
“見える”工房がひらく、漆器を日常へつなぐものづくりのかたち
守田貴仁
Takahito Morita
加賀市 [石川県]
守田貴仁(もりた・たかひと)
守田漆器代表。石川県加賀市・山中温泉出身。大学では電子工学を学ぶ。卒業後の進路を考えるなかで、京都で工芸の現場に触れたことをきっかけに漆器の世界へ進み、家業である守田漆器に携わる。現在は経営者として工房全体を統括し、山中漆器の木地挽き技術を基盤に、薄挽きによる照明や漆のアクセサリーなどの製品開発を行う。2022年には、オープンファクトリー兼体験拠点「工房 静寛(じょうかん)」を開設し、漆器づくりの工程公開や木地挽き体験、若手職人の育成に取り組んでいる。
山中温泉の漆器づくりは、温泉地のにぎわいとともに育ってきた。土産物として全国に届けられ、やがて日本有数の漆器産地へと成長していく。その土台にあるのが、器の要となる木地挽きの技術だ。
若い世代に漆器文化が伝わりにくい時代となるなか、守田漆器は「見に来てもらう」「触れてもらう」「つくってもらう」ことを通じて、漆器との距離を縮めようとしている。2022年に開いた体験型の工房は、作り手と使い手をつなぎ、産地を次の100年へ手渡すための拠点でもある。
記録は失われても、技術は残る―守田漆器のものづくりの現在
守田漆器の創業は明治42年(1909年)。しかし当時の詳細な資料は残っていない。大正時代に山中で火事があり、守田家も被害を受け、創業期の品や道具、記録の多くが失われたためだ。
だからこそ守田さんは、今、目の前の仕事に誠実であることを重視する。「家訓として言われたわけではない」としながらも、仕事の根にあるのは“真面目にものづくりをする”という姿勢だという。
「お客様に届けるものとして、どう作ることが一番誠実なのか。真面目に考えてやっています」
その姿勢が最も分かりやすく現れているのが、薄挽きによるライト(照明器具)だ。光を透かすほど薄く削り出した木地は、見た瞬間に驚きを生む。
では、どこまで薄くできるのか。限界は何で判断するのか。
守田さんの答えは、潔い。
「感覚です。触りながら、手の感覚で、もうちょっといける、もうやめとく、って判断です」
薄挽き自体は数年の経験でもできるようになる。しかし、10個、50個、100個と“安定して”つくるのは別の話で、そこには10年選手の域が必要になるという。
精密さの裏には、地道な蓄積がある。

アクセサリーや照明など、従来の漆器の枠を超える取り組みも進めている。
守田さんが語るきっかけは、「固定化すると面白みがなくなる」ことへの問題意識だった。
特にアクセサリーは、“漆が塗ってあるからすごい”では手に取られない世界。可愛い、綺麗、かっこいい——まずデザインとして魅力があることが前提になる。そこで守田漆器は、デザインの力を借り、「漆が活きる場所」を探してきたという。
また、ガラスや金属への漆塗りは、公的な研究機関と連携しながら進めた。技術センター、工業試験場など、地域のサポートを得て、時間をかけて実現していく。
「分からなくても、一緒に探してくれたりする。そういう支えがあるので、新しい展開ができた」
産地の強みは、職人だけではない。周辺の仕組みも含めて“技術を育てる土地”がある。
山中温泉という土地と産業が育てた、漆器産地のかたち
山中温泉という土地性は、産業構造の変化とも深く結びついている。
守田さんが語る大きな転換点は、高度成長期の動きだ。創業地を離れ、現在の「漆器団地」と呼ばれる工業団地へ移ったこと。大量生産の時代、ものが大きく動くなかで、職人も多く、産地としての仕組みが形づくられていった。
「大量に作って世の中に届けるスキームができたのは、大きかったと思います」
山中が観光と結びつきながら発展してきた背景も、ここにつながる。温泉地であり、人の流れがある土地だからこそ、「つくる」と「届ける」が結びつきやすい。守田さんは、山中温泉という土壌が産地を押し上げたと捉えている。

山中漆器を語るうえで欠かせないのが、「縦木取り」。守田さんは、木の使い方を住まいの構造に例えて説明する。
板をスライスして使う“板取り”に対し、山中の縦木取りは丸太を輪切りにして使っていく発想に近い。乾燥をきちんと行えば、その後の狂い(反り・ゆがみ)が少なく、繊細な加工にも耐えやすい。
「毎回同じように削れない。木は一つ一つ個性がある。だからこそ長年のデータと技術が武器になります」
“木と対話する”。山中の木地はまさにそれを体現している。
特化しないという選択。産地を支えるためのものづくり
山中漆器は分業の産地だ。木地、塗り、蒔絵。工程が分かれているからこそ、漆器は成り立つ。
守田さんが語る「守田漆器ならでは」の差別化は、意外にも“尖ること”ではない。
「木地に特化、塗りに特化、蒔絵に特化、ではなくて。漆器は各工程の職人がみんないないとできない。総合的に漆器が作れる土壌を大事にしたい」
一定の規模があるからこそ担える役割——それは、どこか一部分を突出させるより、産地の循環を支えること。守田さんの言葉には、産業として続けるための現実感がにじむ。

2022年、守田漆器は「工房 静寛(じょうかん)」を開いた。オープンファクトリーとして、ガラス越しに木地挽きから塗り、蒔絵までの工程が見られる。
当初、職人には「見られながら仕事をする」戸惑いがあった。しかし、始めてみると意外な感想が返ってきたという。
「孤独感がなくていい、とか。視線が気になる場合もあるけど、集中していると気にならない、とか。人がいるのが嬉しい、って言ってくれる」
さらにワークショップなど、人と触れ合う時間が刺激になる。
“見せること”は、作り手のモチベーションにも作用していく。

静寛では体験も行っている。絵付け体験は各地にあるが、木地挽きは珍しい。理由は明快だ。そもそも木地挽きをしている工房が少ないうえ、設備も高価で、技術も必要になる。
それでも、体験した人の反応は明るい。
「難しい、って言われます。でも、すごく喜んで帰られる。ぐったりして帰る人はいない。楽しかったって言ってくれる人ばっかり」
刃物で木を削る作業は、削りすぎたら元に戻せない。そこにあるのは、ほどよい緊張感と没入感。
“自分の手でつくる”体験が、漆器への入口になる。

工房の運営で最も難しいのは、若手をどう続けてもらうかだと守田さんは言う。
「やりたい」と飛び込んできた人が、途中で「やりたいけどできない」と折れないようにする。技術以前に、続けられる環境を整えることが課題になる。
次の世代へ伝えたいのは、「見識を広げ、技術を磨くことを怠らない」姿勢。
そして、若い頃に言われた言葉が今も残るという。
「いろんなことやってみろ」真面目に丁寧に作ることと、自由に発想すること。
相反するように見える二つを両立させることが、守田漆器の現在地だ。
未来へ繋いでいきたいものは何か?
守田さんが未来へ繋いでいきたいと考えているのは、漆器という製品そのものではない。それは、山中という土地が、これからも漆器をつくり続けられる場所であり続けることだ。

「漆器屋さんでいて、メーカーであってほしい」
この言葉に込められているのは、“つくる現場”が失われないことへの願いだ。
工房のキャパシティを活かして職人を増やし、新しいものを作り続ける。産地が“作れる場所”として機能しなくなった瞬間、文化は途切れてしまう——その強い危機感がある。
「触れて、見て、使って、自分で作ってみる体験を通じて、漆器の文化を少しでも分かってもらえたら。毎日の食卓で、これで味噌汁を飲むと美味しいな、って思ってもらえたら嬉しい。使ってみると、絶対いいなって思ってくれると思う」
守田漆器が次の世代へ手渡そうとしているのは、“いいもの”を知識として教えることではなく、体験を通じて実感できる入口そのものだ。
漆器のある暮らしへと続く、その扉を、これからも開き続けていく。