
2000年の伝統を未来へ——能登上布が継承する技術、そして職人たちの思い
山崎隆・久世英津子
Yutaka Yamasaki and Etsuko Kuse
羽咋市 [石川県]
山崎隆(やまさき・ゆたか)
石川県羽咋市出身。4代目織元、株式会社山崎麻織物工房代表取締役社長。40代半ばで電機メーカーを退職し、家業を継承。そこから技術を身につけ、現在、図案企画やデザインを行いながら、絣柄の要である手染めの職人として工房を率いる。
久世英津子(くせ・えつこ)
石川県金沢市出身。株式会社 山崎麻織物工房 専務取締役。
幼い頃より、3代目である祖父の仕事を間近で見て興味を覚える。大学卒業後、大阪の国立博物館にてコンテンツ制作・保存業務に従事後、現在、営業や広報、商品企画を担当し、「伝え手」として、未来へつながり愛され続ける能登上布の価値を提案する。
神代より、およそ2000年もの歴史を持つ能登上布。江戸、明治、昭和とその技術は受け継がれ最盛期を迎えるものの、時代とともに需要が減少し、現在では山崎麻織物工房が唯一の織元である。3代目が「こんなによいものを残さないのは罪」とまで語った能登上布の魅力、加えて、唯一の織元としてこだわり続ける伝統文化継承への思いについて、詳しく伺った。
唯一の織元となってもつないだ、ものづくりの伝統と文化

「能登はやさしや 土までも」。これは江戸時代、加賀藩士がその地を旅した際に人々の優しさやあたたかさを表現した言葉だとされている。
石川県能登半島は11月中旬ごろには初雪が見られ、曇りや雨の日も多くなる。だが、寒さ厳しい自然環境におかれながらも心穏やかに過ごし、訪れた人をあたたかく迎えるのがこの地に暮らす人々の人柄だという。
そんな能登でつくられているのが、「能登上布」だ。麻(苧麻)を紡いだ糸で絣柄を織り上げた上質な麻布のことで、石川県の無形文化財にも指定されている。現在、この地に残る能登上布の織元はただ1軒のみ。手仕事によるものづくりの技術を受け継ぐ「山崎麻織物工房」である。女性を中心に20人ほどの職人が働く工房には、朝から糸繰や機織りの音が響く。4代目を継承する山崎隆さんは、絣柄の要ともいえる「手染め」の職人である。
能登上布の歴史は古い。今から遡ること約2000年。日本がまだ神々に治められていたと伝えられる「神代」、崇神天皇の皇女が、中能登地方で麻を使い機織りを教えたことが起源とされている。その後、この地域の伝統文化として根付いた技術は江戸時代に向上、明治時代には皇室への献上品にも選ばれ、さらに昭和に入ると、石川県内に120軒以上もの織元が生産を行い最盛期を迎える。だが、戦後の生活様式の変化は、能登上布を取り巻く環境にも大きな影響を及ぼす。洋服の需要が増加したことにより着物離れが進み、織元の数は徐々に減少、「滅びゆく能登上布」と表現されるまでになったのだ。そしてついに、昭和57年には山崎麻織物工房だけが残った。
このとき、3代目である山崎さんの父は次のように語ったそうだ。
「こんなによいものを残さないのは罪だと思う」。
長い歴史を紡いできた先人たちへの敬意と能登上布への愛情も、そこにはあったのだろう。しかし一方で、息子である山崎さんには「継ぐ必要はない」とも告げていたという。
「経営していく難しさを、誰よりも父が感じていたからでしょうね。事実、能登上布だけではやっていけず、撚糸で生計を立てていた時期もありましたから」
山崎さんの姪である久世英津子さんも、当時を思い出しながら次のように話す。
「幼い頃から、祖父が懸命に能登上布をつくる様子を目にしていました。今考えると、唯一残った織元として伝統文化をつないでいかなければ、という使命を感じていたんだと思います」
次の世代に受け継いでいく難しさを知りながらも、3代目が「残さないのは罪」とまで語った能登上布。その理由は、長い歴史を経て育まれた「手仕事によってつくりだされる究極の美しさ」にある。麻糸を仕入れ、そこから1枚の上布に織り上げるまでの作業は、機械に頼ることなく、すべて人の手で行う。その工程は100以上にも上り、仕上げるまでに1年という歳月を要することもあるそうだ。
繊細な絣柄を生み出す匠の技

能登上布ならではの特徴として挙げられるのは、手染めと手織りから生まれる繊細な絣柄。加えて、麻特有の「蝉の羽」にも例えられる透け感と、身に纏っていることを忘れてしまうかのような軽さである。
「蚊絣や十字絣などの幾何学的な模様から、雪輪や雲型など能登の景色を映し出した模様まで、着物で100以上、帯で50以上もある絣柄は、手染めの糸を正確に織り進めることで現れます」と山崎さん。

能登上布の染めは、糸を括って染料に浸ける一般的な方法ではなく、主として「櫛押し捺染」という技法が用いられる。これは、櫛型の道具と定規を使って直接染料を刷り込んでいく能登上布ならではの技法だ。染めの職人である山崎さんは、絣柄がずれないよう細心の注意を払いながら、木枠にピンと張られた糸に、染料の付いた櫛形の道具を押し当てていく。柄を熟知し、織り上がりの縦糸の正確な位置をイメージできてこそ務まる職人技は、見ている者を圧倒するほど美しい。むろん、織り上がった細かい絣柄は寸分の狂いもなく、凛とした上品さとモダンな印象を併せ持つ。
100以上もの作業工程を川の流れに例え、山崎さんはさらに説明する。
「上流で1つでもミスをすると、川下の織りに影響が出てしまうんです。例えば、上流の工程である糸繰では、縦糸だけでも1,200本以上に及ぶ細い麻糸を切らないよう、丁寧で慎重な作業が求められます。というのも、もし切れてしまうと結び目ができ、きれいな仕上がりにならないんです。そこからさらに染めを経て織りに至るまで、すべての工程が川の流れのように続いていきます。職人たちは自分の作業をこなしながらも、次の工程の職人への配慮を欠かしません。チームワークがあってこその作業です」
伝統と革新で紡ぐ、現代にも通じる能登上布の価値

ここ数年、山崎麻織物工房には毎年2〜3人の新たな織子が加わっているそうだ。職人が育たず、継承の道を絶たれる事業者も多い伝統工芸の世界では、かなり珍しい状況といえる。その一翼を担っているのがSNSだ。
「私たちが発信しているSNSをきっかけに能登上布に興味を持ち、自ら工房を訪れる方が多いです。、私たちの理念にも共感してくれているのだと思います」と久世さん。
能登上布の伝統を受け継ぎたいと、自ら門を叩いた職人たちは、2〜3年を掛けじっくりと織りの技術を習得する。そして経験を重ねながら、気温や湿度によって変化する麻糸の特性を理解し、熟練の技を身につけていく。その際、山崎さんが職人たちに必ず伝えているのが、「出来上がった作品をどんな人が身につけるのかを想像する」こと。作品に込められた思いが、能登上布の価値をさらに一層高めているといえる。
そんな中 2021年、山崎麻織物工房は高価な着物や帯と、ストールやアクセサリーなど小物から能登上布を日常で愉しめる自社ブランド「能登上布 YAMAZAKI NOTOJOFU」を新しく立ち上げる。そのブランドロゴには、着物の襟と十字絣の模様をアレンジ。あくまでも伝統的なものづくりを基盤とし、和の文化や絣模様を現代にも取り入れてほしいという願いを表現している。
同時に、それまでの流通経路を見つめ直し、自分たちで直接お客様に作品を届ける取り組みもスタート。会社の広報や商品企画を担当する久世さんは次のように話す。
「ここ数年は、『能登上布 YAMAZAKI NOTOJOFU』を手に、自ら百貨店などの催事に出向いています。初めて能登上布を手にしたお客様からも、普段の暮らしに手軽に取り入れることができると、大変好評を得ています」
「伝え手」の立場を意識している久世さんは、その際、お客様とのコミュニケーションを大切にしている。職人たちの作業の様子をお客様に丁寧に伝えているのだ。また、工房に戻れば、作品を手にしたときのお客様の感動の声を職人たちに必ず伝えている。作品を通じてそれぞれの思いを通わせることを大切に思ってのことだ。
さらに、山崎麻織物工房の挑戦は続く。身に纏ってこそわかる能登上布の着心地の良さを伝えようと、翌年には、特別な日常着のファッションブランド「凛装(RINSO)」を発表。シャツやジャケット、パンツなど、和の要素を洋装にアレンジし、伝統文化が培ってきた美意識を現代に反映させている。能登上布の存在を初めて知った方や、普段着物を身につけることがない方からも、上布ならではの特別な麻の生地感や手織りからうまれる透け感が素敵だとの声が聞かれるという。
「大切なことは、能登上布の価値を伝えていくことなんです。作品の形は違っても、絣柄の美しさや手織りの透け感などを感じていただけるものづくりを大切にしています」と久世さん。
「能登上布 YAMAZAKI NOTOJOFU」の立ち上げは、山崎麻織物工房にとって新たな一歩といえる。着物に触れる機会も、ましてや着る機会もほとんどなくなった現代の日本人にとって、伝統文化を知る貴重なきっかけとなっていることは言うまでもない。しかも、着物文化がない海外の方が「凛装」を購入することもあるという。手にしたものの美しさや風合い、品質の確かさは言語の壁を超え伝わるのだ。
震災を乗り越え決意する、未来へつなぐ本物のものづくり
そんな矢先に起こったのが能登半島地震である。発災の30分後に工房に到着した久世さんが目にしたのは、ガラスが割れて散乱したショールームと、多くの機械が倒れた工房2階の光景だったという。
「ですが、なんとか1か月後には工房での作業を再開できたんです。自らも被災しながら、懸命に作業を行う職人たちには感謝しかありません。
私が今できることは、多くのお客様に能登上布を知って頂き、目の前の職人を守ること。唯一の織元となっても懸命につくり続けた祖父の姿を思い浮かべると、職人たちが働きやすい環境を整えることが私の役割だと感じます。職人あってこその能登上布。叔父も私も、それを大切にしています」
未来へ繋いでいきたいものは何か?
最後に、山崎さんに能登上布の未来について伺った。

「能登に生まれ育った私が思い浮かべるものにはすべて、能登のフィルターがかかっているんです。自然の美しさ、人々のひたむきさ、そのすべてが私の感性となり、作品を通して表現されています。これからもその感性を大事に、職人たちとともに『いいと思えるものづくり』を続けていくこと、それが私の使命なのかもしれません」
ここ能登の地で2000年もの間、職人たちがつないできた技術。その手によって生み出される1枚の能登上布には、本物のものづくりをさらに未来へとつないでいこうする、彼らの決意も込められている。