見て、知り、学ぶことでつなげたい、変わらない島と、変えていくべき珊瑚礁の海

前田 一樹

Kazuki Maeda

八重山郡竹富町 [沖縄県]

前田 一樹(まえだ・かずき)
静岡県静岡市出身。小学校入学と同時に沖縄本島に移住。父親が八重山列島の小浜島で事業を開始したことを機に度々島に足を運び、遊びながら海への興味を深めていく。小学3年生からはセーリング競技も始める。その後、東海大学海洋学部進学で再び静岡へ、さらに就職で横浜暮らしを経て、父親の事業を引き継ぐために小浜島へ移住。現在、株式会社シーテクニコの現場責任者として、マリンアクティビティを通した珊瑚礁の保全活動にも注力している。

八重山列島の中央、沖縄本島から南へ約400Kmにある小浜島。TVドラマの舞台にもなったこの島は、石西礁湖と呼ばれる世界でも稀に見る貴重な珊瑚礁海域に位置する。ここで、旅行客を対象にマリンアクティビティを提供している、株式会社シーテクニコ。現場を取り仕切る前田一樹さんは、世界に誇る珊瑚礁の保全にも力を注いでいる。同時に、数十年前から変わることがない島の魅力も伝えている。前田さんを海、島へと突き動かすものは何なのか。話を伺った。

小浜島との出会いが、いつしか少年を海の虜に

「今日の小浜島の天気は珍しく荒れ模様なんですよ。波高が5m、風速も20mと冬型の気圧配置。台風以外ではなかなか欠航しない石垣島からの高速艇も動いてない状況です。しかも気温も15℃まで下がってますので、暖房を付けています」

笑いながらそう話すのは、「株式会社シーテクニコ」の前田一樹さん。とはいえ、この寒さは小浜島での「底」。数日後には20℃台後半の気温に戻るそうだ。日に焼けた前田さんの姿を見れば、それも納得がいく。

小浜島は琉球列島の最南端、沖縄県八重山郡竹富町にある周囲約16.5km、人口約750人程の島だ。八重山列島の中央、沖縄本島から約400Km南下したところに位置し、台湾の方がはるかに近い南国。もちろん、年間数日の寒さの「底」を除けば、1年を通して海を楽しめる場所だ。

前田さんは現在、父親の博さんが代表を務める「株式会社シーテクニコ」で現場責任者を任されている。

1987年、小浜島で業務を開始したこの会社は、主に島外から訪れる旅行客にマリンアクティビティを提供しており、シュノーケリングや体験ダイビング、サンセットクルージングなど、美ら海を満喫できるツアーが楽しめる。

「私が初めてこの島に訪れたのは小学生の時。それまでは静岡市の三保松原の近くに暮らしていました。父がそこで造船業を営んでいたんですが、『造る』から『使う』へ業種転換したのをきっかけに、家族で沖縄本島に移り住みました」

それ以後、高校卒業までの12年間を沖縄で過ごした前田さんは、成長とともに海の魅力に惹かれ、小学3年生からはセーリング競技を開始する。そこには少なからず父親、博さんの影響があった。

博さんは若い頃よりヨットが好きで、競技に出場していた経験がある。しかも沖縄に移住してすぐに小浜島近くの無人島、嘉弥真島の開発に乗り出している。というのも、当時はバブル絶頂期。無人島をリゾートアイランドに、という事業が盛んに行われていた時代だ。それ以来、無人島で単身赴任生活をする博さんを追い、学校の長期休みには小浜島で過ごしていたという前田さん。エメラルドグリーンの海がそばにある生活が当たり前だったという。

「セーリング競技を続けていく上で、海のことをもっとよく知ることが必要だと感じて、東海大学の海洋学部に進学したんです。実は、キャンパスが幼い頃に過ごした三保にあり、再び同じ場所で暮らすことになりました」

前田さんが海洋学部で学んでいた2000年頃は、地球温暖化防止京都会議(COP3)において京都議定書が締結されたすぐ後。世界的に地球温暖化対策への協議が開始された時期でもある。海洋学部という特性上、地球温暖化が及ぼす海への影響についても、日常的に議論を交わしていたそうだ。

「このときはじめて、小浜島を取り囲む『石西礁湖』と呼ばれる世界的に見ても貴重な珊瑚礁の海に思いを馳せました」

目の前にあった珊瑚礁、当たり前のものから守るべきものへ

石西礁湖は、八重山列島の石垣島と西表島の間に広がる、東西約20km、南北約15kmの珊瑚礁海域である。約400種類の珊瑚から形成され、その数はオーストラリアのグレートバリアリーフに次ぐ豊富さ。同時に、そこに住むカラフルな魚たちなど約1,000種類にも及ぶ生き物が、独自の生態系を織りなす多様性に富んだ海なのだ。

さらに、珊瑚礁の縁が防波堤のような役割を果たしているため、石西礁湖一帯は波がとても穏やかで、まるで一つの大きなプールのようだと表現される。しかも、平均水深が8m程度、浅いところになると珊瑚に足が届くところもあり、間近で珊瑚や生き物を目にすることができる。

「とはいっても、島の人にとって珊瑚は特別なものではないんです。おじい、おばあの世代の人たちは、まるですぐに生えてくる雑草のように思っているところもありましたし。

ですが、温暖化が認知されるようになった頃から、海の中の変化を感じる人も出始めました。特に、石西礁湖が学術的に評価され世界からも注目を集めたことで、じわじわと保護すべきものだという雰囲気に変わっていきました。私自身も大学で学ぶ中で、気付かされたことがたくさんあります」

実際に、2016年頃まで、石西礁湖のサンゴ被度は年々縮小。そこには、温暖化による白化だけではなく、オニヒトデの大発生や病気による影響もある。しかし、その後の意識の変化や対策により、現在は緩やかながらも珊瑚が増えてきている場所も出てきたという。

海の中を見て、知って、学ぶこと 石西礁湖を守るためには、まずはそこから

前田さんは大学卒業後、しばらく関東に留まりシステムエンジニアとして働いていたが、あることがきっかけで小浜島にUターンすることになる。

「2009年、父がヨットで世界一周航海に出発するタイミングでした。学生の頃も社会人になってからも、休みの度に会社の手伝いはしていましたので、父の事業を引き継ぐつもりで小浜島に移りました」

ヨットで世界一周と聞くと大抵の人は驚くだろうが、前田家はフロンティアスピリットが息付く家系。「原動機付きバイクで日本を一周するのと同じ」だという。そもそも、前田さんの曽祖父は、屯田兵として未知の世界だった北海道を開拓した人物。その精神が受け継がれ、航空大手に就職しセスナで世界一周を成し遂げた従兄弟もいるとか。

「綿密な調査と計画さえあれば、ヨットでの航海は一番リーズナブルな旅行なんです。風を受けて進むヨットは交通費は掛かりませんし、狭いとはいえキッチンやリビングもあります。食費とメンテナンス費用さえ確保できれば出発できます」

そして、父親を世界の海へと送り出した前田さんは、シーテクニコの仕事に専念することになる。

石西礁湖をはじめ八重山列島の美しい海や自然と共存するため、船を海に停める際に珊瑚を傷つけるイカリではなく水中ブイを利用したり、珊瑚への負担を軽減するために同じ場所でシュノーケリングを繰り返さないなどの新たな取り組みも開始。

さらに、珊瑚の現状を知ってもらうために、ツアー客や修学旅行生を受け入れる際には必ず、海の中で起こっていることを知ってもらう機会を設けている。

「人工衛星で海の色は見えても、海の中で一体何が起きているのかまではわからないんです。海のことは海の中に入ってみないとわかりません」

だからこそ、海の中を自らの目で確かめてもらい、同時に、珊瑚が死滅すると海がどうなっていくのかという話を欠かさない。

珊瑚が死滅することで、魚たちが住むところを失い、魚たちがいなくなれば生態系そのものが壊れてしまう。それが自分たちの食生活にどれほど大きなダメージを与えることになるのかも、よりリアルに感じることができるという。

「珊瑚はもちろん、漂流ゴミに関しても、私たちにできることは限られています。できるだけ多くの方を巻き込んで大きなうねりにしなければ、現状は変わりません。そのためにも、まずはここに足を運んでいただくことからです」

前田さんたちシーテクニコが貫いている信念は、旅行客にも確実に伝わっている。

例えば、ここ数年はツアーの際にラッシュガードを着用するのが当たり前になってきている。一昔前までは肌を露出し、日焼け止めで対策する人が多かったが、その成分の中に珊瑚にダメージを与えるものがあるとわかると、使用しないことを選択する人が増えたそうだ。また、ペットボトル飲料ではなくマイボトルを携帯する人も多くなってきているとのこと。

「地球人として暮らす意識が広がってきているのかもしれませんね。日本人は流されやすいと言いますが、多くの人が取り組んだからこそ、それが常識にもなるんだと思います」

変えていくもの、守っていくもの

小浜島に訪れマリンアクティビティを楽しむのは、下は0歳から上は80代後半の人までとかなり幅広い。そして訪れる旅行客のリピート率は8割にも及ぶという。

「とにかく、島を訪れた人は『面白いことが多すぎる』と言うんです。海はもちろん、島をサイクリングしたり、夜はバーベキューをしたりと次から次へとやりたいことが出てくるようで。ただ私としては、日常と同じようにスケジュールに追われる過ごし方ではなく、『何もしない時間』を味わっていただきたいんです」

真っ白な砂浜に座ってどこまでも澄んだ海を眺める。真っ赤な夕日が海の彼方に沈んでいく様子を見つめる。漆黒の夜空に幾筋も光る流れ星を数える。

心がただただ穏やかでないと、向き合うことすらできないかもしれない景色の数々。だが、ここ小浜島のゆっくりとした時間の流れに身を任せることで、味わうことができる唯一無二の癒しだ。

「それから、島の人や文化にもぜひ触れていただきたいです。島には結願祭、種子取祭などの国の重要無形文化財に指定されている祭りもあり、その文化を守り伝承するために、人々は仕事の手を止めてまでも練習を重ねます。暮らしの中に文化が根付いているからこそであって、仕事が二の次になるのは当然のことなんです。とにかく祭りのためなら、ものすごいエネルギーと時間を注ぎ込みます。

私も移住者の一人ですが、島の文化を守るために手助けできることはできる限りやっていきたいですし、島の人が大切にしている部分は守っていきたいと思っています。

ここには小学校と中学校しかなく、高校から島を離れる若者も多いんです。そうなると、どうしても担い手不足は否めませんが、今後、島が好きで移り住む人が増えれば、島の可能性も広がるかもしれません。一人ひとりが何かしらのスキルを持っていれば、それが島民のためにもなり、新しい雇用を生む可能性もあります」

これまでは「観光」と「畜産」が産業の柱だったという小浜島だが、前田さんは移住者が増えることで仕事の幅が広がる希望も感じているという。それがさらに、島から一旦離れた人たちを呼び戻すきっかけにもなると考えている。

「これからは高付加価値な旅行の提案を行っていきたいと思っています。マリンアクティビティの体験を通して、海や珊瑚礁の現状を知ってもらう。そしてどうすれば守り続けることができるのかを学ぶ機会につなげていきたいと。併せて、島での時間もゆっくり楽しんでいただきたいですね」

最後に前田さんに、小浜島への想い、海への想いを聞いてみた。

「38年前、私が初めて訪れたときから、小浜島はほとんど変わっていません。変わったのは商店の蛍光灯の明るさぐらいです。できれば、この島はいつまでもこのまま変わらないでほしい。一方でこの海は、珊瑚が住みやすい環境になるように少しずつでも変えていかなけばならない。ここに暮らす者の使命かもしれませんね」

変えていくことの大変さも、守っていくことの難しさも、どちらも充分承知した上であえてこう語るのは、身体に宿るフロンティアスピリットのせいかもしれない。

海の美しさを目の前にし、島の時間に身を委ねたとき、私たちもそのことを理解できるはずだ。