
瀬戸内の海と山とまちを結ぶ、宮浜温泉のチャレンジ。地域全体で未来を描く

檜谷 直史
Naofumi Hitani

廿日市市 [広島県]
檜谷 直史(ひたに・なおふみ)
広島県廿日市市出身。「湯の宿 宮浜グランドホテル」3代目。大学進学を機に上京し、大手旅行会社に8年間勤務。1999年に帰郷し、祖父が創業した宮浜グランドホテルに入社、その後経営を担う。地域活性化にも注力し、2001年に「宮浜温泉まつり」を立ち上げ、2019年には体験型観光を展開する「宮浜アドベンチャーズ」を始動。温泉街の未来を見据え、この地域ならではの可能性を開拓する。
瀬戸内海に面する宮浜温泉「湯の宿 宮浜グランドホテル」。その三代目・檜谷直史さんは、老舗宿の再生とともに地域の可能性を信じ、未来を描き続けてきた。「宮浜温泉まつり」を起点とした地域づくり、そして、海と山を舞台にした体験型観光「宮浜アドベンチャーズ」。その歩みの先にあるのは、次の世代に「誇れる温泉地」を繋ぐという強い意志だ。檜谷さんが思い描く未来とは。これまでの活動も併せ、詳しく伺った。
3代目が挑んだ、宿と宮浜温泉全体の再生
宮浜温泉の最も海沿いに佇む宿、「湯の宿 宮浜グランドホテル」。最上階にある露天風呂からは、瀬戸内海に浮かぶ島々と、対岸の世界遺産「宮島」を一望できる。その3代目として舵をとるのが、地元出身の檜谷直史さんだ。大学進学で上京し、大手旅行会社に8年間勤めたのち、1999年に帰郷して家業を継いだ。
祖父が創業したのは1965年。その年に開湯した宮浜温泉の誕生とともに「宮浜荘」として産声を上げた。旧大野町だったこのまちが、温泉保養地として宮浜温泉を開いた背景には、戦後の復興という目的がある。
「風光明媚で湧水もあり、空気も良いことから、この地域は昔から保養地として親しまれていたようです。ところが、昭和20年、原爆投下直後に枕崎台風が沿岸を襲い、地域全体が壊滅的な被害を受けました。その荒廃したまちを温泉地として再生させようと、当時の大野町長が復興計画を掲げたんです。湧水から温泉成分が確認されたことで、温泉開発が進みました」

「美人の湯」として知られる宮浜温泉は、弱アルカリ性で肌がつるりとする泉質。神経痛や筋肉痛、婦人病などにも効能があるといわれている。観光地・宮島に近い立地もあり、開湯直後から宿泊客で賑わった。さらに、1972年に宮島を舞台にしたNHK大河ドラマ「平家物語」が放映されたときには観光客が押し寄せ、温泉街全体が活気付いたという。しかし、直後のオイルショックやバブル崩壊の影響で、宮浜温泉、また宿の経営状況も厳しさを増していった。檜谷さんが戻った頃には、施設の老朽化や利用客の減少が目立つようになっていた。
「旅行会社時代に全国の宿を見てきたからこそ、その差を痛感しました。宮浜温泉も、開湯時には十数件あった宿が6軒になっていましたし。なんとか手を打たなければと思い、最初の数年は、とにかく館内の整備を進めました。当時は、インターネットの予約サイトもまだ普及していませんでしたが、この宿独自のプランを作ってお客様を増やそうと、必死に動きましたね」
そんな折、幼馴染でもあった、同じ宮浜温泉組合の先輩から「地域を盛り上げるために、一緒に取り組んでみないか」と声を掛けられた。それが、「宮浜温泉まつり」の始まりだった。
祭りをきっかけに描いた宮浜温泉の未来、そして気付いた宿の強み
宿の課題に直面しながらも、檜谷さんは地域との繋がりのなかで道を拓いていく。その象徴が、2001年に地元商工会の青年部が中心となり始まった「宮浜温泉まつり」だ。
当初は平日に開催され、人出もまばらだった。しかし、開催日を8月の最終日曜日に固定したことで、徐々に地元からの来場者が増加。やがて夏の恒例行事となり、温泉街に賑わいをもたらすようになる。
なかでも話題を集めたのが、「温泉旅館まくら投げ世界選手権」だ。全国の温泉地の若手経営者が、各地の温泉街の活性化を狙って始まったこの企画は、有馬温泉、湯原温泉で続けて開催され、宮浜温泉にバトンが渡される。その後、宮浜温泉まつり独自の名物イベントとして定着した。
「温泉といえば枕投げ、という発想から生まれたこの競技は、ハンマー投げなどの投擲種目の要領で枕をどれだけ遠くに飛ばすかということを競います。単純明快な内容が功を奏して、昨年は240人の参加がありました。祭り自体も最初は手探りでしたが、今では地元のお祭りとして根付いています」

一方で、檜谷さんは宮浜グランドホテルの改革も同時に進めていた。宮島が近いという立地に加え、広島市中心部や岩国市の錦帯橋などへのアクセスの良さを強みに営業に奔走。数度の改修を経て、2017年には眺望抜群の露天風呂をリニューアルした。その絶景を求めて、宿泊客や日帰り入浴などの利用者が増えた。
「全国には数多くの温泉があり、泉質などではかないません。そのなかで宮浜温泉、そして当宿を選んでいただけるのは、この眺めがあるからこそです」
宮浜温泉まつりを通じての地域との連携、そして宿の改革で得た自信が、檜谷さんに「宮浜温泉の未来」を思い描かせる原動力となった。そこでの気付きが、現在力を注ぐ「宮浜アドベンチャーズ」の活動へと繋がっている。
宮浜の魅力を丸ごと発信する「宮浜アドベンチャーズ」
故郷に戻って20年。さまざまな取り組みを重ねるなかで、さらに多くの観光客に足を運んでほしいとの思いから、2019年に立ち上げたのが「宮浜アドベンチャーズ」だ。宮浜温泉全体を舞台にした体験型観光を展開しており、構成メンバーは、温泉事業者にとどまらず、地元の海を拠点に活動する事業者も加わっている。

体験の柱の1つは「海」。ヨットセーリングやシーカヤック体験の他、筏型船「HANAIKADA」では地元食材を堪能できるランチクルーズを楽しめる。また、小型クルーザーに乗り、宮浜温泉の対岸に位置する、宮島の御床神社と須屋浦神社を海上から参拝する「宮島西海岸クルーズ」も好評。厳島神社に詣でる前に心身を清めるために行われる、伝統的な神事「七浦巡り」の一部を体験できるとあって、国内外からの観光客をはじめ、地元の人の参加も見られる。
「このプロジェクトの最初のミッションは、個人が所有していた桟橋を海の観光の玄関口とするため、その修繕を行うことでした。桟橋を中心に、海でのアクティビティを展開していた事業者に協力をお願いし、連携が始まったんです」

2つ目の柱は「山」。人気の「経小屋山ハーフトレッキングツアー」は、標高596mの経小屋山の中腹までガイドとともに歩くプログラムだ。往復3時間ほどの行程ながら、途中には小さな神社や温泉の源泉地があり、檜谷さんをはじめとしたローカルガイドがそこにまつわる歴史を語る。地元ならではのエピソードにも耳を傾けながら、標高270mの展望スポットに到着すると、瀬戸内海と宮島を一望できる絶景が広がる。

ここで参加者に振る舞われるのは地元宮浜の湯屋わたやの手造り弁当と、宮浜沖で水揚げされた新鮮な牡蠣。その場で焼き牡蠣にして提供されることもあり、宮浜ならではのもてなしに感嘆の声が上がる。山の空気と海の恵みを同時に味わえるこの体験は、他にはない魅力といえる。参加者からは「すばらしい景色を観ながらのお弁当は最高!」との声も聞かれるそうだ。
さらに下山後には、日本庭園がその美しさから世界4位に評価された「石亭」の庭を散策し、お茶とお菓子で一息つけるというご褒美も。単なる登山体験ではなく、「歩く・学ぶ・食べる・癒やす」を組み合わせたストーリー性がツアーの醍醐味だ。
そして旅の締めくくりに、ガイドから必ず語られるのが、宮浜温泉の誕生にまつわる歴史。戦後の台風被害とそこからの復興、その象徴として誕生した温泉地のことを参加者に伝えている。
「あらゆる歴史的な出来事が、この宮浜温泉のルーツになっている、ということを知ってもらいたいんです。そもそも、枕崎台風が予測できなかった背景には、原爆で広島市内にあった気象台が被害に遭い、情報が行き届かなかったという状況がありました。もし原爆が投下されていなかったら、台風の被害は防げたかもしれない。こうした話を聞くことで、宮浜温泉が復興の証であること、そして平和の大切さも感じていただければと思っています」

このハーフトレッキングツアーは、2024年度、広島県観光連盟が主催する「HYPP AWARD」でMVPを受賞し、県内外から大きな注目を集めている。宮浜ならではの強みを活かしたツアーへの評価は、瀬戸内の海と山とまちを結ぶ新しい観光の形として、「宮浜アドベンチャーズ」のさらなる飛躍を後押ししている。
未来に繋いでいきたいものは何か?
最後に、檜谷さんに未来へ繋いでいきたいことは何か、と尋ねた。

「宮浜温泉は、開湯から60年が経ちます。2018年には温泉組合で『宮浜温泉100年ビジョン』を策定し、『シーサイドエリア』の海と、『ウォーキングエリア』の山、そして宿が並ぶ『スパエリア』の3つに地域を区切り、それぞれの未来をどう描いていくのかを話し合いました。100年を迎えるまでにはあと40年ありますが、その長い時間で見れば、私の存在は小さな点に過ぎません。ただそれでも、できる限り良い未来が描ける状態で、この宮浜を次の世代に渡していきたい。それが私の役割です。
そのための、『宮浜温泉まつり』であり、『宮浜アドベンチャーズ』なんです。
すでに掘削された3号源泉と、その側に立つ地元のシンボルツリーでもあるヒマラヤスギを中心に、温泉街をそぞろ歩ける構想も練っています。足湯やカフェも整備し、そこからは海も山も望める。昼も夜も人が自然と集まり、長く滞在したくなる場所に育てていきたいですね」
檜谷さんにとって宮浜は、心安らぐ自分の居場所だ。学生時代に離れたことで、その思いは一層強くなったという。だからこそ、このまちのポテンシャルを見出し続け、地元の仲間とともに、次の担い手たちに繋げようと挑戦を続けている。
「そのためには、なによりも私が、この宿場町をおもしろがっている姿勢を見せることが大切なんだと感じます」
その言葉には、宮浜温泉を故郷として慈しむ深い愛情がにじんでいる。