
人力車とトレッキングで届ける宮島の魅力。おもてなしの心が人と人を繋ぐ
北川麻世
Mayo Kitagawa
宮島 [広島県]
北川麻世(きたがわ・まよ)
大阪府出身。株式会社 麻世勝エビス代表。大学在学中に京都・嵐山で人力車の俥夫として働き、その後、東京でお笑いの世界にも挑戦。芸の道の厳しさを知り、再び人力車の世界に戻って、俥夫売上全国1位を達成。2011年宮島で独立し、人力車事業を行いながら、コロナ禍を機に「弥山トレッキングガイドツアー」も開始。俥夫の育成を行いながら地域の祭りや行事にも参加し、宮島の担い手としても活動する。
大阪で育ち「人を喜ばせたい」という思いを胸に歩んできた北川麻世さん。音楽やお笑いの世界に挑んだ後、再び選んだのは大学時代に出会った人力車の道だった。全国の観光地を巡り、2011年に宮島で独立。以来、俥夫として、そして経営者として宮島の魅力を伝え続けてきた。現在、人力車にとどまらず、弥山トレッキングガイドツアーなど新たな挑戦にも踏み出す北川さんに、宮島とともに歩む未来への思いを聞いた。
「人を喜ばせたい」という思いが導いた、俥夫への道
「私が生まれ育った大阪には、常に『笑い』があります。自分の本質に、人を喜ばせたいという気持ちがあるんでしょうね」

白い歯をのぞかせ笑顔でそう話すのは、株式会社 麻世勝エビスの北川麻世さんだ。生まれながらの大阪人気質。「喋ることが得意なのかは分かりませんが、嫌いじゃないですね」と謙遜するが、北川さんの話術に魅了される人は多い。
暮らしに笑いが溢れる大阪で育ち、人と違うことをして自分らしさを表現したいと思っていた北川さんが、大学生時代にアルバイトとして選んだのが、人力車の俥夫という仕事だった。
「こんな仕事があるんだ!って、衝撃が走ったんです。人を喜ばせて笑顔にできるのなら、やるしかないと。京都にある大学に通っていましたので、最初の仕事場は、観光のメッカ「嵐山」。実際にやってみたら、これが本当におもしろかった。今思い返しても、充実した時間でしたね」
当時の北川さんは「人を喜ばせたい」という思いから、音楽や漫才師の道など、興味のアンテナを四方に広げて模索していた。東京でM-1グランプリに挑戦したのもその一つだ。だが、将来へ結びつくような結果は得られなかった。
「芸の世界の厳しさを痛感しましたね。5年、10年先を考えたとき、自分のモチベーションが維持できるか不安になったんです。そこで思い出したのが、大学時代に没頭した人力車の仕事でした。もう一度この世界でチャレンジしてみようと思い、どうせやるのなら、俥夫としてトップを目指そうと決意したんです」
その覚悟は、すぐに現実となった。全国約300名の俥夫が活動するなか、北川さんは売り上げ1位を獲得。俥夫という仕事のやりがいを再認識すると同時に、所属していた会社からは、独立を勧められるほどの快挙を成し遂げた。
「そのとき意識していたのは、おもてなしの質を高めることだったんです。人力車でご案内する際、まちの魅力を伝えながら、同時に、人が引く乗り物だからこその価値を感じてもらう。それが結果に繋がったんだと思いますね」
おもてなしの心で案内する、宮島ならではの魅力
独立の話が持ち上がってから約3年間、北川さんは俥夫として全国の観光地を巡った。浅草、鎌倉、小樽、湯布院など各地で人力車を引き、その度にお客様の笑顔に触れ、仕事の奥深さとおもしろさを感じた。しかし、自分が腰を据えてスタートを切る場所をどこにするのかは、なかなか決めきれなかったという。

「実は、全国を回るなかで最初に訪れたのが宮島だったんです。当時はすでに別の会社が参入していたこともあって候補地からは外していたんですが、そのとき抱いた良い印象はずっと心に残っていたんです。そして3年後、改めて訪れてみると、やっぱり魅力的な島でした。以前あった会社も撤退していて、ここしかないと確信しました」
決め手となったのは、コンパクトな範囲に多彩な魅力が凝縮されている点だった。人力車は自動車のように長距離を移動するのは難しい。そのため、限られたエリアの中に、歴史や文化、また自然を堪能できるあらゆるスポットが点在していることは、宮島の大きな強みだった。

「瀬戸内海の穏やかな雰囲気も、人力車にぴったりだと感じています。私自身が海好きだということもありますが、海沿いを走りながら島の魅力をお客様にお伝えできるのは、ここならではの良さです」
こうして独立の場所として宮島を選んだ北川さん。実際に島で人力車を引くようになってからは、さらなる魅力を感じつつ、課題も感じるようになったという。
「良くも悪くも、厳島神社に参拝して、もみじ饅頭を食べて帰る、というのが観光客の定番ルートです。でも、宮島の魅力はそれだけではないことに気付いたんです。
山そのものが御神体である『弥山』や、空海が開祖した宮島最古のお寺『大聖院』、秋には紅葉が彩る『紅葉谷公園』など、すばらしい場所は数えきれないほど。そうした場所へご案内することが、人力車の可能性を広げると感じたんです」

観光客がなかなか足を運ばないスポットに案内する際、北川さんは丁寧なガイドも欠かさない。ときには人力車を止めてともに歩いたり、絶景スポットでシャッターを切ることもある。「人力車はただの移動手段ではない」と、観光客が実感する瞬間だ。俥夫とお客様との距離が近いからこそ、「なにを伝えるか、どう過ごしてもらうか」が、より重要になる。物を売る商売ではないからこそ、おもてなしの内容が鍵となるのだ。
独自の工夫を重ねるなか、北川さんは若手の育成にも取り組むようになる。観光客とのやり取りや、おもてなしの心は一人ひとりの個性に支えられる。俥夫たちがそれぞれのスタイルを築いていけるよう、自らの経験をもとにサポートしている。
「俥夫は、『自分』を売る商売とも言えるかもしれません。お客様とのやり取りが満足度に直結し、それが私たちのやりがいにも繋がります。体力勝負の仕事ではありますが、お客様が喜ぶ姿を見ると、その苦労も忘れてしまう。お客様との出会いは、毎回ドラマティックで、一つとして同じものはありません」
その根底にあるのは、北川さん自身の宮島への愛着だ。時間とともに表情を変える幻想的な海、朝と夜で異なる光に包まれる厳島神社の姿。そして、島内各地に植えられた桜や紅葉が、四季の移ろいを鮮やかに映し出す。「できるだけ長く、そして何度でも訪れてほしい」。独立して14年。今なお、宮島は北川さんを魅了し続けている。
宮島の新たな一面を伝える、弥山トレッキングガイドツアー
コロナ禍で観光客が激減したとき、北川さんは立ち止まることなく、新しい挑戦に踏み出した。それが「弥山トレッキングガイドツアー」だ。

「人力車だけでは伝えきれない宮島の魅力を、お客様にお伝えしたかったんです」
弥山は、かつて弘法大師・空海が修行した霊山で、神仏習合の歴史が今も色濃く残る。パワースポットとしても知られるこの山を、90分かけて歩くのが、ツアーの内容だ。行程では、三体の鬼を神として祀る「三鬼堂」や、標高535mから瀬戸内海を一望できる「弥山山頂」、そして弘法大師が修行の際に焚いた護摩業の火が1200年以上燃え続けている「霊火堂」などを巡る。長い歴史や、そこで培われた文化に耳を傾けながら歩く時間は、参加者にとって宮島の奥深さを知る貴重な機会となっている。さらに、プライベートコースでは、より多くのスポットを訪れ、ディープな弥山を堪能することも可能だ。

「おすすめは、三鬼堂から眺める海ですね。山頂からの景色もすばらしいですが、お堂の縁に腰掛けて海を見下ろすと、まるで空から瀬戸内海を眺めているような感覚になります。しかも、ここでは鬼が神様として祀られていて、お寺でありながら神道の『二礼二拍手一礼』で参拝するんです。神仏習合の文化が今も息づく、宮島ならではの歴史を感じられる場所ですね。そうした話をしながら山を歩くと、スピリチュアルな感覚を覚える方も少なくありません」
北川さんがガイドとして大切にしているのは、参加者の様子や会話から、「なにを求めているのか」を読み取ることだという。パワースポット巡りに重きを置く人もいれば、純粋にトレッキングを楽しみたい人もいる。その興味や目的に合わせてガイドの内容を柔軟に変える。つまり、どんな要望にも応えられるよう、常に知識や経験の引き出しを携えているのだ。だからこそ、参加者は唯一無二のトレッキング体験を思う存分味わえる。
「ただ、どなたにも喜ばれるのが写真撮影ですね。山を歩いていると、どうしても撮影に余裕がなくなります。そこで、私たちガイドがベストポイントから撮影するんです。日頃から体を鍛えているので、忍者のように身軽なガイドばかり。時には参加者があっと驚くような角度から撮影することもあって、とても喜んでいただけます」
常に宮島を歩き続け、自分の目でその魅力を捉えている北川さんでさえ、弥山から望む景色や、そこで感じる風の心地良さに心が洗われるという。「弥山トレッキングガイドツアー」は、北川さんにとってもまた、気持ちを新たにする特別な体験なのだ。
「日々変化するこの時代にあっても、宮島から眺める瀬戸内海の穏やかさや、静かに佇む厳島神社の姿、そして島全体に広がる雄大な自然は、古来から変わることのない歴史を感じさせてくれます。忙しいときにこそ、足を運ぶ価値を見出せるのが宮島です」
未来に繋いでいきたいものは何か?
最後に、北川さんに未来へ繋いでいきたいことは何か、と尋ねた。

「やはりお客様の満足度は、俥夫のおもてなしの心に支えられていると感じます。長く続ければそれぞれの味も出てきますし、お客様とのやり取りの幅も広がります。『自分を売る商売』と言いましたが、俥夫の一人ひとりが持つ心の豊かさが、お客様との繋がりをより強いものにしているんだと思います。
そんな人力車の魅力をより広く知っていただきたい。京都や浅草だけでなく、宮島にもここならではの楽しみ方があることを認知していただければ、若手俥夫の成長にも繋がり、宮島への貢献に結びつくかもしれません。ホスピタリティをさらに磨き、俥夫の育成に力を注ぐこと、それが未来へ繋いでいきたいことですね」
独立当初は新参者として受け止められることもあった。だが、持ち前の明るさと、地域に貢献したいという思いで、少しずつ地元との距離を縮めてきた北川さん。高齢化が進む宮島で、若手の一人として祭りや行事に参加し、地域を支える担い手としても率先して活動してきた。そして今では、「やっと宮島の人間になれた」と胸を張る。
「スピリチュアルなことは分かりませんが、こうして長く商売をさせてもらっているということは、もしかしたら宮島の神様に認めてもらえているからかもしれません。20年後も、30年後もやらせていただけるなら、きっと神様に嫌われてないということでしょうね」
瀬戸内の穏やかな海と山を舞台に、人と人との出会いを紡ぎ続ける北川さん。その明るい笑顔に触れるため、これからも多くの人が宮島を訪れるに違いない。