白九谷「tocowa」に込めるジャパニーズスピリット

公開日:

陳宮吉緯

Miyayoshi Wei Chen

小松市 [石川県]

陳宮吉緯(チェンみやよしウェイ)
台湾台北市出身。台湾の大学で日本語を学んだ後、千葉県麗澤大学へ留学。卒業後は同大学関連の公益財団法人職員となり、社会教育や学校教育に関わる。結婚後は、妻の実家である「宮吉製陶」の一員となり、現在は広報や商品開発、観光事業にも携わる。

石川県小松市にある、1972年創業の宮吉製陶。ここは、九谷焼の素地成形を行う窯元だ。現在、窯元の見学や体験ツアーの案内を任されているのが、2代目の娘婿である陳宮吉緯さん。規模が縮小していく一方の九谷焼の世界で、素地成形の窯元としての強みを活かした、自社ブランド「tocowa」の立役者でもある。九谷焼窯元で陳宮吉さんが考える自らの「役割」とは?そして、その根底にある「精神」とは?

九谷焼の窯元として、自らができることとは

石川県小松市で1972年から九谷焼の素地の成形を行う宮吉製陶。現在は、2代目である宮吉勝茂さんが率いており、それを支えているのが3代目となる息子さんと娘婿の陳宮吉緯さんだ。台湾出身でありながら小松市に居を構え、九谷焼の素晴らしさとともに、作品に込められたものづくりの精神を伝えようと活動している。

宮吉製陶は家族経営を行い、さらに20名以上の従業員を抱えている。九谷焼産地の素地におけるシェアは70%に及び、小松市内の色絵付け問屋はもちろん、全国で活動する九谷焼作家にとって、なくてはならない存在だ。

工房での素地成形に使用されているのは、ローラーマシンや圧力鋳込みなどの機械と、ろくろ手挽きや型打ちといった手作業の道具。大手の飲食店などから大量発注される素地に関しては機械を用い、作家からの細かい指示があるものについては手作業でつくられている。

「九谷焼の素地の特徴は、青みがかった美しい白い色。これは、原料となる花坂陶石がもたらす色なんですよ」

宮吉製陶から車で数分の距離にある花坂陶石山。ここから「花坂陶石」が採掘され、素地となる粘土に加工される。有田焼で使用される天草陶石の際立った白さとは違い、「青みがかった白」に仕上がるのは、花坂陶石に多く含まれる鉄分が影響しているから。

「花坂陶石を使わなければ九谷焼とはいえない」とも言わしめるのは、その青みがかった美しい白が、人々の心を虜にするからだろう。

「ただ、素地成形の窯元はここ数年減少する一方です。昔は、小松市内に数十件もあったそうですが、うちのような大量生産形態では実質、現在ではうちともう1軒のみ。うちが辞めてしまったら、九谷焼そのものが成り立たなくなってしまいます。窯元として、つくり続けることへの責任を日々感じています」

陳宮吉さんの思いは、義父である社長の方がより強く感じているという。「自分たちの役割を果たし、地域に貢献しないといけない」と口癖のように語り、九谷焼を次の世代につないでいくことの大切さも常々説くそうだ。陳さんはこんな話を聞かせてくれた。

「私が宮吉製陶に来たばかりのころ、九谷焼の観光拠点となる施設を立ち上げようという話が持ちあがったんです。地域のために、九谷焼のために、自分にできることがないかといつも考えていた社長は二つ返事で賛同しました。当時、窯元の組合長だったこともあり、すぐに窯元一軒一軒に出向き、施設立ち上げに協力してくれるようにと頭を下げて回ったんです。ところが、これが順調には進まなかったんです」

九谷焼の規模自体が縮小し続けている状況に置かれ、後ろ向きの姿勢になっていた窯元の多くが、新たなプロジェクトへの関心を持てなかった、というのが理由である。当然、賛成の手を挙げる窯元はほとんどなかった。だがそれでも、社長は諦めなかったという。自らの役割を果たすべく、他の窯元へ何度でも足を運び、何度でも頭を下げた。そこにあったのは、九谷焼の未来にかける熱い思いと、窯元としての誇りだったのだろう。「私には到底できることではありません。すごいことです」と、陳宮吉さんは話す。だが、そんな社長の姿は、陳さんに自らの役割を問う機会を与えたようだ。

窯元としての新たな挑戦、白九谷「tocowa

九谷焼では古くから、素地成形、色絵付け、問屋と、製造から卸しまでの工程が分業制で行われており、素地成形の窯元でつくられた焼物が問屋の手に渡って、問屋内、もしくは絵付師のところで行った絵付け商品はお客様が買い求める店舗に並ぶ。その際、作品に付けられる価格の決定には、販売ルートを持つ問屋が大きな権限を持っている。極端な話、窯元から問屋が買った元値がお客様の手に渡るときには、その10倍になることもあれば、100倍以上に跳ね上がることもあるのだ。一方、素地成形の窯元は、作品を問屋に買ってもらわないと経営が成り立たない。時に、当時では彼らの「言い値」、今は「問屋価格」に従うしかないのだ。強い立場の問屋と、言われるがままの窯元。これは長く続く風習のようなもの。陳宮吉さんが宮吉製陶の一員として働き始めた頃も似たような状況だったという。

「正直、今の時代に合ってないと思いましたね。職人が魂を込めて仕上げた作品の価値を、正しく伝えるべきだと感じたんです。作品の価値を伝えるということは、ひいては九谷焼の価値そのものを広く知ってもらうことにもつながります」

その頃、問屋の状況も徐々に変化していたという。後継者不足による廃業である。これは、窯元にとって「販売」そのものができなくなるということを意味する。

そこで陳宮吉さんは、妻と3代目となる弟とともに、「窯元自らが直接お客様に作品を届ける」という新たな挑戦を試みる。
「その場合、デザイン力に乏しい私たちが色絵付けをしても、お客様に認めてもらえるような作品はつくれません。素地づくりに特化した宮吉製陶の強みを活かすには、『白いもの』で勝負するしかないと思ったんです。それを私たち自らお客様に販売する。オリジナルブランド『tocowa』のはじまりです」

青みがかった白色で統一された「tocowa」の作品は、九谷五彩や金彩を使った色鮮やかできらびやかな九谷焼とはまったく別物の印象を受ける。だが、花坂陶石が織りなす自然の色そのものを作品に映し出せるのは、素地づくりの窯元だからこそだ。シンプルな中にも凛とした佇まいを感じる「tocowa」の作品は、幅広い年齢層の人々に受け入れられ、「白九谷」とも呼ばれている。

「そもそも、『白九谷』というジャンルがあったわけではありません。白い器を気に入ったお客様たちの間で、数年前から自然発生した呼び名です」

いつも若々しく命の輝きを放ち続けるという意味を持つ神道の精神、「常若(とこわか)」に由来して名付けられた「tocowa」には、陳宮吉さんたち若手の決意表明も込められている。それは、職人の技と作品の価値を自らの力で正しくお客様へ届ける、という揺るぎない覚悟ともいえる。そればかりではない。九谷焼に関わってきた先人たちの誇りを守りたい、という祈りにも近い思いもあったに違いない。

ただ、長い歴史を持つ九谷焼であるがゆえ、「白九谷」を異端視する人もいるのではないだろうか。

「その通りです。きっとそう思われているでしょうね」と、陳宮吉さんは軽やかに微笑む。
「ですが、時代とともに生活様式が変化し、白いものが求められるのであれば、それをつくるのが私たちの役割です。しかも、数百年の歴史を持つ九谷焼の窯元として受け継いできた伝統と技術は、すべて『tocowa』に活かされています。そもそも九谷焼は白い素地があってこそ成り立つもの。私たちの作品は、印象は違っても、九谷焼であることに変わりありません」

私が九谷焼に情熱を注ぐワケ

台湾で生まれ育った陳宮吉さんは、なぜそこまで九谷焼に情熱を注ぐのか。それを知るには、陳宮吉さん自身のこれまでの歩みを振り返る必要がある。

台湾の大学に通い、日本語学科で学んでいた彼は、本格的に日本語を学ぶために留学を決意する。そして千葉県の大学に入学し、さらに大学院へ。卒業後は、台湾に戻ることなく同大学関連法人職員となり、そこからおよそ10年間、社会教育や道徳教育、学校教育に関わるようになる。

「主に社会教育に関わる中で、私自身学ぶことも多かったんです。それは、どのような環境に置かれ、どのような状況だとしても、すべては自ら考え、答えを出し、行動する必要があるということ。自分の人生は自分でつくりあげていくものだと気づいたんです。なので、九谷焼の世界に入り、どんどんと縮小していく様子を目の当たりにしたとき、私自身が九谷焼とどう向き合って、何をやるべきか、ということを考えました」

厳しい状況にある九谷焼の窯元で、その価値を見出し、自らの役割を導き出した陳宮吉さんのルーツは、日本での学びにあったようだ。

現在、陳宮吉さんは、宮吉製陶の見学や体験ツアーに訪れる人たちの案内役も担当している。そのときに必ず伝えるのが、職人たちのことだという。

「職人さんたちは皆、愛情や祈りとともに作品と向き合っています。お客様の幸せを祈りながら、ものづくりに取り組んでいる彼らの様子は、必ず伝えていますね。それを聞くと、お客様も自ら手にした器により一層愛着を感じ、大切に使おうと思ってくださるようです。ただ、『大切にしすぎると、私たちの商品が売れなくなるのでほどほどに』と言うと、皆さん笑わっておられます」

ツアーの最中は、常にお客様と職人との心を通わせる「つなぎ手」に徹する。作品の素晴らしさを伝えながらも、同時に、それを生み出す職人の魂をも伝えようとしているのだ。陳さんが案内することで、宮吉製陶の作品の価値は一段と深いものになっている。

未来へ繋いでいきたいものは何か?

自分たちの役割を果たし、地域に貢献しないといけない、という社長の思いを継ぎ、陳宮吉さんは、「これからも九谷焼を広く知ってもらう活動を続けたい」と話す。そのための「tocowa」なのだ。異端と言われながらも、「白九谷」として多くの人に受け入れてもらうことこそが、自分の役割だと信じている。

「千葉で働いているときにもう一つ学んだことがあります。それは『ジャパニーズスピリット』なんです。さまざまな日本古来の伝統文化にも触れさせていただく中で、日本という国のことや、人やものを大切にする日本人の心にも触れました。それは九谷焼で受け継がれる『ものづくりの精神』にもつながります」

九谷焼の器一つ一つに込められているものは、職人の祈りであり、魂であり、それを世に送り出そうとする陳宮吉さんたちの願いである。

陳宮吉さんが未来へ繋いでいきたいのは、器そのものだけでなく、人やものを大切にしながら文化を育んできた「ものづくりの精神」——すなわち『ジャパニーズスピリット』そのものなのだ。
与えられた環境の中で、自らの役割と真摯に向き合う。ただひたすらに、ときには果敢に。陳宮吉さんの姿から、日本人が忘れがちなその精神を、改めて教えてもらった。