成イメージによる」。丁寧さが出るかどうかは価値観の問題であり、工房としては仕上がりに“口うるさく”伝えている。
無垢の美を成立させるのは、まさにこの最終工程なのだ。
子ども用食器「ara!」の発想にも木に対する思い入れがある。
幼い時期は握力が弱く、耳(持ち手)があると使いやすい。しかし成長すると、その耳がかえって邪魔になり、使われなくなる。思い出の品が“役目を終えてしまう”のはもったいない。
そこで、耳をあとから削り落として、長く使える形に変える。
「焼き物やプラスチックではできない。木だからできる」。素材の特性を、寿命の延長へ転換したプロダクトだ。
こうしたものづくりの姿勢は、工房の外へも少しずつ広がっている。

2023年に工房併設で開いた「Factory’s Gallery」。ショップに加え、多目的スペース(サロン)も設けた。
本来はワークショップやイベントを重ね、人を呼び込む拠点にしていく構想だった。しかしオープンの約2カ月後に震災が起こり、ワークショップはまだ開催できていないという。
それでも、イベントは続けている。お茶会、クラフトビールと食の催し、香りをブレンドして“自分の香り”を作る企画。輪島に生まれつつある新しい店や人の動きとも連動し、工房が“地域の場”になっていく兆しが見える。
さらに最近は、「輪島に人をどう呼ぶか」という観点から、観光の分野にも一歩踏み出す。
デザインを学ぶ人たちが集まる「LIVE DESIGN SCHOOL」と組み、輪島を舞台にしたツアーのテストも実施した。観光で終わらせず、毎日の振り返りや提案、最終日のアクション発表まで含む濃いプログラムだったという。
「次にどうつなぐか。ツアーにするのか、宿を作るのか」。異分野の人と組む必要もある。輪島の未来に向けて、議論は続いている。
震災後、職人たちは一時的に輪島を離れた。LINEグループを作り、仕事のタイミングで戻ってきてもらうなどして、多くは戻ったものの、時間の経過とともに辞める人も出てきた。
職人不足は続き、教える時間が十分にないまま退職が起こることもある。四十沢さんは「仕事がないと覚えられない。仕事の中で覚えていく」と現実を直視する。
自身の後継者は、10年以上探しているが、まだ見つかっていない。身内に限らず広く考えているからこそ、簡単には決められない。
一方で、デザイナーの学校との出会いなどを通じて「広がりが出てきている」。その広がりの中から、新しい人との出会いを願っている。
未来へ繋いでいきたいものは何か?

「見て落ち着く。触って気持ちがいい。安らぐ。香りもある」。
ストレスの溜まりやすい時代だからこそ、生活に取り入れることで、気持ちがほどけ、食事が楽しくなり、暮らしが豊かになる。
四十沢木材工芸が未来へ繋いでいきたいのは、木地屋として培ってきた技術だけではなく、木に触れ、使い続けることで生まれる心地よさと、その価値を実感できる暮らしそのものだ。
無垢の木の美しさを、生活の中で感じてもらうこと。そして、器をきっかけに人と人、輪島と人がつながっていくこと。
その積み重ねこそが、次の世代へ手渡したい未来のかたちだと、四十沢さんは考えている。