人間社会と大自然をつなぐ“連絡船”になる。瀬戸内海に浮かぶヨットに込める想い。
山下 健一
Kenichi Yamashita
宮島 [広島県]
山下 健一(やました・けんいち)
冒険家 / 冒険総合体験 オリハルコン代表
1963年9月14日福岡生まれ。13歳でロッククライミングを始め、18歳のときクライミングの聖地ヨセミテへ単身渡米し、当時ギネス世界一の絶壁だったハーフドーム北西壁の単独日本人初登攀に成功。2000年6月、家族でヨットによる太平洋一周に旅立ち、2003年8月に帰国する。現在は三倉岳のふもとに住みながら、冒険総合体験などを提供している。
波が小さく穏やかな海面と、数々の島が浮かぶ独特な風景が特徴の瀬戸内海。その中で、ヨットでのセーリングを提供している人物がいる。それが山下健一さんだ。ギネスにも掲載された大岩壁の登頂に成功したり、家族で約3年かけて太平洋を横断したりと、常に自然と対峙してきた山下さん。なぜ、瀬戸内海でセーリングを続けるのか、そこに何を求めているのか。話を聞いた。
三倉岳と瀬戸内海。
広島の自然が教えてくれた地球の息吹。
「小さい頃からなぜかヨットでの航海に魅せられていて。小学校の卒業文集ですでに『僕は、ヨットで太平洋を渡ります』と書いていましたね。」
そう話す山下健一さん。成長していく過程でも、心を掴まれた「ヨットでの太平洋一周」という夢は忘れることはなく、「進路選択でも迷うことなくヨット部の強豪校を志望していた」という。
しかし、残念ながら希望していた高校は不合格に。そんな中、山下さんの関心は、海から山へと向かっていく。
「たまたま世界的なロッククライマーの人たちと出会う機会があって。その中にアメリカのヨセミテ国立公園の大岩壁に日本人で初めて登頂した人がいました。その方の指導を受けながら、私もロッククライマーとしてデビュー。そして、18歳のときには、当時のギネス世界一だった岩壁の登頂にも成功するなどキャリアを積んでいきました。」
その後、生まれ育った福岡を離れ、日本のロッククライミングの名所・広島県大竹市にある三倉岳に移住。山小屋の管理人を担いつつ、ロッククライミングのインストラクターとして12年間働いた。その間にパートナーと出会い、子どもも生まれることになる。
そんな穏やかな時間を過ごしていた中、再び幼い頃からの夢が頭に浮かんだ。
「よく『諦めなかったら夢は叶う』って言うじゃないですか。その言葉って本当なのかなとふと感じたんですよね。だったら、自分自身で試してみようと思い、山を下りて、一生懸命バイトをしてお金を貯めて、中古のヨットを買いました。」
幼い頃からの夢だった「ヨットでの太平洋一周」。いよいよその夢に取りかかる時が訪れた。しかし、当時思い描いていたことと違う点は「家族がいる」ということ。通常であればためらうような条件であっても、山下さんにとっては逆に「有意義なものになる」と考えていたという。
「当時、子どもは5歳と9歳。たしかに机に向かって勉強することも大切かもしれない。来るべき受験戦争に向けて塾に通う選択肢もあるかもしれない。でも、感性がやわらかいうちに生の地球を見て、感じて、考える体験というのは、かけがえのないものになるはず。子どもたちには学校を休ませて航海に出ました。」
「目的地は“地球”だった」と語る山下さん。3年2ヶ月の間、家族でアラスカの原野や各地の自然公園を訪れつつ、冒険を続けた。
「普段、私たちが住んでいる人間社会が地球全体を覆っているように錯覚してしまいますが、その外側にはもっと多様で豊かな自然の世界が広がっている。そのことを実感しましたね。実際に電波が届かない原野や海原にいると、地球のエネルギーや息吹を身体で感じられるような気がしました。
人間社会では通用するうそやごまかし、言い訳などは自然の世界では通用しません。欺瞞のない、ありのままの状態。そういった感覚を追い求めるのは、ロッククライミングで山と対峙していたときから変わらないのかもしれません。」
そして、太平洋一周を果たし、広島へと帰還。自然の世界から人間社会へと戻ってきた山下さんの胸には、ある想いが湧き上がっていた。
「航海を終えたあと何をするか。そう考えたときに、次は人間社会と自然の世界を橋渡しする“連絡船”としての冒険にチャレンジしたいと考えたんです。」
そして、山下さんは、太平洋の航海で冒険を共にしたヨット「オリハルコン号」に乗るセーリング体験事業をスタート。多くの参加者に、自然の世界に触れるきっかけを提供している。
穏やかな瀬戸内海だからこそ
人間社会と自然の世界の橋渡しができる
現在、山下さんが航海しているのは瀬戸内海。太平洋という大海原を見てきた山下さんにとって、この海はどのようなものなのだろうか。
「透明度で言えば、世界にはもっと透き通った海がたくさんあるかもしれません。でも、瀬戸内海には、波がない穏やかな海面が広がっていたり、いくつもの島々が浮かんでいたり、ここにしかない風景があるんです。」
そして、こうした条件は、ヨットにも好都合なんだという。
「ほかの地域より波が小さく穏やかな分、初心者でも乗りやすいのは瀬戸内海ならでは。だからこそ、一般の人たちにヨットに触れる機会を提供するにはちょうどいい。そうすることで、人間社会と自然の世界をつなぐ“連絡船”としての役割を果たせるんです。」
「そして、ヨットは自然の世界を学ぶには、とてもいい乗り物だと思っています。というのも、風や波といった自然の息づかいを感じて、予測して、対応しないとうまく運航できないから。そうした自然の風物を無視したり、無理して天気の悪い日に出航したりすると、痛い目に遭います。へたしたら命も落としかねない。右にいこうか、左にいこうか、自然に対して逆らわず、息を合わせて動かしていくのがとても重要になのがヨットです。そして、自然の世界と同調できれば、太平洋だって横断できてしまう。そんなロマンにも満ちているんですよね。」
いくら瀬戸内海が穏やかな海域とはいえ、「本来海自体は危険な場所である」とも話す山下さん。その危険性を引き受けながら、いかに安全な環境に変えていくか。そのように工夫しながら自然と対峙する中で、敬意が生まれていくと山下さんは話す。
「セーリングの参加者の中には単に『珍しい乗り物に乗りたい』という動機から乗船する人たちもいます。最初は楽しそうに盛り上がっていたけれど、だんだんとお互いの安全を気に掛けるようにする中で自然に対する見方が変わっていくそうです。実際に『自然に興味が出た』『自然に対する目が養われたように思う』といった声もいただいていますね。」
自然に触れることで
主体的に感じ取る力を養える
大岩壁や大海原で命を危険に晒しながら冒険してきた山下さんが提供するセーリング。これは、一般的なアウトドアズマンがガイドする遊覧船とはひと味違う経験になる。
「参加者が乗るのは、実際に太平洋を横断したヨット。そして、ガイドするのは、実際に太平洋を横断した人物。セーリングに参加することで、航海はどんなものだったのか、その風景の一端を感じてもらえるはずです。」
また、地域ならではの経験ができるのも山下さんのセーリングの特徴だ。
「広島県大竹市は自然と工業が同居したまち。宮島の原生林とコンビナート工場の夜景が併存しながら、その後ろ側から満月が昇る景色は、この地域ならではのものでしょうね。
また、瀬戸内海には無人島も多くあります。そこにヨットをつけて宿泊することも少なくありません。そのときには私が銛を持って海に潜って魚を獲り、参加者に振る舞うこともあります。」
未来へ繋いでいきたいものは何か?
“自然の世界を、自ら主体的に感じ取る。感覚を澄ましながら外の世界と向き合う機会を、提供したい。”
最後に、山下さんがこれから繋いでいきたいものを聞いてみた。
「私は、『自然はこうなんですよ』『自然を軽くみたらいけないよ』などあまり口で伝えることはしません。自然の世界というものは、聞いて理解するものではなく、自ら主体的に感じ取るものだから。でも、『主体的に感じ取る力』って人間社会でも必要なことだと思うんです。誰かが困っていたり弱っていたら、その様子を感じ取れたらいい。感覚を澄ましながら外の世界と向き合う機会を、ここでつくれたらいいなと思いますね。」