モニターの映像から、手触りのある「彩り」へ──夫婦で探る新しい窯元の在り方

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馬場源次

Genji Baba

会津 [福島県]

馬場源次(ばば・げんじ)
福島県南会津町田島出身。東京で映像制作・イベントの仕事をしていたが、京都で見た焼き物に感動したことから一念発起して陶工へと転身。地元・会津へ帰郷し会津本郷焼の窯元「流紋焼」で10年修業を積んだ後、2007年に妻とともに陶房彩里を立ち上げる。

会津美里町の一軒家。一般住宅にも見えるそこは、2007年に立ち上げられた会津本郷焼の新しい窯元・陶房彩里だ。色とりどりの器たちは、いわゆる「本郷焼」とは一味も二味も違う印象を与える。歴史ある窯元での修行の末、それでも伝統から一歩踏み出した経緯とは。本郷焼の多様性を探るため、陶房彩里の馬場さんにお話を伺った。

25歳、モニターの電源を落とした日

会津本郷のメインストリートから少し外れた、静かな住宅街。 冬の鉛色の空の下、その工房の扉を開けると、そこだけ季節が違うかのような鮮やかな光景が広がっている。 目の覚めるようなターコイズブルー、春の陽気を感じさせる桜色、そして思わず頬が緩んでしまう、愛嬌たっぷりの赤べこたち。

「陶房彩里(とうぼういろり)」。 2007年に流紋窯から独立し、若い世代や女性を中心に支持を集める窯元だ。 ろくろに向かっているのは、窯元を起こした馬場夫妻の夫・源次さん。作り出すポップな作品群とは裏腹に、その横顔は寡黙で、真剣な眼差しが印象的だ。

彼はかつて、東京のスタジオでモニターを見つめる映像クリエイターだった。 なぜ彼は最先端のデジタル世界から、土と炎という最もプリミティブな世界へと転身したのか。そして、400年の歴史をもつ会津本郷焼の中で、いかにしてこの「かわいくて、楽しい」という独自のポジションを確立したのか。 その足跡を辿ると、直感を信じて突き進む一人の青年の決断と、それを支え、共に歩んだパートナーとの温かな物語が見えてきた。

源次さんが焼き物の世界に足を踏み入れたのは、ある種、必然だったのかもしれない。 20代前半、彼は東京でイベント映像の仕事に従事していた。華やかなイベント会場、薄暗い編集室。撮影された素材を切り貼りし、音楽を乗せ、空間を演出する。それは刺激的で、クリエイティブな日々だった。 「仕事に行き詰まっていたわけじゃないんです。楽しかったですよ。」 彼は当時をそう振り返る。しかしある時、出張で訪れた京都が運命を変えた。

ふと立ち寄った焼き物の店。棚に並ぶ器たちを見た瞬間、電撃のような直感が走った。 「これは、楽しそうだ。」 土の塊が、人の手によって形を変え、炎を経て、永遠に近い時間を生きる「器」になる。その圧倒的な実在感に、映像の世界で感じていたものとは違う魅力を感じたのだ。

「どうせやるなら、地元の会津に産地があったな・・・」 思い立ったら、もう止まらない。彼は仕事を辞め、東京を引き払い、25歳で故郷・会津へ戻った。安定したキャリアを捨て、泥まみれの修行生活へ飛び込む。それは、周囲から見れば無謀とも言える、人生を賭けた大きな決断だった。

帰郷した源次さんが門を叩いたのは、会津本郷焼の中でも屈指の規模を誇る「流紋焼」だった。 碍子(がいし)製造の技術をルーツに持ち、堅牢な磁器と、複雑な釉薬の「流れ」を特徴とする名門だ。 ここで彼は10年間、修行を積んだ。ろくろの基礎、土の練り方、釉薬の化学反応。映像編集で培った「構成力」や「バランス感覚」は、焼き物の世界でも生きたのかもしれない。しかし技術の習得は一朝一夕にはいかない。来る日も来る日も土と向き合う日々が続く。

しかし、その修行時代に、人生最大の幸運が訪れる。 後に妻となり、彩里を共に立ち上げることになるパートナーとの出会いだ。 彼女もまた、流紋焼に入社し、焼き物の道を志す職人だった。 「社内カップルですね。」と照れくさそうに笑う源次さんだが、同じ釜の飯を食い、同じ師匠の下で技を磨き、厳しさと喜びを共有した二人の絆は、単なる夫婦以上に深い「同志」のそれだ。

「一緒に陶房彩里として独立して、もう18年になりますかね。」 言葉少なに語るが、その18年という月日は、二人が互いの才能を認め合い、支え合ってきた歴史そのものだ。

彩里の彩り「赤」と「青」

2007年に独立。「暮らしに彩りを添える器」をコンセプトに掲げた二人が生み出したのが、今や彩里の代名詞ともなった「赤べこシリーズ」だ。 ふっくらとした丸みのあるフォルムに、とぼけた表情の赤べこがちょこんと乗ったカップや箸置き。誰もが「かわいい!」と声を上げるこのデザインは、実は奥様の発案だという。

「最初の年に、妻がなんとなく作り始めたんです。当時はまだ赤べこブームなんてなくて、『あかべぇ』というキャラクターが出始めた頃でしたかね。」綿密なマーケティングがあったわけではない。「なんか面白そうだから作ってみた」。その軽やかな動機こそが、彩里の真骨頂だ。

「試行錯誤して作るというより、インスピレーションですね。ろくろを回している時に、ふと思いついたことをやってみる。できそうならやるし、できなかったら忘れる。そんなものです。」 源次さんは自身の創作スタイルをそう分析する。 深く悩み込み、設計図を描いてから作るのではない。ろくろの回転に身を委ね、土と対話する中で生まれる「ノリ」や「ひらめき」を逃さずに形にする。 だからこそ、彩里の器には、作った人の楽しさがそのまま焼き付けられているような、屈託のない明るさがあるのだ。

彩里のもう一つの魅力は、その独特な色彩感覚だ。 カラフルな中でも特に目を引くのが、鮮やかなターコイズブルー。これまでの会津本郷焼には見られない、モダンでポップな色合い。 これには、源次さんなりの明確な意図があった。

「昔と違って、今の住宅事情は変わってきていますよね。フローリングの洋室や、明るい光が入るダイニング。そういう空間に馴染むのは、やっぱり明るめの色だと思ったんです。」 伝統的な渋い茶色や紺色も素晴らしいが、現代のライフスタイルに「彩り」を添えるには、もっと自由な色があっていい。 

その探求心は、最近の新作である「ステンドグラス風」シリーズにも表れている。 黒い釉薬をベースに、鮮やかな色がモザイクのように散りばめられているこの器。実は、非常に手間のかかる工程を経て作られている。 「黒い釉薬を掛けた後、テープでマスキングして色を抜いて、そこに別の色を埋め込んでいくんです。」映像編集で言えば、1フレームずつ手作業で色を塗っていくようなものだろうか。 「手間はかかりますけど、黒一色だと面白くないですから。遊んでみようかなって。」 効率よりも、「面白さ」を優先する。その姿勢が、彩里の器に他にはない深みと輝きを与えている。

大使館からのご指名。国境を越える「彩り」

そんな源次さんの「遊び心」は、予期せぬ場所へと広がっている。 「自分が作ったものが、そんな場所で使われているなんて不思議な感覚です。」 彼が見せてくれたのは、四角と丸を重ねたようなデザインのバイカラーの大皿。この皿が東京のレストラン関係者の目に留まり、なんと大使館で使われているのだという。

「組合の事業で作ったものなんですが、たまたま大使館の方見て気に入ってくださって。」 会津本郷の小さな工房で、「こんなの面白いかな」と作った器が、国境を越え、外交の舞台である大使館の食卓を彩っている。 「地元の人間にとっては当たり前のものが、外の人から見たら特別だったりするんですよね。」 かつて、自分が京都で焼き物に魅せられたように。今度は自分の作品が、遠い異国の地で誰かの心を動かしている。その事実は、職人としての確かな自信になっているはずだ。

また、道の駅や地元のショップでも、彩里の器はひっぱりだこだ。 「若い人向けに作ったつもりだったけど、意外と年配の方が『孫に使わせたい』って買っていかれるんです。」 『かわいい』『楽しい』という感情に年齢は関係ない。彩里の器が持つポジティブなエネルギーは、世代を超えて愛されている。「また買いに来たよ!」その一言が一番うれしい、と源次さんは笑った。

未来へ繋いでいきたいものは何か?

「会津本郷焼への思い? そうですね……」 インタビューの終盤、源次さんは少し考えてから、真剣な表情で語った。 「窯元が減ってきているので、新しい人が入ってきてくれたらいいなと思います。会津本郷は、懐(ふところ)の深い里ですから。」

馬場さんご夫婦が未来へ繋いでいきたいものは、多種多様な窯元をすべて包み込む、会津本郷焼の懐の深さなのだ。

そして、こう続けた。 「伝統を守る窯は、しっかりと伝統を守ってくれている。その分、うちのような新しい窯は、思い切り遊べばいいんです。枠からはみ出すくらいで、ちょうどいい。」

単なる開き直りではない。産地全体を見据えた、彼なりの役割分担の提案だ。 全ての窯が同じ方向を向く必要はない。重厚な歴史を守る窯もあれば、気ままに作るポップな窯もある。その多様性こそが、会津本郷という産地の強みなのだ。

器の底を見ると、源次さんのサインは「i」の点が流れたような独特の筆跡で刻まれている。一方で、奥様のサインはきちんとした文字だ。 「どっちが作ったかは、裏を見ればすぐに分かりますよ。」 性格も、得意な作風も違う二人。でも、目指している方向は同じだ。

「使いやすいのは大前提。その上で、見た瞬間に気持ちが明るくなるような器を作りたい。」  彼らが作り出す「彩り」は、単なる視覚的な色ではない。それは、使う人の日常を少しだけハッピーにする、心の彩りだ。

冬の会津、雪深い里で焼かれる鮮やかな器たち。 それは、春を待つ人々の希望の色そのものなのかもしれない。 陶房彩里の扉を開ければ、いつでもそこには、温かくて楽しい「春」が待っている。