
自分のからだは自分で守る。からだと心を癒す拠点づくりは温泉地・伊豆から始まる。

杉本 錬堂
Rendo Sugimoto

伊豆市 [静岡県]
杉本錬堂(すぎもと・れんどう)
1950年静岡県伊東市出身。40代半ばに、観光地である伊豆の温泉地の実情に危機感を覚え、さらに、足に大怪我を負ったことで温泉治療の重要性を再認識。病気や怪我、不定愁訴などを改善する「天城流湯治法」をこの地で創案する。NPO法人錬堂塾 主宰、天城流湯治法 湯治司として国内外問わず活動している。
温泉が有名な伊豆の地で、病気や怪我、不定愁訴などの悩みに対し、「自分のからだは自分で守る」の信念のもと、杉本錬堂さんが創案した「天城流湯治法」。自分のからだと向き合い、自分の手で調整するセルフケアの方法は、「その場で改善する」ことを特徴としている。
大自然の恵みである温泉で、自分に向き合い、からだと心を癒していく。観光地でもある、故郷伊豆への想いから始まった活動について杉本さんにお聞きした。
伊豆を再び、からだと心を癒す温泉地に。
「関東に住む人は『伊豆へ気晴らしに行く』と、昔からよく言うんです。気持ちをリセットする、気を晴らす。伊豆はそんな場所だったんですよ」
この地に生を受け、これまでずっと暮らしてきた杉本さん。温泉のある伊豆で、自分のからだを自分の手で調整するセルフケアの方法「天城流湯治法」を創案し、指導のため国内のみならず世界各国へも足を運んでいる。
40代半ばまで、フランス菓子のパティシエとして数店舗を経営。事業として軌道に乗っていたというが、ある時、故郷にそびえる天城連峰を眺めながら、温泉地である「伊豆の観光」に思いを馳せたという。

「改めて見てみると、温泉とは全く関係のない施設ばかりだったんです。せっかく訪れた人たちから、寄ってたかってお金をむしり取ろうっていう意図が見えて。自然がもたらした温泉という素材があるのに、なぜか違うものを持ってきて商売している。そのことに憤慨したんです。
同時に、このままだと伊豆の観光そのものがダメになる。直感的にそう感じました」
伊豆半島は言うまでもなく日本有数の温泉地。熱海、伊東、熱川、修善寺、下田など、泉質も様々な温泉が点在しており、その昔は「湯治」と呼ばれる、疲労回復や病気、怪我の療養を目的とした場だった。同時に、大自然の中に身を置くことで、からだだけではなく心を休める癒しの場でもあったのだ。
だが、日本がバブル経済に踊らされた時期、ここ伊豆も「娯楽」だけを求める観光地に。
「温泉地としての良さや役割が全く失われていました。だから、なんとかしてもう一度、温泉を使ってからだや心のリセットができる故郷にしたいと思ったんです」

実は、杉本さんが温泉に目を向けるようになったきっかけは他にもある。医師から回復困難と言われた大怪我からの復活だ。
「趣味でやっていたパラグライダーの着地に失敗して、足首を骨折したんです。手術後に医師から告げられたのは『この先、踵を着ける可能性はない』という言葉。一生このままの状態は耐えられないと思いましたね」
どうしても諦めきれず、我流でマッサージを開始。痛みに耐えながらも毎日欠かさず続けていたある日、湯船に浸かってやってみると痛みがかなり軽減されたという。
「それからお湯の中でマッサージを続けたら、1ヶ月も経った頃、踵が着くようになったんです。自分でも驚きましたが、医師はそれ以上でしたよ。同時にここ伊豆には温泉があることを再認識したんです」
自ら痛みの回復を実感した杉本さんは、パティシエの経歴に区切りをつけ、温泉を利用したセルフケアの研究に没頭するように。
それ以降も、病気や怪我などいくつもの困難の度に温泉を利用し回復。その過程で、温泉療法の他、緩和法、呼吸法、咀嚼法、手当法など、独自の健康法を築き上げていったという。
自分のからだと向き合い、自分に気付き、自分でケアする

「自分のからだは自分で守る」という信念のもと、からだと向き合い自分の手で調整するセルフケアの方法。
活動を始めた当初、国の機関をはじめ自治体からの招喚や補助金の支給など、かなりの注目を集めたそうだ。
「温泉療法のアドバイザーとして、公的機関からも多く声が掛かりました。健康や療養だけでなく、次第に観光やまちづくりの分野にも活動が広がっていきました。ですが私としては、より多くの方と実際に接点を持ちながら、この健康法を伝えていきたかったんです」
そこで、新しい湯治場づくりや指導者育成も目的とした全国行脚を開始。
車で回ること2年。すべての都道府県でセミナーを開催した。
「まず皆さんにお伝えしたのは、自分のからだと向き合い、今の状態に気付くということ。その上で、病気や怪我から起こる痛みや不定愁訴などへのセルフケア方法を指導していきます。
ここで一番大切なのは、『その場で改善する』ということなんです。参加者からは『痛みがなくなった』と喜ぶ声が挙がりましたし、中にはそれまで使っていた杖を忘れて帰るという方もいました」
各地を回ったことでその効果を確実なものにし、エビデンスも実証された杉本さんの健康法は、資料にして25,000ページにも上る。
さらに、天城流湯治法の指導者の中には現役の医師も名を連ねている。現代の医学でも、どうしても治せない病気や怪我。「仕方がない、方法がない」と諦めるのではなく本気で向き合った結果、杉本さんの元を訪れる医師も珍しくないという。
では、そもそも温泉がもたらす健康への利点はどのようなものなのだろうか?
「1つ目は、温水の効果で痛みが3分の1から半分にまで軽減されて、怪我や疾患へのアプローチがしやすくなること。2つ目は関節の可動域が広がること。陸上ではほんの少ししか曲がらなかった関節でも、かなり曲がるようになります。
それまで硬く動かなくなってしまっていたからだが驚くほど動くようになるので、痛みに悩んでいた方が、次第に自分でケアできるようになるんです」
「昔の人たちは、このことを知っていたんですよね」と杉本さん。これらの利点を知らせていくのは、温泉地の義務だともいう。

いつしか観光地としての意味をなさなくなっていた、伊豆をはじめとする日本の温泉地。
だが、今後の医療事情を考えたとき、温泉の持つ役割はさらに重要になると杉本さんは考えている。
「今後、2025年には国民の3人に1人が高齢者になり、2030年には40代から50代の方1人が、1、4人の高齢者を支える状況になります。当然、医療費の負担も莫大に。
そうなる前に、温泉を利用した『自分のからだ自分で守る』というメソッドがどうしても必要だと痛感しています」
今年で75歳を迎えたという杉本さんは、歳を重ねても元気に過ごすことがどれほど大事なことなのかということを、身を持って感じている。
「命を全うするその瞬間まで、自分のからだと折り合いを付けながら生きていった方が良いと思うんです。温泉はそもそも痛みを癒していく場所。温泉に浸かりながらゆっくり滞在し、痛みなどの原因に向き合い、どうすれば改善するのかを自ら考えケアしていく。そうした方がずっと生きやすいですよね」
大自然の恵みである温泉は、生きることへの光

杉本さんが暮らす伊豆には、施術や指導を求めて訪れる方が後を経たない。その方たちに伝えることは決まっている。
自分と向き合うこと、自分の課題に気付くこと、自然と調和すること、地球の時間に合わせること。
「中には、日の出を見ただけで『ありがたい』と涙を流す方もいます。それはきっと、自然の中で自分のからだに意識を向けたからなんです。そうすると、つくづく自分のからだを大事にしなければと感じる。
と同時に、生き方を仕切り直してみようと気付くんです。人間が持っているからだと心。からだを通して心にも目を向けるきっかけを作ることも大切だと感じています」
自然に対する畏敬の念。
日が燦々と降り注ぐ時には暖かさに感謝し、雨が降る時にはその潤いに感謝する。そんな自然の営みの中で生きていることへの気付きが、昔の人たちにはあったのかもしれない。
温泉でからだを癒し、心を癒していくことも然り。大自然の恵みである温泉は、生きることへの光であり、多くの人を救ったに違いない。

最後に、杉本さんが思い描く未来について聞いてみた。
「ここ数年で『天城流湯治法』への関心がぐっと高まったような気がします。病気や怪我、不定愁訴に悩む方が増えていること、それと同時に、『その場で改善する』ということを実感した方も増えているんだと思います。
今後ですが、全国に広がる温泉地に、からだの不具合を改善したり後遺症を軽減していけるような拠点を作りたいと考えています。
まずはここ伊豆を、再び、からだと心の故郷に戻すことからです」