木を育て、紙を漉き、つながりを結ぶ。「和紙」と「水引」が紡ぐ伝統文化。

羽場竜也・関島直人

Ryuya Haba・Naoto Sekijima

飯田市 [長野県]

羽場 竜也(はば・りゅうや)
飯田市下久堅の伝統工芸「ひさかた和紙」の伝承や活用に取り組む住民有志の「ひさかた和紙の会」の事務局長を務める。地域の子どもたちや住民に和紙づくりの魅力を伝えたり、新商品を開発するなど、精力的に活動している。

関島 直人(せきじま・なおと)
飯田地方の伝統工芸「飯田水引」に取り組んでいた父や兄正浩さんの姿を見て水引の道へ。現在は、父が創業した「関島水引店」の専務取締役を務める。外国人観光客の受け入れや外国大使館などでのワークショップなど、グローバルな活動にも力を入れている。

長野県の南に位置する飯田市下久堅(しもひさかた)地区。丈夫な繊維を持つ楮が育ちやすい気候や土地条件を持つことから、この地域では和紙づくりが盛んになっていった。さらに、その和紙を活かした伝統工芸も花開く。結納品や装飾品として用いられている水引が盛んになった。
今回は、ひさかた和紙の会事務局長・羽場竜也さんと関島水引店・関島直人さんに、ひとつの地域に息づく2つの伝統文化を聞いた。

「ひさかた和紙」と「飯田水引」。切っても切り離せない2つの伝統工芸。

飯田市で受け継がれる「ひさかた和紙」と「飯田水引」。ひとつの小さな地域に2つの伝統工芸があるのはなぜか。まずは、それぞれの”繋ぎ手”の言葉から、その関係性を紐解いていく。

「この地でつくられる和紙は、強靱さがあり、その実用性の高さからさまざまなシチュエーションで使用されていきました。たとえば、下久堅地区の和紙を用いてつくられるアイテムに、髪を留める『元結』と呼ばれるものがあります。強くて美しい飯田の元結は全国でも評判になり、江戸の両国相撲や吉原の花柳界でも重宝されていきました。」 そう話すのは、ひさかた和紙の会事務局長の羽場竜也さんだ。


しかし、明治時代になると断髪令が敷かれ、日本伝統の髪型であった「ちょんまげ」を廃止するお触れが出る。その流れに伴って元結文化も衰退していったが、代わりに元結の技術を活かして、結納品や装飾品で用いる「水引」 の生産が盛んになった。

「この地域には、多くの人々に認められてきた和紙がある。そんな素材を用いることができる地の利を活かして、さまざまな水引の担い手が生まれました。現在、飯田は日本における水引の生産高の70%のシェアを誇るまでになっています。」 飯田水引の伝統を繋ぐ「関島水引店」の関島直人さんは話す。

地域の風土を活かし、歴史を背負い、取り組むものづくり。

地域の伝統を担う2人の”繋ぎ手”。彼らはどのようにして、この道に辿り着いたのだろうか。

もともと下久堅地区の公民館長として活動していた羽場さんは、地元の伝統を守ろうとする「ひさかた和紙の会」の取り組みに参加したことがきっかけとなった。 「それまで和紙づくりに携わったことなんてなかったんです。でも、一度触れてみたら奥が深くておもしろくて。漉き方によって毎回微妙に表情が異なるし、うまく漉けていい表情を出せたときは、とても嬉しい気持ちになる。和紙の魅力にハマっていったんですよ。」

その後、和紙の名産地である岐阜県美濃市での修行などを経て、この下久堅地区の地で和紙職人に。今では、地域の特性を活かして、和紙の素材づくりから取り組んでいる。

「下久堅地区は、良質な水と内陸性の乾燥した気候、そして丈夫な繊維を持つ楮(こうぞ)と呼ばれる樹木が育ちやすい南向きの斜面が多い。こうした地域特性も、和紙づくりの文化が続いてきた背景なんです。紙を漉く技術を磨くことはもちろん、良質な楮の木を育てる知恵を身につけなければいけないと思っています。」

1年間かけて楮の木を育てて、皮を剥いて、細かく叩いて、漉きあげる和紙づくり。「さまざまな工程を経ますが、すべては原料となる楮の木から始まります。」

今、ひさかた和紙の会の畑には、羽場さんが植えた楮の木がいくつも育っている。

関島さんの父は、水引店の創業者。そんな父の背中を見て育ち、関島さん自身も水引の世界に惹かれていった。

「子どものときから水引が周りにある暮らしを送っていましたね。真剣に仕事に向き合う父の背中を見て格好良いと思い、自然な流れで水引の仕事に就きました。」

装飾品として用いられることの多い水引。しかし、関島さんは、仕事に取り組む中で水引のさまざまな可能性に気づいていったという。

「水引が用いられるシーンとして多いのが、誰かに何かを贈ったり、お祝いしたりするとき。製品をつくるときに水引を”結ぶ”と言いますけれど、人とのつながりも”結ぶ”ことができるんですよね。私自身も、水引に取り組んできたことで、世界中の人との出会いに恵まれました。」 実際にこれまで関島さんは、外国人観光客向けにワークショップを開催したり、積極的な海外展開を進めたりする中で、2019年にはCOOL JAPAN AWARD入賞という成果も挙げてきたという。

変わりゆく時代の中で、「地域の宝」を次世代に残す。

明治時代以降、安価で大量生産できる機械漉きの洋紙が流通するようになり、和紙を使うシーンは減っている。下久堅地区では、最盛期には約300軒の農家のうち223軒が和紙づくりを行っていたと言われるが、徐々にその数が減少。追い打ちをかけるように1960年代には台風の影響で和紙の原料となる楮も全滅し、一時期和紙づくりを行う農家はいなくなってしまった。

「下久堅地区の和紙にとっては苦難の時代だったと言えるでしょう。でも『このまま、この地に根づく伝統文化を途絶えさせていいのだろうか』と、下久堅公民館とかつて和紙づくりを行っていた農家が立ち上がり、『ひさかた和紙保存会』(※現在は『ひさかた和紙の会』)を発足させて、伝統工芸を復活させたんです。私にはそんな地域の想いを受け継ぐ責任がある。」

現在、羽場さんは、自ら楮を栽培したり、国内外の観光者に和紙づくり体験を提供したり、小学校の卒業証書を児童とともに和紙でつくる機会をつくったり、和紙文化を次世代につなげるためにと精力的に活動を続けている。

「世界にひとつしかない手作りならではの風合いや温かみを味わってほしい」。そんな想いを語ってくれた。

「地域の伝統文化を残したい」という想いは関島さんも同じだ。

「水引という産業が、この地に根づいて450年以上。連綿と受け継がれてきた文化を途絶えさせないよう未来に繋いでいきたい。近い将来、飯田地域にはリニア中央新幹線も開通するでしょう。そうすると、東京などの都市圏からのアクセスも良くなるはず。地の利を活かして実際に見て、触れて、体験する機会を増やせたらと思っています。何百種類にも及ぶ水引のバリエーションから自分で色を選び、組み合わせて、かたちにする……そんな結びの文化をより多くの人に味わってほしいんです。」

多くの人に体験してもらうだけでなく、関島さん自身、水引の可能性を引き出すための新たなチャレンジもはじめようとしている。

「日本では、水引というと結婚式でお金を包むのし袋などに使われるのが一般的。でも、そのように限られたシチュエーションだけでなく、ピアスや洋服、ラッピングなど日常でも使ってもらえるアイテムになるポテンシャルを秘めている。そのような水引の可能性を拓いていくのが、私たちの役割だと思っています。」

未来へ繋いでいきたいものは何か?

“飯田の宝である「ひさかた和紙」と「飯田水引」。地域の記憶や技術、想いを未来に繋げていきたい。”

最後に、この地域で未来に繋いでいきたいものを聞いた。

「ひさかた和紙」と「飯田水引」は飯田の宝。この地の伝統文化として培われてきた2つのものづくりをコラボレーションさせて、地域の記憶や技術、想いを未来に繋げていきたいです。