300年以上続く広島牡蠣の歴史を背負いながら。次世代に伝えたい想いがある。

島田 俊介

Shunsuke Shimada

廿日市市 [広島県]

島田 俊介(しまだ・しゅんすけ)
創業300年以上の伝統を誇る広島牡蠣生産の老舗・島田水産株式会社の会長。17歳で家業に入り、以後40年以上にわたり、牡蠣養殖に向き合ってきた。また、「かき小屋」や水揚げ体験など観光事業にも取り組み、広島牡蠣の魅力を伝え続けている。

日本屈指の牡蠣生産地・広島。濃厚で味わい深い広島牡蠣は、全国各地で愛されている。その歴史は長く、300年以上前江戸時代初期から牡蠣養殖が広がっていったという。
そんな伝統を受け継いでいるのが、島田水産株式会社会長・島田俊介さんだ。世界遺産・宮島のほど近くで牡蠣養殖を営みながら、観光客向けに牡蠣の水揚げ体験のコンテンツを提供したり、生産現場で生産者から直接牡蠣を食べることができる「かき小屋」を運営したりと、幅広い活動を行っている。
この広島の地で、島田さんが繋いできた牡蠣文化とは一体どんなものだったのか。話を聞いた。

牡蠣養殖は、自然を理解しようとしなければできない仕事。

「物心ついた頃から、目の前に海が広がっていて親父が牡蠣を獲っていた。そんな光景を見ながら育ったんです。」

そう話す島田さん。1688年に創業した牡蠣養殖の老舗・島田水産の会長だ。「もう歴史が長すぎて、何代目かなんてわからない(笑)」と話すほど大きな歴史を背負っている。

「若いときはやんちゃしていたのであまり勉強はせず(笑)、17歳で家業に入りました。ずっと働く親父の背中を見ていたので、牡蠣養殖の仕事に就くのは自然な流れだったんです。当時は手取り足取り教えてもらえるような時代ではなかったから、親父の仕事を見たり、同業者に相談したりしながら、牡蠣養殖を学んでいきましたね。」

「比較的、すぐに仕事には慣れていった」という島田さん。とはいえ、牡蠣養殖は一筋縄ではいかないことばかりだ。「牡蠣養殖は自然が相手。餌や海の状況によって生育状況は変わっていきます。去年よかったから今年もいいとは限らない。自然へ近づき、理解しようとしなければできない仕事だと思います。」

牡蠣養殖の奥深さを知りながら、仕事を身につけていった島田さん。家業に入って約20年後、新たな試みにもチャレンジする。それが、ブランド牡蠣『安芸の一粒』の開発だ。

「広島の牡蠣は生産量が多く、全国各地にも流通してスーパーなどでよく目にする一方でプレミア感に欠ける。そんな課題を感じていました。従来のように『量』じゃなくて『味』で広島の牡蠣を打ち出したい……そんな想いから『安芸の一粒』を開発したんです。」

仲間の生産者とともに何回も失敗を重ねながら、約5年かけて品種開発に成功。種の採取から育成まで生産者自身で行っている。

甘みが強く、フレッシュな後味に「こんな牡蠣初めて食べた」「牡蠣が苦手だったけれど、これだったら食べられる」という声が届くほど、人気商品となった。

300年以上の伝統を背中に感じながら、新たなチャレンジを。

日本国内で、もっとも牡蠣が生産される広島県※。

波が少なく穏やかな瀬戸内海の海は、餌が流れにくく牡蠣養殖に都合がいいのだという。濃厚な味わいもひとつの特徴だ。

そんな広島牡蠣の歴史は、300年以上前に遡る。

「もともと広島市の草津浦で牡蠣を養殖するようになり、大阪まで船に乗せて売りに行ったのがはじまり。そこから、川辺に船を停めて船内で牡蠣料理を食べる『かき船』と呼ばれるスタイルが生まれたんです。」

その後、「かき船」は各地に広がり、広島牡蠣は天下に知られることとなった。しかし、しばらくして状況は変わる。

「戦後に大阪の河川敷工事で『かき船』は撤去されてしまったんです。その後、『かき船』の数は減少し、大正時代には島田家が経営する1軒になってしまった。その唯一の『かき船』も、平成13年まで続きましたが、当時運営を担っていた伯父の体調不良の影響もあって、300年以上の歴史に幕を閉じることになったんです。」

▲「かき小屋」の中には「かき船」の歴史が書かれた旗が掲出されている

伯父からは『いつか復活させてほしい』と、歴史が刻まれた『かき船』の看板を託されたという島田さん。その後、かたちは違えど、「生産者自身から直接牡蠣を味わえる場」をつくった。それが「かき小屋」だ。

「伝統ある『かき船』とは全く別物ですが」と代々続いてきた「かき船」へのリスペクトを口にしながら島田さんは話す。

「『安芸の一粒』をつくるときに、全国各地の牡蠣生産者が研修に来たんです。そのときに九州の生産者が、『生産者自身が直接食事を提供する場をつくっている』という話を聞いて。たしかに、どうやって牡蠣が水揚げされているのか、どんな人が育てているのか、生産現場で背景やストーリーを見聞きしながらその場で食べることができたら味わい方も変わるはず。私たちも、自分たちがつくっている牡蠣をより多くの人に知ってもらいたいという想いもあって『かき小屋』をはじめました。」

『かき小屋』を運営している飲食店は決して珍しくない。だが生産者自ら、生産現場で『かき小屋』を運営するとなると話は別だ。世界遺産・宮島に近いロケーションということもあり、島田さんたちがはじめた「かき小屋」には多くの人が訪れる。

「直接消費者とコミュニケーションを取れるのがいいですね。自分たちが育てた牡蠣へのリアクションがその場で返ってくる。『おいしかった』という声も、『今日はいまいちだったね』という声も、すべてありがたい。自分たちが育てた牡蠣は、どんな人が食べて、どんな表情になっているのか……市場に卸すだけでは見ることができなかった光景がここにあります。直接消費者の顔が見れて、評価されて、話を聞けることは牡蠣を育てる者にとって、もっとも恵まれた環境だと思うんです。」

※令和2年 農林水産省 海面漁業生産統計調査より

自分たちには広島牡蠣の魅力を伝える責任がある。

広島の地で根づく牡蠣養殖の文化。しかし、時代の変化とともに課題も生まれている。

「徐々に後継者が減っているんですよね。ピーク時は700近い牡蠣養殖業者がいたのに、今はその半分以下。10年後には100軒を下回るのではないかと言われています。それでも、広島牡蠣を味わえる環境はずっと続いてほしい。まずは、担い手を増やすこと。そのためには、広島牡蠣の魅力を伝えていくことが欠かせません。」

そんな課題意識のもと、島田さんは「かき小屋」の取り組みのほか、水揚げ体験などの滞在型観光コンテンツにも取り組んできた。

「日々牡蠣に向き合っている生産者じゃないと伝えられないことがあると思うんです。スーパーの店頭に並ぶのを見るだけではわからない。それを、生産の現場で、生産者の背中と言葉で伝えていく。私たちには、その責任がある。自分たちが広島牡蠣の魅力を伝えなかったら誰が伝えるんでしょう。この広島牡蠣の魅力を伝え続ける役割は、次世代を担っていく若い生産者たちにも引き継いでもらえたら嬉しいですね。」

牡蠣養殖の世界に入って40年以上。今、島田さんは次世代にバトンを渡す準備に入った。

「これまでいろいろなことにチャレンジしてきました。長かったような短かったような、しんどかったような楽しかったような時間だったなと思います。もう新しくやろうとしていることはありません。若い世代が自分たちの思い思いの活動ができるようにサポートしていけたらと思いますね。」

今、島田さんが会長を務める島田水産には、息子さんが後継者として牡蠣養殖に向き合っている。「彼らの手柄を取っちゃ悪いからね(笑)」と、にこやかな笑顔で牡蠣養殖の“繋ぎ手”を眺めていた。

(この地域でつなぐもの)

頬張って「美味しい」と感じられる広島牡蠣のクオリティを守っていきたいですね。口に入るものだから、美味しくなければ未来に繋げることができません。「たくさん生産すればいい」「大きく育てばいい」ではなく、美味しさにこだわり続けることこそが、多くの人に愛されて未来に繋がる鍵だと思います。