
雅に楽しむ──次期六代目の、未来を見据えた軽やかな器づくり
佐藤大幹
Hiromiki Sato
会津 [福島県]
佐藤大幹(さとう・ひろみき)
福島県会津美里町本郷出身。幼少期から、実家である会津本郷焼の窯元・陶雅陶楽の家業を手伝う。高校卒業後も実家に残り、次期六代目として器づくりに励む。現在は会津若松市にある自宅と窯元との二か所で焼物づくりに励んでいる。会津本郷焼を知ってもらうため、焼き物イベントやマルシェへの出店を始めている。
会津本郷の城跡である向羽黒山に、焼き物の作業場がある。大きなガス窯が据えられ、本焼き前の器が所狭しと並ぶ中、作業に勤しむのは陶雅陶楽・六代目(予定)の佐藤大幹さん。幼少期から離れることなく焼物と触れ合ってきた大幹さんの、本郷焼への想いとは。お話を伺った。
「やっていた、らしい」から続く系譜

向羽黒山(むかいはぐろやま)の登り口。 雨がみぞれに変わり始めた初冬の寒空の下、その作業場を訪ねた。 入るとまず感じたのは、肩肘張らない温かい空気だ。温度だけではない。作業場に並ぶ器も、釉薬の色合いも、いわゆる‘‘本郷焼‘‘を踏襲しているようでどこか穏やかで、日常にすっと溶け込む佇まいをしている。
作っているのは、陶雅陶楽の佐藤大幹さん。 現在はほぼ一人で窯を回し、この窯元の中心を担っている。 「僕はまだ『六代目予定』ですから。」 そう言って笑う彼の表情には、跡取りとしての重圧よりも、どこか達観したような、それでいて芯の通った職人の矜持が見え隠れしていた。
陶雅陶楽の歴史は、霧の中にある。 「曾祖父の代も、やっていたとは聞いているんですけど……詳しくは分からないですね。」 明確な創業年は残っていない。ただ、祖父が四代目、父が五代目、そして自分が六代目になるという流れだけがある。
ただ確かなのは、「何かしら焼き物には関わっていたらしい」ということだ。昔の会津本郷焼は、完全な分業制だった。粘土を掘る人、運ぶ人、薪を割る人、窯を焚く人。今のように一人で完結する仕事ではなく、集落全体で成り立つ産業だった。「だから、関わっている人は結構いたみたいですね」名前が残らなくても、手を動かした人たちがいた。そんな積み重ねの先に、今の陶雅陶楽がある。
確かな記録がないことを、佐藤さんは悲観しない。むしろ「らしい」という曖昧さの中に、産地全体で焼き物を支えてきた名もなき職人たちの息遣いを感じ取っているようだ。
そんな彼がこの道に入ったのも、ドラマチックな決意があったわけではない。 「きっかけは、あんまりないんですよね。自然と、です。」
中学生の頃から、ろくろの掃除や器の運搬を手伝っていた。職人のおじさんたちに混ざって、当たり前のように作業場の空気を吸っていた。 高校を卒業しても就職活動はせず、「まあ、やってみるか」と家業に入った。 しかし、その「自然と」という言葉の裏には、幼少期からの膨大なインプットがあった。 「見て覚えろ」の世界だが、彼にとってはすでに見慣れた風景。高校卒業からわずか一ヶ月で、釉薬掛けという重要な工程を任されるようになったという。 「しばらくやっていると、手慣れた作業の中にも『あ、こういうことか』と気づく瞬間があるんです。」 教えられるのではなく、自分で腑に落とす。その静かな積み重ねが、今の彼の技術を支えている。
自然との駆け引き。30年かかって掴んだ「同じ色」

佐藤さんの仕事場は、実は二箇所ある。 ここ会津本郷の窯元と、会津若松にある自宅だ。 なぜ二拠点なのか。その理由は、会津の厳しい気候にある。
「ここの作業場は、冬はマイナスになるし、夏は45度とかになるんです。」 器にとって、極端な温度は大敵だ。冬場、成形したばかりの器に含まれる水分が凍れば、組織が壊れてしまう。逆に夏場、45度の熱気の中で乾燥が進めば、表面がひび割れてしまう。 「だから、成形から素焼きまでは、空調管理ができる自宅で行うことが多いです。そうすれば、割れることはほぼない。」
自然条件を無理にねじ伏せるのではなく、場所を変えることでうまく避ける。 その柔軟な思考は、伝統に固執しすぎない彼のスタンスそのものだ。 一方で、本焼きは必ず本郷の窯で行う。効率と品質、そして伝統。それぞれのバランスを冷静に見極め、最適解を選び取る。それが陶雅陶楽のやり方だ。

陶雅陶楽の器を特徴づけているのは、主に二つの釉薬だ。水色の「灰釉」と、茶色の「飴釉」。「基本はこの二色ですね。」そう言いながらも、佐藤さんは最近、少しずつ新しい色にも取り組んでいる。白、黒、濃い紺色。ただし、やみくもに増やすわけではない。「伝統的なベースは、あまり崩したくないという思いもあって。」形はあくまで本郷焼の伝統に則り、色だけを今の感覚に寄せる。逆に形で遊びたいなら、色はおとなしく。いわば、静かなハイブリッドだ。
工房の棚にある3つの湯呑みを見せてもらった。 一つは淡い水色、一つは少し緑がかった色、もう一つは白っぽい色。 「これ、全部同じ釉薬なんですよ。」 驚くべきことに、異なる色に見えるそれらは、全て同じ成分の釉薬だという。 「釉薬の濃度、素地の水分量、そして窯の中での置き場所。それだけでこんなに色が変わるんです。」
この「ブレ」を焼き物の味とするのも結構。しかし、ネット販売やカタログ通販が普及した現代において、「写真と色が違う」というクレームは避けたい。 「求められているものを確実に届けたいんです。不安定さを無くしたくて。」 そのために、彼は30年近い歳月を費やした。 釉薬の濃度を調整し、窯の温度管理を徹底し、置き場所による火の当たりの違いを計算する。 「今年に入って、2ヶ月くらい前からですかね。ようやく『これなら安定する』と納得できるやり方が見えてきたのは。」言葉は軽いが、その表情には、長い時間をかけてたどり着いた嬉しさが滲んでいた。
職人としてのプライドと、次世代へのバトン

佐藤さんの器作りの根底にあるのは、「日常で使われること」だ。「朝昼晩、普通に使ってもらえれば。」そのために、形にも工夫がある。胴体は薄く、口元は少し厚く仕上げておく。そうすることで、欠けにくく、持ったときに重すぎない器になる。
「口が欠けるのが、一番嫌なんで。」
居酒屋など業務用で使われることも多い。そんな客先から久しぶりに連絡が来て、「全然壊れないですね。」と言われることがある。売り手としては、買い替えがないのは複雑かもしれないが、それでも佐藤さんは壊れにくい器を作り続ける。「割れないように作ってますから。」返す一言に、作り手としての矜持が表れている。
「会津本郷焼の未来? このままだと減っていくと思いますよ。」 佐藤さんの分析はシビアだ。益子や笠間のような陶芸学校などの育成システムがない会津本郷。地域おこし協力隊に頼るだけでは限界がある。 「知名度を上げようと思っても、なかなか上がらない。岡山でイベントをやった時も、誰も本郷焼を知らなくて悔しい思いをしました。」
しかし、彼は決して諦めているわけではない。 実は今、彼には一つの「計算」がある。 「兄貴の子供、姪っ子が今、多治見の方で陶芸の勉強をしているんです。」 兄夫婦が営む「樹ノ音工房」は電気窯がメイン。一方、ここ陶雅陶楽はガス窯を使っている。 「ガスと電気では、焼き上がりが全然違う。将来、彼女が戻ってきた時に、どっちの窯でも焼けるようになっていれば、表現の幅が広がるじゃないですか。」
自分が守ってきたガス窯の技術と、次世代が学ぶ新しい感性。 「どれが一番自分のやりたい焼き物に近いか、彼女が選べるようにしてあげたい。うまく道筋ができればなって。」 そして、彼はニヤリと笑う。 「そうしたら、自分は早めにセミリタイアもいいかもね。」
冗談めかしてはいるが、そこには次世代への深い愛情がある。 無理に押し付けるのではなく、選択肢を用意し、環境を整えて待つ。 「六代目予定」という肩書きを名乗り続けるのも、もしかしたら次世代へのバトンを渡しやすくするための、彼なりの配慮なのかもしれない。
未来へ繋いでいきたいものは何か?

佐藤さんが未来へ繋いでいきたいものは、様々な選択肢が選べる、本郷という場所の柔軟さだ。
伝統的な形を守りつつ、色は現代風にアレンジする「静かなハイブリッド」。 ガス窯と電気窯、それぞれの良さを融合させようとする未来図。 それを良しとしてくれるのが本郷という場所なのだ。
佐藤大幹という陶工は、決して声を荒げない。 けれど、その手から生み出される器は、どんなに激しく使われても割れない強さを持っている。 「まあ、やってみるか」 その軽やかな言葉の裏には、計算と情熱と、深い優しさが隠れていた。
みぞれまじりの雨が上がり、向羽黒山に薄日が差してきた。 陶雅陶楽の器が、冬の光を受けて静かに輝く。 「優雅に、楽しむ」。軽やかな窯元のその姿勢を、器たちも誇っている。ふと、そんな気がした。