名門からの独立で気づいた、本郷の懐の深さ──白磁の器に込めた自由

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宗像眞弓

Mayumi Munakata

会津 [福島県]

宗像眞弓(むなかた・まゆみ)
福島県会津美里町本郷出身。宗像窯の七代当主・宗像亮一氏の長女として生まれる。27歳の時から実家の宗像窯の社員として家業を手伝うようになり、宗像窯の一作家として作陶を続ける。二十数年の後、窯からの独立を目前に東日本大震災を経験し、作家・宗像眞弓としての作品の方向性に向き合うこととなる。その後独立。実家の宗像窯とは異なる白磁の器で独自の世界観を築いている。

400年の歴史を持つ会津本郷焼。中でも300年以上続いており、伝統的な本郷焼を体現し続ける名門「宗像窯」。その中に生まれ、伝統を継承するため作陶を続けながらも、その立場から羽ばたくと決意した女性がいる。彼女が見てきた伝統と革新、本郷焼の新しい魅力を詳しく伺った。

名家の長女として、職人として

会津本郷焼を代表する名門、「宗像窯(むなかたがま)」。江戸時代から続くこの窯元は、代々の当主が数々の名作を生み出し、その名は会津のみならず全国に轟いている。 歴代当主の作品群、歴史の重みを感じさせる登り窯。その「本家」から独立し、ひとりの作家として静かに、しかし力強く独自の表現を追求する女性がいる。宗像眞弓さんだ。

彼女のアトリエを訪ねると、そこには名家の重圧とは無縁の、透明感あふれる空間が広がっていた。大きく開いた窓からは、刈り入れが終わってすっきりとした田園風景が広がり、遠くの山の稜線もくっきりと、青空とのコントラストが美しい。

「個展が終わったばかりで物が少なくて申し訳ないわね。」宗像さんがお茶とお菓子を運んできてくれる。目の前に並べられたのは、透き通るような白磁のカップに繊細なデザインの施された菓子器たち。「宗像窯」の代名詞である青や紫の鮮やかで力強い色付けの陶器とは対極にある、繊細で、どこかガラスのような質感を纏った「白」の世界。 それは、彼女が長い時間をかけてたどり着いた、自分だけの聖域だった。

宗像さんは、宗像窯7代目当主・宗像亮一氏の長女として生まれた。 幼い頃から土と炎が身近にある環境で育ったが、かつての焼き物の世界は「男社会」の不文律が支配していた。 「女の人の仕事じゃないって、当時は言われていましたね。」 宗像さんは淡々と振り返る。世襲制の色濃い伝統工芸の世界において、長女がろくろを回し、職人として生きることは、今ほど当たり前のことではなかったのだ。

それでも、彼女は27歳の時に実家へ戻り、宗像窯の社員として家業を手伝い始めた。 「父からろくろをもらってね。仕事を手伝いながら、自分の作家活動もしていました。」 以来、約25年間。彼女は名門窯の裏方として、そして一人の職人として、黙々と技術を磨き続けた。 表舞台に立つのは父や兄。しかし、彼女の手の中で回る土は、嘘をつかない。日々の反復練習によって培われた「手」の感覚は、確かなものへと育っていった。

「下積みじゃないけれど、日々の訓練は必要でしたね。発想力があっても、技術が伴わないと形にできないから。」 その言葉には、名家の娘という看板に甘えることなく、地道に技と向き合ってきた職人のプライドが滲んでいる。

独立直前の東日本震災と、選んだ白磁

転機が訪れたのは、2011年3月。東日本大震災の時だった。 実はその直前、宗像さんは実家からの独立を決めていた。 「兄からも『そろそろ独立したら?』という話もあって。偶然、退職の時期と震災が重なったんです。」

未曾有の大災害により、すべてがストップした。窯の火も消え、日常が失われた。 「独立を決めた時点でも、何をするか、どんな焼き物をやるかも決めていなかったんだけれどね。」という彼女は、混乱の中で立ち止まることを余儀なくされた。しかし、その「空白の時間」こそが、彼女が本当にやりたいことを見つめ直すための、運命的な猶予期間だったのかもしれない。

兄が継いだ宗像窯は、陶器(土もの)の伝統を守り続けている。 「せっかく独立するなら、うち(実家)とは違うものをやりたかった。同じものをやっても仕方がないし、それはまた戻ればできることだから。」 彼女が選んだのは、宗像窯とは真逆の「磁器(石もの)」だった。 「宗像窯では色んな混ざりものの色や、釉薬の流れだったり、偶然がいい味になるんだけれどね、真っ白を作ると決めると、それらがすべてマイナスの要因になるの。面白いでしょう。」宗像さんはあえて対極にある、真っ白な磁器土を手に取ったのだ。

「白が好きだったんです。それに、独立するということは、自分の世界を作らなきゃいけないということだから。」 道具も、土も、すべてゼロから揃えた。それは、300年の歴史を持つ「宗像窯」の名から解き放たれ、ただの「宗像眞弓」として生きるための、静かな決意だったのかもしれない。

宗像さんの作る器は、徹底して「白」だ。 不純物を混ぜることで風合いを出すこともある陶器とは異なり、磁器は「マイナスの美学」が求められる。 「磁器はガラスに近いんです。陶器は表面に目には見えない小さな穴が開いていて、器が呼吸しているような温かみがあるけれど、磁器は焼き締まっていて、密度が高い。」

彼女の作品には、彫りや型押しによる繊細な文様が施されているものがある。 光にかざすと、彫りの深い部分は影になり、薄い部分は光を透かす。その陰影だけが、真っ白な器に表情を与える。 「白でどんな表現ができるかなと思ったら、いろいろできるんですよ。釉薬を溜めてみたり、削ってみたり。」

彼女の指先から生まれる文様は、どこかリズムを感じさせる。 「自然の形、雲の形、光の形。それに音楽かな。音楽を聴いていると、『この曲はこんな形だな』って浮かんでくるんです。」 彼女にとって、器作りは「翻訳」作業に近いのかもしれない。耳に聞こえる音、目に映る光、心に浮かぶ言葉。それらを「磁器」という言葉に置き換えて、形にしていく。 だからこそ、彼女の作品はどれもアーティスティックで、同じ形をしていない。

「毎回、やりたいことが変わるんです。だから『代表作はこれです』って言えないのが悩みね。」 そう言って笑う彼女の軽やかさは、重厚な伝統を守る職人のそれとは明らかに違う。それは、自由に空を飛ぶ鳥のような、しなやかな強さだ。

8年ぶりの個展、待っていた人々

独立してから、彼女は主に個展や受注制作を中心に活動してきた。店舗を持たず、自分のペースで、一対一で顧客と向き合うスタイルだ。 しかし、2019年のパンデミック前後で、しばらく活動を休止していた時期があった。

「今回の個展は、8年ぶりだったんです。」 8年という歳月は、作家を忘れさせるには十分な長さだ。不安を抱えながらの開催だったが、蓋を開けてみれば、多くのファンが彼女の帰還を待っていた。

「もう誰も覚えていないかもしれないと思って怖かったんです。でも何かの拍子に、それすらも楽しんでしまおうと思ったの。そしたら肩がふっと軽くなって、ほんとにすごく楽しくなっちゃった。前回から長い間があったけど、昔のお客様も、新しいお客様も来てくださって。」 中には、「おばあちゃんの喜寿のお祝いに、是非あなたに作ってもらいたい。」との依頼を受け、数十客ものカップ&ソーサーを受注したエピソードもあるという。 「びっくりしましたけど、嬉しかったですね。」 彼女の作品が持つ、言葉にできない「品格」や「物語」は、世代を超えて伝わる力を持っているのだ。

未来へ繋いでいきたいものは何か?

宗像眞弓さんが未来へ繋いでいきたいものは、どんな表現も受け入れる、本郷焼の懐の深さだ。

インタビューの最中、宗像さんは「香炉」の新作を見せてくれた。 高い脚のついた杯に、ドーム型の蓋、上には愛らしい鳥がとまっている。「鳥の背中の穴にお香を立てることもできるし、何よりこの形、アイスクリームを食べたくならない?」遊び心あふれる作品だ。 少女のように目を輝かせて語る姿からは、「次はどんな面白いことをしようか」というワクワク感が溢れ出ている。

「作家の作風が変わっていくのを見るのは、追いかける側からすると楽しいものです」というインタビュアーの言葉に、彼女は深く頷いた。 「そうですね。私も好きな作家さんがいて、『あ、これはあの時代の作品だな』ってわかるのが楽しい。だから、私も変わっていっていいのかなって。」

伝統工芸の世界では、「変わらないこと」が美徳とされることも多い。しかし、宗像眞弓は軽やかに変化し続ける。 今日の彼女の作品と、明日の彼女の作品は、全く違うものかもしれない。その予測不能な変化こそが、彼女の作品の魅力であり、彼女自身が生きる喜びそのものなのだろう。

「今後はどうしていきたいですか?」という問いに、彼女は少し考えてから答えた。 「ご縁があるところで個展をやっていきたいですね。お客様と直接お会いして、わがままを聞きながら楽しく作っていきたいな。」

そして、生まれ育った会津本郷焼への思いも口にした。 「自分は自分なりに、本郷焼の中で育ってきました。だから、いい形で表現をして、全世界の人に会津本郷焼を知ってもらいたい。誰がそのきっかけになってもいい、その足掛かりになれれば嬉しいなと思っています。」

海外経験はほとんどないという彼女だが、その作品が持つ普遍的な美しさは、言葉や国境を越えるポテンシャルを秘めている。 「いつでも遊びに来て。」と笑う彼女の工房には、まだ見ぬ傑作の種が、静かに出番を待っているはずだ。

宗像窯という巨木から飛び立ち、独自の空を舞う一羽の鳥。 宗像眞弓が描く白磁の軌跡は、これからも自由で、美しく、私たちを魅了し続けるだろう。