
石垣島・平久保半島の海に生きる ―― 伝統木造船「サバニ」が伝える技術と文化
吉田友厚
Tomohiro Yoshida
石垣市平久保 [沖縄県]
吉田友厚(よしだ・ともひろ)
東京都出身。吉田サバニ造船 代表。沖縄、石垣島、平久保半島の久宇良地区で、伝統木造船サバニを造る事業と、サバニを使った観光ツアーを行っている。平久保半島自治協議会の事務局として、地域の自然や文化を守り育てる活動にも取り組む。
沖縄県・石垣島の北端にある平久保半島。島のなかでも手つかずの自然が色濃く残り、透き通る海とサンゴ礁が美しい場所だ。その海に浮かぶのが、沖縄の伝統木造船「サバニ」。風を感じながら進む、昔ながらの船である。このサバニを自らの手で造り、海へと送り出している人がいる。平久保半島の一角で造船業を営み、サバニツアーを提供する吉田友厚さんだ。師匠から受け継いだ船づくりの技術と仕事への向き合い方を大切にしながら、島を訪れる人たちや若い世代に、サバニのおもしろさと文化を伝えている。
石垣島に移住し、サバニと出会う
東京で生まれ育った吉田さんが、「東京で暮らすことに限界を感じて」と家族で石垣島へ移り住んだのは、21年前のこと。家族を養うため、土木業や農園業などさまざまな仕事に携わったが、どれも長くは続かなかったという。
当時、移住者の多くはいろいろな仕事をしながら生活していたそうだ。そうしたなかで吉田さんは、「死ぬその日まで続けられる仕事はないだろうか」と模索する日々を送っていた。
そんなある日、サバニをつくる船大工、新城康弘さんの噂を耳にする。高齢のため、仕事を辞めるらしいという話だった。「それを聞いて、なぜか居てもたってもいられなくなって」と、吉田さんはすぐに新城さんを訪ねた。それがサバニの師匠との出会いだった。

サバニとは沖縄の伝統的な木造船で、かつては漁や米などの物資輸送に使われていた。何枚もの板を継ぎ接いで一艇の船をつくるのが特徴で、本ハギ技法と呼ばれる技術を用い、ふんどうや竹釘で組み上げられる。外洋の波にも耐える強固な構造と、シンプルでしなやかな船体をあわせ持つ船だ。しかし近年では、漁や物資輸送に使われることはほとんどなくなっている。
師匠からの教え、船大工の仕事
「造船業をやりたかったわけではなくて、自分で使う船を保有したかったんです。買うより、自分でつくったほうが安いでしょ」。吉田さんは当時携わっていた仕事のひとつ、電灯潜り漁に使う船としてサバニに興味を持ったと話す。

しかし、新城師匠の仕事ぶりを見ているうちに、次第に船大工にあこがれるようになる。「船をつくることを生業にするってすごくいいなあ」と。
さらに、サバニという船そのものが、どこか自身の喜びを掻き立てる魅力を持つことにも気づく。「ひとことで言えば、日本人に刻まれたロマンみたいなものですかね。サバニは大海原に出たときのワクワクする感覚を思い起こさせる船なんです。それまで乗ったことがなくても、瞬間的にその感覚がわかります」
幼少期から海が好きで、木工などのものづくりも好きだった。そんな吉田さんが、自作の船を海に浮かべて乗ってみる。「とてつもなくワクワクしますよ」。吉田さんにとってのサバニの魅力は、そのひと言に尽きるようだ。
新城さんは言葉の少ない師匠だったという。「船大工として生きていくなら、まず3艇つくれ」。当初、かけられた言葉はそれだけ。「昔気質の職人で、『仕事に向き合っていれば、答えは出てくる』という人でした」。一から十まですべてを教えられたわけではなく、仕事への姿勢そのものを教わったと振り返る。

吉田さんがサバニ造船に携わって約13年。これまで自らの手でつくった船は30艇だ。ただ、ひとくちに30艇と言っても、同じものはふたつとない。伝統船としてはずせない工程の要点を学んだあとは、一艇ごとに自分なりのテーマを決めて取り組んだ。漁法や漁場、船主の使い方によって、つくり方は微妙に変わるからだ。小さな失敗と試行錯誤を積み重ねながら、船大工としての腕を磨いてきた。
「新城さんは失敗を恐れない師匠でね。いろいろな失敗を船というかたちで残してくれている。だから僕たちは同じ失敗を繰り返さずにすむ。面と向かって教わったことは少ないけれど、不思議と、いつも師匠と対峙して教わっている感覚がありますよ」
これまでどの仕事をしているときも、「この仕事で生きていこう」と思って取り組んできた吉田さん。「たまたまなんですが、この仕事がいちばん長く続いているんです。やっぱり縁があったのかな」と、サバニとの出会い、新城師匠との出会いをしみじみ語る。
造ったサバニを観光業で活かす

吉田さんには船大工のほかに、もうひとつ事業がある。それが「サバニツアー」だ。吉田サバニ造船のホームページには、サバニに乗ってサンゴ礁やスノーケルを楽しむツアーやサンセットクルーズなど、多彩なプログラムが載っている。どれも国内外からのお客さまに人気だ。
「造船業を立ち上げた直後に始めたんです。造船所をつくったけれど、『いったい誰が船を注文するんですか』と聞かれ、それもそうだなと思って」。そうして、サバニを造るだけでなく、それを活用して収益につなげるところまでを事業として描いたという。
吉田さんが住む平久保半島は石垣島の北端に位置している。市街地から車で約50分。サンゴ礁が美しく、海人(うみんちゅ)の伝統と文化が残る地域だ。吉田さんの言葉を借りると、「手つかずの自然が残っている場所」だ。そんな平久保半島の久宇良地区を拠点に、吉田さんは事業を営んでいる。
当時、石垣島でサバニを使ったツアーを行う事業者はほとんどいなかったそうだ。そうしたなか、サンゴ礁が豊かな平久保半島は、サバニを保有していること自体が強みになる。新聞等にも取り上げられ、反響は上々。一時、コロナ禍で客足が減った時期もあったが、吉田さんの事業は少しずつ大きくなっている。
「船大工をやっているからか、僕のところに来るお客さんは玄人が多いかな。造船業をやっている人や宮大工さん。もちろん、小さな子どもがいるファミリーや海外からのお客さまもいます」

最近は、サバニツアーを行う事業者も増えてきた。
「同業者が増えることに疑問を持つ人もいるけれど、僕としては、死ぬその日まで船をつくれたらいいという発想から始めた事業なので、あとから続く人たちが『サバニでこんなことができるんだ』と気づいてくれて、さらに船の注文が増えていけばいい」
「観光業をやっているけれども、開けた観光名所になってほしいというより、静かな場所が好きな人が来てくれて、それで暮らしていけたらいいなあという感じです」
この場所の魅力は手つかずの自然があるからこそ。吉田さんは何よりもその価値を大切にしたいと考えている。
未来へ繋いでいきたいものは何か?

吉田さんが未来に繋いでいきたいものは何なのか。船大工とツアー業者、2つの視点から聞いてみた。
「船大工としては、僕が持っている技術はその都度教えきってしまおうと思っています」
吉田さんはワークショップを開き、サバニに興味を持つ若い世代に技術を伝えている。そのときに大切にしているのが、「本人が本当につくりたいと思っているかどうか」だ。実はサバニに興味を持つ人は多いが、「つくりたい」と言い切れる人は意外と少ないのだという。つくりたいけれどできるわけがない。そう思っている人は吉田さんの弟子にはならないそうだ。
かつて、師匠の新城さんから「つくってみたいのか」と問われ、「つくりたいです」と答えた吉田さん。最後まで残るのは、その気持ちがはっきりした人だけ。つくりたいと思えばつくりきれる。船大工とは、つまるところ、そういう仕事なのだという。
現在、サバニの需要は高まり、吉田サバニ造船では注文から2~3年待ちという状態が続いている。「島に10人くらいの船大工がいて、年間100艇くらいつくれたらいいなと思っています。そのためには、僕が事業規模を大きくするより、人を育てていくほうがいい。そのほうが地域としてもおもしろいんじゃないかな」と理想を描く。
一方、ツアーの仕事についても若い世代が育っているという。たとえば、祖父がサバニで漁をしていた人、あるいは島でまったく違う職についていた人。そうした人たちが再び自分のルーツに近づこうとサバニに関わり始め、県内外でツアー業が立ち上がっている。
「まだ道半ばですが、この文化を繋いでいくために自分がやっていることは間違っていない。そんな手ごたえを感じています」
こうした思いから、吉田さんは関わる人たちに、「楽しめる人生であってほしい」と願っている。「楽しみながら文化が残っていく。そんな姿がいちばん夢がありますね」
初めてサバニで海に出たときの胸が高鳴る高揚感。吉田さんが未来へ繋ぎたいのは、その世界観である。