海から巡る宮島。クルーズに込めた「神の島」へのリスペクト

塚本雅彦

Masahiko Tsukamoto

宮島 [広島県]

塚本雅彦(つかもと・まさひこ)
広島県江田島市出身。ティーズカンパニー株式会社代表取締役。コロナ禍にクルージングによる観光事業を開始。幼少期から親しむ宮島への思いを体現し、海からの参拝体験を提供する。また、海の安全を守るため、広島クルーズ安全推進協議会を設立。安心安全な環境下での海の観光を提案し続けている。

コロナ禍で観光客が途絶えた宮島。自動車販売業を営む塚本雅彦さんは、所有していたクルーザーを活用し、少人数のプライベートクルーズという新しい観光事業を始動した。幼少期から「神の島」と敬ってきた宮島への思いとともに、海から望む厳島神社の美しさを伝えている。常に先陣を切り、挑戦を続ける塚本さんの原動力に迫る。

コロナ禍で生まれた、新たな観光の形

塚本さんが観光事業に足を踏み入れたのは、2020年のコロナ禍がきっかけだった。自身の会社で事業の柱となっていた自動車販売業はそこまで影響を受けなかったが、地元広島の観光が壊滅的なことに心が痛んだ。

「宮島に渡る観光客がゼロに近かったんです。なにか役に立てることができないものかと悩みました」

そのとき頭に浮かんだのが、会社で所有していた12人乗りのプライベートクルーザー。もともとは社員や顧客のために利用していた船を国土交通省に登録し、不定期航路事業者として運航できるようにしたのだ。

大人数での移動が制限されるなか、家族や友人だけで楽しめる「プライベートクルーズ」は、安心と特別感を兼ね備えた新しい観光スタイルを作り出した。さらに、国の旅行支援事業として、ワクチン接種を済ませた人には割引が適用される仕組みも始まった。こうした状況も追い風となり、少人数でゆったりと海を渡るクルーズツアーは、「密を避けながら旅を楽しみたい」という人々の思いに応えるものとなる。

加えて、塚本さんが取り入れたのが、ドローン撮影だ。普段は見ることのないアングルで、旅の思い出を映像に残せるこの取り組みは、観光地へ足を運ぶことをためらう人たちの心を惹きつけた。

「海から宮島を眺める体験を提供している業者は、当時、他にありませんでした。私はただ、自分が子どもの頃に見た景色を、多くの人に届けたいと思ったんです」

宮島の対岸にある宮浜温泉組合からも反応があった。宿泊客が激減するなか、「クルージング」を新たなアクティビティとして取り入れたい、と協力を要請されたのだ。

幼少期から刻まれた、宮島への特別な思い

塚本さんにとって、宮島はただの観光地ではない。幼い頃から特別な意味を持つ存在だった。
宮島から約8キロ沖に位置する「江田島」で漁師の家に生まれ、年に一度の「管絃祭」(※)では家族で船を出した。大鳥居の近くには、数十隻もの漁船が連なり、塚本さんはロープで繋いだそれらの船をぴょんぴょんと渡り歩いて上陸したという。街道沿いにぎっしりと並ぶ露店。島全体が祝祭ムードに包まれていた。

「あの光景は今でも鮮明に蘇ります。宮島は漁師にとって、海の安全や豊漁を祈願する神聖な場所であり、生活そのものと結びついていたんです」

この体験は、「宮島は敬うべき神の島」という感覚を塚本さんに強く刻んだ。だからこそ、コロナ禍で宮島から人が離れる様子を、見て見ぬ振りはできなかった。なんとか協力したい、と立ち上がったのだ。 

「幼い頃、海から眺めた厳島神社。それこそが本来の姿です。平安時代の匠は、満潮時に神殿が海に浮かんで見えるように設計しました。朱色の柱や白壁が水面に映る光景を見れば、観光客に真の美しさを伝えられると思ったんです」

(※)管絃祭(かんげんさい):厳島神社で毎年旧暦6月17日に行われる神事。日本三大船祭りの一つに数えられる大規模な祭礼で、平安時代の宮廷雅楽(管弦)を海上で再現する。

敬いの気持ちとともに巡る、歴史ある美しい宮島

塚本さんの宮島に対する思いは、クルーズツアーの内容にも色濃く反映されている。

代表的なプラン、「厳島神社 海上参拝体験」では、観光客の目線を大切にし、見せ方に工夫を凝らす。厳島神社を鳥居越しに正面から望めるベストポイントへと船を進め、さらに大鳥居の間近まで寄せることで、その高さや太さ、天然木の質感までも実感してもらう。タイミングが満潮と重なれば、鳥居をくぐり、神殿へと案内することもある。参加者から「夢のような体験」「特別な時間を過ごせた」といった感想を聞くことも珍しくないという。

「今では、干潮のときに陸から大鳥居へと歩いて行く方も多いですが、厳島神社は海上から参拝するのが古来の習わしです。その際には必ず帽子を取っていただき、『二礼二拍手一礼』の作法もきちんとお伝えしています。神に対する当然の礼儀だからです」

鳥居に船を進める際、手前で舵を左に切って3周旋回するのも、「管絃祭」のしきたり倣ったものだ。神社に詣でるとき、「手水」で心身の穢れを洗い清めるのと同じ意味を持つのだそうだ。

「1000年以上の時を超えて佇む厳島神社。先人が細部にまでこだわり、巧みに造り上げた技術力の高さを海から実感していただきたいですね。そして、長い歴史を繋いできた人々の信仰の厚さにも触れてほしい。そうすることで、宮島を『神の島』として敬う気持ちが自然に芽生えるんだと思います」

また、「管絃祭見学ツアー」では、雅楽の調べに合わせて勇壮に進む御座船を追走し、平安絵巻さながらの風景を目にすることができる。夜になり篝火を炊いて走る姿も幻想的で美しい。漕ぎ手が火の粉から船を守るために海水をかけ続ける様子も、船上だからこそわかる光景だ。

そのほか、宮島をぐるりと一周するプランも人気だ。神が宿るとされる宮島は、住民たちが暮らすエリアがごく一部に限られており、今だ手付かずの自然も多く残る。その姿を海から捉えた参加者たちは、「宮島には、まだこんな奥深さがあったのか」と感動を口にするという。また、ドローンの映像からは、まるで自分たちが「神の島」に抱かれているような感覚を持つこともあるそうだ。

「宮島の観光業を応援したいという気持ちが強いんです。もちろん国内外から多くの観光客が訪れますが、日帰りで楽しむ方が大半。時間をかけてじっくりと宮島のすばらしさを体験していただくために、クルーズツアーを利用してほしいんです。そのために、プランも多岐に渡りっています」

実際、広島駅からアクセスしやすい港を発着点とするプランや、船に乗ったまま宮島近隣の美術館へ案内するプランもある。すべての発想の中心には、「宮島の魅力をより深く伝えたい」という塚本さんの思いがあるのだ。

安心して楽しむクルーズには、安全が最優先

クルージング事業を軌道に乗せるなかで、塚本さんがもっとも重視しているのが「安全」だ。

「船は観光を支えるツール。絶対に事故を起こしてはいけないんです。安全はすべてにおいて優先されるべきです」

近年、クルージング業界ではエンジントラブルによる座礁事故なども発生している。そこで、塚本さんが中心となって立ち上げたのが、「広島クルーズ安全推進協議会」だ。小さな油断が大きな事故に繋がることを熟知している塚本さんは、海上保安庁と連携し、事業者向けに安全講習会を実施。会員には共通ステッカーを配布し、安全を最優先する船であることを示す取り組みを始めた。さらに、第6管区海上保安部長から任命された「海上安全指導員」という立場で長年活動していることが評価され、海上保安庁から表彰も受けている。

「実は、中国運輸局管内で、安全推進協議会が立ち上げられたのは初めてだったんです。これまでは事業者ごとに安全意識に差がありましたが、お客様のことを考えれば、海の安全を徹底して守ることこそ最優先。それがあって初めて、お客様に安心して楽しんでいただける観光資源になります。広島の観光、そして宮島や宮浜温泉の観光を海から盛り上げていくためにも、今後も積極的に活動を続けていくつもりです」

小型船だからこそ感じる「海の中にいる」感覚

夏の午後になると南からの風が吹き、出航場所の廿日市大橋付近では波が立つことがある。しかし宮島に近付くにつれ、驚くほど水面は静まり返り、まるで鏡のようにきらきらと反射する。塚本さんは「このエリアだけが特別に守られているように感じる」と話す。

宮浜温泉の前に広がる海もまた美しい。近隣に工業地帯があるため意外に思われがちだが、実際には透明度が高く、船のスクリューがかき混ぜた水が青白く輝いて見える。

こうした海の表情を間近で味わえるのが、塚本さんの操る12人乗りクルーザーだ。小型船だからこそ波しぶきが手や顔に掛かることもあり、「海の中にいる」という非日常感を味わえる。塚本さんは、この親水性をより多くの人に体験してもらうため、免許がなくても操縦できる小さなタグボートも開発している。

さまざまなアイデアで観光事業を後押ししようと力を注ぎ続ける塚本さん。その挑戦の原動力は、宮島へのリスペクト。ただその一点に尽きる。

未来へ繋いでいきたいものは何か?

最後に、塚本さんに未来へ繋いでいきたいものは何か、と尋ねた。

「私は、海に育ててもらったと思っています。大好きなこの海と宮島の魅力を、観光を通して伝えていくことが、私の役割であり、喜びでもあるんです。

これまでの活動は、多くの人とのご縁があったからこそ実現できたこと。さまざまな人に出会い、支えていただいたことで、改めて海のすばらしさを知り、宮島に対するリスペクトの気持ちも強くなりました。

今後…、そうですね…。私の思いに共感し、活動を広げて今後に繋げてくれる人を増やせればいいですね。そのためには、まず私がアイデアを出し、先陣を切って挑み続けることが大切なのかもしれません」

塚本さんの取り組みは、単なる観光ビジネスではない。海から宮島の美しさを伝えることで、これまで積み重ねられてきた歴史や文化を、次の世代へと繋ごうとしているのだ。

先陣を切り挑戦を続けることは、容易いことではない。時に、大きな波に押し返されそうになることもあるだろう。だが、その根底にある深いリスペクトが、船をさらに未来へと誘うのだ。