出会いに支えられ宮島へ。自然あふれるこの地で紡ぐ、冒険心あふれるリトリートカヤック

西村剛志

Tsuyoshi Nishimura

宮島 [広島県]

西村剛志(にしむら・つよし)
石川県鹿島郡出身。ヨーロッパで絵描きとして活動するなか山と出会い、ニュージーランドで山岳ガイドとして10年活動。その後、沖縄・西表島でシーカヤックを学び、故郷・能登でマリンスポーツの拠点を立ち上げようとした矢先、能登半島地震で被災。2024年より宮島に拠点を移し「宮島シーカヤックNessie」を運営。カヤックを通じて、宮島ならではのリトリート体験を提供している。

夜明け前の静けさに包まれた宮島の海。日の出と同時にカヤックを沖へと進める。その幻想的な時間を案内するのが「ジョニー」の愛称で親しまれる西村剛志さんだ。美術を学ぶため渡ったヨーロッパで山と出会い、ニュージーランドでガイドとして自然を伝え、沖縄で海を知った。そして、故郷・能登で直面した大きな挫折。2024年、家族とともに新天地・宮島に移り住み、シーカヤックツアーのインストラクターとして過ごす日々に思うこと、そして、未来に描く希望とは。西村さんに詳しく伺った。

インドアからアウトドアへ。きっかけはいつも誰かとの出会いだった

日が昇る直前、夜のうちに大気が浄化された宮島の海は、波ひとつない静けさに包まれる。まるで深い湖のようなその姿に、やがてゆっくりと朝日が顔を出す。薄暗かった空が紫から薄いピンクへ、そしてオレンジの光が広がる瞬間、数艇のカヤックが沖に向かって漕ぎ出す。聞こえてくるのは、微かな風音と、パドリングの水音だけだ。

「このときのリラックス感は言葉で表せないほどです。目を閉じて静かに瞑想すると、心が浄化されていくような感覚も味わえます。しかも、朝日を浴びることで体がリセットされる。シーカヤックは、単なるスポーツではなく、リトリート効果も持ち合わせてるんです」

そう話すのは、宮島シーカヤックNessieを主催する西村剛志さん。イギリスで過ごしていた頃の愛称「ジョニー」で呼ばれることの方が、今では多いという。

石川県鹿島郡出身の西村さんが宮島に移り住んだのは、2024年。これまで世界各地をフィールドに活動してきたアウトドア派だが、小学生の頃は雨に濡れるのさえ嫌いな少年だったという。

「喘息や気管支炎を患い、年の3分の1を病院で過ごすほど体が弱かったんです。少しずつ症状が落ち着き、自由に体を動かせるようになったのは成人前くらい。今、毎日のように動き回っているのはその反動かもしれませんね」と笑う。

幼い頃から絵を描くのが好きだった西村さんは、高校生のとき友人の誘いで訪れたアメリカで、グラフィックデザインに興味を持つ。その後デザイン会社に勤めるが、本格的に絵を学びたいと、20代半ばでイギリスへ渡った。美術学校で学びながら、スペインやオランダの巨匠に憧れ模写を重ね、描くことに没頭。ヨーロッパ中を旅しながら路上で似顔絵を描いていた時期もある。

そんな日々を大きく変えたのが、オーストリアでの出会いだった。思うような絵が描けず行き詰まっていた西村さんは、宿で知り合ったハイカーに誘われ、初めて本格的なトレッキングに挑戦。山を歩きながら、植物や生き物がなぜそこに存在しているのかという説明に耳を傾けた。それまで描く「対象」でしかなかった物に「生命」を感じる経験だった。

「目にするものを生き物として捉えた瞬間、モヤモヤとした感情が晴れていくようで、一度描くことを休んで、山に集中してみようと思ったんです。それからは、山登りやトレッキング、クライミングもやるようになって、山がどんどん好きになりました」

「ターニングポイントにはいつも誰かの影響がある」と話す西村さん。ハイカーとの出会いが人生を大きく方向転換させ、山を舞台に仕事をしようと、ニュージーランドへ渡る決意に繋がった。

山から海へ、そして故郷能登から宮島へ

30歳を前に、ニュージーランドで山岳ガイドとして経験を積み始めた西村さんは、氷河の麓に拠点を構える。ベテランと呼ばれるようになる頃には、山を歩きながら、ときには、湖をボートで案内しながら、植物や氷河がなぜそこに存在し、自分たちとどう結びついているのかを解説するインタープリター(自然翻訳者)として活動した。

「実は、今でもニュージーランドの家には荷物を置いたまま。山岳ガイドとして生きるために、今、海に関わりながら生活している、というのが本当のところです。

というのも、ニュージーランドで独立しようした際、先輩から『山をやるなら、海を知るべきだ』と言われたんです。山と海は自然の循環で繋がっています。天候を予測するにも、両方を俯瞰して見なければなりません。そのことに気付いて、すぐに海の活動に転向しようと決めたんです」

西村さんが新たな活動のフィールドとして選んだのは、沖縄の西表島。ツアーを提供するショップで働きながらシーカヤックのインストラクター資格を取得し、海に没頭した2年半を過ごした。やがて、西村さんは約20年ぶりに、故郷である七尾市に拠点を移すことになる。

「日本に帰国した頃、1週間ほどかけてカヤックで能登半島を周ったことがあったんです。外で遊んだ記憶もほとんどなかったので、初めて見る景色の美しさに触れ、こんなにいいところだったんだと感動しましたね。同時に、今の子どもたちにもその価値を伝えていきたいと思ったんです。もし私のように故郷を離れたとしても、いつかは帰りたいと思える、そんな場所にしたいと」

そして、西村さんはこの地でシーカヤックやヨットセーリング、さらにサイクリングなども楽しめるショップを立ち上げようと活動を開始する。大きな倉庫には、アクティビティに必要な道具を整え、海外のプレーヤーたちへのお披露目も終わり、ついに船出を迎える段階まで辿り着いた。 

だがその直後、能登半島地震が発生。自宅、店舗、倉庫までもが大きな被害を受け、2年間を費やしたプロジェクトは中止を余儀なくされた。

「しばらくは復旧のことで頭がいっぱいで、瓦礫を片付けたり、食事の炊き出しをしたりの毎日。自分の将来のことは考える余裕もなかったですね。ただ、妻が妊娠9ヶ月でしたので、家族を守らなければと思い、一旦、妻の故郷である大阪に移りました」

そんなとき、生活再建を模索していた西村さんに声をかけてくれたのが、宮島でシーカヤックショップを営むオーナーだった。宮島を離れる自分の代わりに、ショップと一才の道具を引き継いでほしいという申し出に、家族の安全を最優先に考えた西村さんは、宮島に移る決意を固めた。

シーカヤックで届けるホスピタリティ

その年の5月、西村さんは家族とともに宮島に移る。能登での震災を経てたどり着いた新天地は、暮らしと仕事を同時に立て直す場でもあった。前オーナーから引き継いだショップ「宮島シーカヤック」に、新たな屋号「Nessie(ノージー)」も加え、宮島の海へ漕ぎ出した。Nosseiとは「能登の人」という意味の西村さんの造語。故郷のショップに付ける予定だったその名前には、再起への願いも込められている。

暮らしやすい場所、というのが最初の印象。前オーナーが住んでいた家をそのまま引き継ぎ、近所の人との顔繋ぎもスムーズに進んだため、自然と地域の一員として受け入れられた。移住者同士、気軽に付き合える仲間もすぐにできた。なにより嬉しかったのは、この島の環境だったという。

「自然が好きな人にとって、ここはパラダイスです。コンパクトな環境に、山もあって海もある。島の中心部から5分歩けば、トレッキングやハイキングコースの入口があり、反対に歩けばビーチもある。

しかもシーカヤックでいえば、瀬戸内海特有の穏やかな海のおかげで、風に悩まされることがほとんどないんです。おかげで、ツアーがキャンセルになることも滅多にありません。マリンスポーツを楽しむ条件がここまで整っている島は、珍しいかもしれませんね」

宮島シーカヤックの体験コースは、1時間半の初心者向けから、8時間以上をかける経験者向けまで幅広い。なかでも多いのが、厳島神社を大鳥居越しに海から参拝したいというリクエストだ。その姿が海からもっとも美しく見えるように設計された、世界遺産・厳島神社。案内の際には、歴史的背景も丁寧に説明している。

また、宮島の外周を回る「七浦巡りコース」では、「厳島神社を参拝する前に、島周辺の7つの浦にある神社に詣でて心身を清める」、という古来からの習わしを追体験できる。

そのほか、人気の宮島の原風景を海から巡るコースでは、人が暮らしていない島の東側や南側にも案内する。どこまでも穏やかな海をパドリングしながら眺める手付かずの自然は、神秘的でどこか安堵感をもたらす。「宮島ってこんなに素敵な場所なんですね」と涙を流す参加者も珍しくないそうだ。

「特に海外からの旅行者は、リラックスを求めて参加する方が多いですね。2〜3週間かけて日本各地を旅するなかで、賑やかな観光地の後に宮島へ来て、シーカヤックで一旦リセットする。そしてまた旅を続けるというスタイルです。特に、朝凪や夕凪の静かな海を体験するツアーや、月明かりの下で舟を出すナイトカヤックは人気です」

日本語で、おもてなしと訳される「ホスピタリティ」の語源は、ラテン語の「ホスペス」。旅人に食事と寝床を与え、体力や活力を回復させて次の旅へと送り出す、という意味を持つという。西村さんが提供するシーカヤック体験は、まさにその「ホスピタリティ」そのものだ。海で元気を取り戻し、リスタートしてほしいという願いが込められている。

「宮島に移って以来、シーカヤックで周辺の島々を巡ったり、山を歩いたりと自然を満喫しています。いつも思うのは、アクティビティにこれほど適した環境はないということ。

他の島に比べ、人の手が及んでいない自然が多いのも魅力です。地層がよく見える場所も多く、地球の歴史を肌で感じることができます。宮島特有の昆虫や植生に出会うこともあって、特に子どもたちにはぜひ見てもらいたいと感じますね」

未来に繋いでいきたいものは何か?

最後に、西村さんに未来へ繋いでいきたいことは何か、と尋ねた。

「やはり、幼いときの経験がありますので、健康に過ごす、ということには人一倍思い入れがあります。だからこそ、海や山で体を動かし、体力を維持し続けたい。健康であれば人生を楽しめますし、旅も楽しめます。その思いを共有し、一緒に実践する仲間を増やしていくことが私の役割かもしれません。土壌が整ったら、子どもたちに遊びや体験を通して自然のすばらしさを伝えていきたい。それが私が未来に描いている情景です。

フィールドは、宮島でも能登でも、ニュージーランドでもどこでもいい。目で見て、耳で聞いて、鼻で香って、触れて味わう。五感をすべて使って、自分の体と心で自然を感じる。そんな体験の場を子どもたちに提供していきたいですね」

病院で過ごしていた頃、西村さんが憧れていた「冒険」。シーカヤックは刺激的な冒険そのものだ、と話す。

自らの力で沖へと漕ぎ出すとき、目の前に広がる海に足がすくみそうになることもある。だが、その瞬間に心を奮い立たせてくれるのが冒険心だ。リスクを恐れず挑戦を続ける原動力となるのは、何かを見たい、知りたいという純粋な気持ちなのだろう。

家族とともに宮島に暮らす西村さんの目には、今、瀬戸内の穏やかな海が映る。「しばらくはこのフィールドを満喫したい」。その思いとともに海へと漕ぎ出すとき、きっと胸の奥からワクワクするような冒険心が湧き上がっているに違いない。