オリーブが紡ぐ、島と人との縁 そこから未来へ繋ぎたい、島らしい暮らし

峰尾 亮平

Ryohei Mineo

江田島市 [広島県]

峰尾 亮平(みねお・りょうへい)
神奈川県出身。瀬戸内いとなみ舎合同会社代表。30代半ばまで会社員の傍ら、横浜を中心に音楽や本のイベントを多数開催する。東日本大震災を機に自らの生活に目を向け、「食べものをつくる仕事がしたい」と、偶然目にした広島県江田島市の地域おこし協力隊に応募。2016年、オリーブ栽培技術指導員として採用され江田島市へ移住。以後、オリーブの栽培にはじまり、商品加工まで手掛けるように。現在はオリーブを通した観光ツアーも開催し、さらに、まちづくり活動にも携わっている。

広島市から南に7km程の沖合にある江田島市は、2011年から「オリーブの島」をめざし、地元企業、市民と共にオリーブ栽培に取り組んでいる。2016年、その一環として、地域おこし協力隊「オリーブ栽培技術指導員」に任命されたのが峰尾亮平さんだ。農業初心者だった峰尾さんは3年の任期終了後も江田島市に暮らし、現在、瀬戸内いとなみ舎合同会社を運営しながら、オリーブを通した観光ツアーやまちづくりにも奔走中だ。そんな峰尾さんの目に、島の未来はどう映っているのだろうか。話を伺った。

食べものをつくることを生業にしたい そう思い移り住んだ「オリーブの島」

「この島の小学校には、樹齢70年程のオリーブの木があるんです。昔、小豆島に旅行した島の人が、記念に苗木を買ってきて植えたようなんですが、それが今や10mの高さまで育って実を付けています。オリーブにとって、この島が住みやすく、心地良い環境だということの証だと思います」

そう話すのは、2016年に地域おこし協力隊をきっかけに広島県江田島市に移住した峰尾亮平さんだ。現在、「瀬戸内いとなみ舎合同会社」の代表として、瀬戸内の穏やかな海が一望できる6つの農園でオリーブを育て、塩水漬けやオイルなどの加工品を製造している。さらに、オリーブの収穫やオイル絞りなどを体験できる観光ツアーも開催中だ。

江田島市は、広島市から南に7km程の沖合にある江田島と能美島、加えて周辺に点在する島々から構成されており、牡蠣やちりめんなどの海産物や柑橘類といった特産品が有名だ。その江田島市が2011年より、地元企業や市民と共に取り組んでいるのがオリーブ栽培。日照時間が長く雨が少ない気候を活かし、オリーブを苗木から育て、さらに実を収穫し加工品作りまで行う一大プロジェクトである。その一環として、江田島市初の地域おこし協力隊で「オリーブ栽培技術指導員」に任命されたのが峰尾さんだ。

この島に移るまで一度も広島を訪れたことがなかったという峰尾さんは、神奈川県で生まれ育ち、30代半ばまで都会での生活に身を置いていた。会社員の傍ら、好きな音楽や本を紹介するイベントも定期的に開催し、人と人とが交流できる仕掛けを数多くつくっていたという。

「暮らしていたのは人口370万人の横浜です。当時、たくさんのイベントを開きましたが、やってもやっても手応えとして積み重なっていかない感覚をずっと持っていました。人は多いので新しい出会いはあるんですが、毎回違った顔ぶれで繋がりを持てるほどではなかったんです。交流するといっても、その輪が大きすぎるというか。

しかも僕を含め、出会った人たちの暮らす場所も違えば、仕事や遊ぶ場所も違う。生活がひと所で収まらずバラバラなイメージでした」

もっと人口が少ないまちに住んでみたい。

そう感じていたときに起きたのが東日本大震災だ。電気の使用も制限される自らの生活に目を向けると、日々口にする野菜は県外産のものばかりだった。

「生きていく上で不可欠な食べものさえも別の地域に頼っていることを知って、自分の生活の脆さを痛感しました。それを機に、将来的には生きていく上で不可欠な『食べもの』をつくる仕事がしたい、と思うようにもなったんです」

江田島市でオリーブ栽培に関わる地域おこし協力隊を募集していると知ったのは、そんなときだった。

「島で苗木を育て始めて5年程しか経っていない頃でしたので、僕にもまだ手伝えることがあるんじゃないかと思って。市と住民が一緒になって、これから数十年かけて『オリーブの島』をめざしている。その輪の一員としてやりがいを感じながら取り組んでみたいと感じました」

直感的に縁を感じた峰尾さんは、こうして島の住人となる。

栽培も暮らしも、島のやり方に倣う

江田島市が「オリーブの島」をめざして立ち上げたこのプロジェクトは、市が苗木を販売し、それを市民が購入して育て、さらに収穫した実を地元企業が買い取り、加工して商品にするという6次産業化を狙ったものだ。峰尾さんがオリーブ栽培技術指導員として派遣されたのは、最初に植樹したオリーブの木がようやく実を付けた頃だったという。

「とはいえ、僕は農業初心者。まずは、すでにオリーブを栽培していた農家さんを訪ねて様子を見せていただくことからスタートしました。それから、先進地である小豆島にも頻繁に通って、栽培に加えてオイルの絞り方など加工についても学びました。

島に来て半年後には耕作放棄地を農園として借り受けることができ、1年経った頃にはオリーブの木を植えられるまでになりました」

地域おこし協力隊として島で暮らし始めた頃から、オリーブ栽培を生業にしていきたいという思いを持っていた峰尾さん。3年の任期が終わってさらに数年後、ようやく実りを迎える情景が目に浮かび、この島に腰を据える覚悟をさらに強くした。

「今もそうなんですが、大変だと感じたことはあまりないんです。この島で順調に育っているということは、育て方が間違っていないということですし。

農業の経験がなかった僕にとっては、栽培も暮らしも、島のやり方に倣うのが一番だと思っていました」

オリーブの育ちと共に自らも経験と知識を積み重ね、徐々に農園も広げていきながら、峰尾さんは栽培指導員としての役割を確かなものにしていった。また同時に、島の人たちとの距離も縮めたいと、最初は耳慣れなかった広島弁も積極的に習得。今では「で、あんたどこから来たん?」と聞かれることもなくなった。

そして3年が経ち、地域おこし協力隊卒業と同時に、栽培から商品加工まで手掛ける瀬戸内いとなみ舎合同会社を設立。現在、約350本のオリーブの木を育て、そこから絞ったオイルはコンテストで高く評価されるまでになった。

「オリーブは収穫した瞬間から酸化が始まるので、島の人たちが持ち寄った実も含めて、摘み取ってから24時間以内にはオイルを絞っています。そうすることで新鮮なおいしさや品質の良さを伝えています」

ただ、手塩にかけて育てたオリーブから絞ったオイルの価格は、スーパーで販売されている外国産のものの数倍。その状況で、いかにして消費者に手にしてもらえるかというのは大きな課題だという。

「価値をわかっていただくためには、消費者に島に足を運んでいただき、生産者と関わりながらオリーブと触れ合ったり、おいしい食べ方を学べるような機会が必要だと思いました。

つくる人の顔が見え、なおかつ商品が手元に届くまでのストーリーを伝えなければ、せっかく軌道に乗った栽培も継続が難しくなる。

そう感じていたときに、ある旅行会社から、オリーブを柱とした体験ツアーのお話をいただいたんです」

オリーブを通して、島と人との縁を紡いでいきたい

オリーブの実を収穫し、オイルを絞ってテイスティングしたり、また、オリーブの枝からスプーンをつくったり、葉を編んで冠にしたりと、実際に開催されたツアーは、オリーブづくしの1日を企画。島外から訪れた参加者は、瀬戸内海が眼下に広がる農園でオリーブにまつわる話を聞き、自ら絞ったオイルを味わう体験に、とても満足した表情を見せたという。そのときのアテンド役は、もちろん峰尾さんだ。

「僕がやりたかったのは、オリーブを通して江田島のファンをつくることだったんだと、参加者を見て気付いたんです。オリーブで、島と人との縁を紡ぎたかったんだなと」

現在、江田島の人口は約20,000人、高齢化率は45%を超える。峰尾さんが移住した7年前からすでに5,000人減少している。この状況が続けば、産業や暮らしそのものまでが成り立たなくなるのは誰の目にも明らかだ。

「だからこそ、観光という視点で、オリーブをきっかけに島外から人を集め、島の素晴らしさを知ってもらいたいんです。それが江田島の活性化に繋がり、まちづくりへと広がれば、島の人口も増えていくと思っています」

幸い江田島市には、まちを盛り上げたいと活動する若い世代も多いという。Iターン、Uターン含め、峰尾さんと同じ移住者も増えてきているそうだ。彼らは皆、農業や飲食業、宿泊業などそれぞれの仕事に携わりながら、同じまちの住人であり、まちづくりのメンバーだという意識を共有している。

「こんなに個性豊かなプレイヤーがいる地域も珍しいと思います。イメージとしては『株式会社江田島市』で皆、活動しているような感じですね。お互い自然に助け合うこともできて、オリーブ収穫のときも進んで協力してくれます。なにより、暮らす、働く、遊ぶ場所がほとんど同じなのが嬉しい。横浜ではあり得なかったことです」

未来へ繋いでいきたいものは何か? 
“オリーブをきっかけに、江田島らしい暮らし、瀬戸内でのいとなみに興味を持ってもらいたい。”

最後に、峰尾さんがこれから繋いでいきたいものを聞いてみた。

「この島には、ここでしか味わえない暮らしがあります。江田島らしさを感じる大切な暮らしです。できることなら、それを守って次の世代にも繋いでいきたい。

僕ができることは、オリーブを育てその素晴らしさを情熱を持って伝えて、島での暮らしや瀬戸内でのいとなみに興味を持つ方を増やしていくことだと思っています。そんな方はきっと大勢いるはずです。私もそうだったように」

峰尾さんにご自身の性格を聞くと、即座に「なんでもやってみる、じゃないですかね」と返ってきた。興味を持った時点ですでに峰尾さんの心には火が灯っているようだ。だが同時に、まずは「倣う」という意識も欠かさない。倣った上で経験し、その素晴らしさを熱い想いで伝えていく。そして、人の心にも火を灯す。

私も島へ訪れてみたいと思った。瀬戸内海を一望できるオリーブ農園で、峰尾さんの情熱に耳を傾けてみたいと思った。