温もりの白に幸せを描く──新しい窯元の女性作家が紡ぐ、暮らしを彩る器の物語

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佐藤朱音

Akane Sato

会津 [福島県]

佐藤朱音(さとう・あかね)
東京都出身。金工の両親のもと、てしごと・ものづくりに幼少期より親しむ。東北芸術工科大学へ進学、陶芸家を志す。同大学で出会った夫・大樹さんと共に2001年に「樹ノ音工房」を設立。同じく陶芸の道を志して修業中の娘さんとの共作を楽しみに日々作陶に励んでいる。

小学生のころ、父の知人が持っていた伊豆の別荘での思い出が原体験となり、陶芸家を志した佐藤さん。嫁いだ先は夫の地元で焼き物の里、会津美里町・本郷だった。本郷焼の中でも特徴的な、北欧風のあたたかみあるデザインを生み出す感性のルーツを詳しく伺った。

東京育ちの少女が見た、原風景

会津本郷のメインストリートから一本入った路地に、まるで絵本の中から抜け出したような、温かな空気を纏う場所がある。 大きな窓から差し込む日の光に、並べられた柔らかな色彩の器が照らされている。そして、奥の工房から聞こえる楽しげな声。焼き物体験を受け入れている最中の「樹ノ音工房(きのおとこうぼう)」は、どこかアットホームな雰囲気に包まれている。

2001年に佐藤大樹(だいじゅ)さん・朱音(あかね)さん夫妻が立ち上げたこの工房は、400年の歴史を持つ会津本郷焼に、新しい風を吹き込んだ存在として知られている。 後年、コーヒーを飲みながら器を選べるスタイルのカフェスペースも立ち上げ、活動の場を広げている。北欧デザインにも通じる絵付け、器の表面を削ってストライプ状の模様をつける、シンプルでモダンな「しのぎ」の器。それは、従来の「伝統工芸品」という敷居を軽やかに飛び越え、私たちの日常にそっと寄り添う。

「お待たせしてごめんなさいね、ちょうどお客さんが入って。」眦の下がった笑顔が印象的なのは、佐藤夫妻の奥様、工房の共同代表でもある佐藤朱音さんだ。

佐藤さんは、会津の生まれではない。東京で生まれ育ち、両親は彫金を手がける金工家という、芸術に親しむ家庭環境にあった。 そんな彼女が「陶芸」という道を選んだ原体験は、小学生の頃に訪れたある記憶にある。

「父の友人の陶芸家のお宅に遊びに行ったんです。伊豆の山の中にあって、裏山でみんなで山菜を採ってきて。それを奥様がさっと料理して、ご主人が作った器にパッと盛り付けた。それがもう、本当に美しくて、美味しくて。」

自然の中で生まれ、自然の恵みを盛る。その一連の流れが、佐藤さんの幼心に強烈な「憧れ」として刻まれた。美大進学を決めた時、迷わず陶芸専攻を選んだのは、あの日の食卓の感動が忘れられなかったからだ。

東北芸術工科大学で出会った夫・大樹さんの実家は、会津本郷の窯元・陶雅陶楽だった。しかし、当時のさんにとって、「窯元」という言葉は馴染みのないものだったという。 「陶芸家って、個人のアーティストだと思っていたんです。だから、代々家業として継いでいく『窯元』という世界があることを、結婚して初めて深く知りました。」

2001年、二人は独立し、「樹ノ音工房」を設立。双方の名前から1字ずつ取って名付けた。最初は店舗を持たず、制作のみを行う日々だったが、4年後に現在の場所に店を構え、さらにその4年後にはカフェをオープンさせた。 「器を使う時間を体験してほしい」。その思いは、あの伊豆での原体験から繋がっているのかもしれない。

樹ノ音を支える「代名詞」と、母の視点から生まれた「絵付け」

樹ノ音工房の代名詞とも言えるのが、しのぎの技法と、カラフルなバイカラーだ。今でこそ多くの雑貨店で見かける人気のデザインだが、会津本郷焼でこの技法を本格的に押し出し、スタイルとして確立させたのは、実は彼らが最初だったという。

「最初はシンプルに、白と黒、飴色(あめいろ)の釉薬から始めました。今は7色展開になって、カラフルになりましたけどね。」

ろくろで成形した器が生乾きのうちに、ヘラやカンナで一本一本、手作業で削りを入れていく。削りすぎれば穴が開き、浅すぎれば釉薬に埋もれてしまう。 「もう手が覚えちゃっているので、スイスイいけますよ。」と佐藤さんは笑うが、そのリズミカルな削り跡には、職人としての確かな技術と、手仕事ならではのやわらかさが宿っている。

カップの縁は口当たり良くつるりと残し、ボディには土の風合いを感じる凹凸を。その絶妙なバランスが、手に持った時の心地よい重みと、温かさを生む。 「冬になると使いたくなる」「ほっこりする」。ファンからのそんな言葉が、何よりの賛辞だ。

樹ノ音工房のもう一つの魅力が、佐藤さんが担当する「絵付け」の器だ。 素朴なタッチで描かれた草花や、愛らしい動物たち。これらが生まれたきっかけは、彼女自身が「母」になったことだった。

「子供たちが生まれた時、それぞれに絵を描いてお茶碗を作ってあげたんです。そうしたら、ものすごく喜んでくれて。」 自分のために描かれた絵。それが子供たちにとってどれほど嬉しいことか。その笑顔を見て、佐藤さんは作風を広げていった。

「お客様も『子供に使わせたい』とか『この絵柄が気に入って』と選んでくださるようになって。最初は形にこだわっていたけれど、今は『使う人がどう感じるか』を一番に考えるようになりました。」

彼女がこだわるのは、真っ白なキャンバス「ではない」。 会津本郷焼は陶器(土もの)と磁器(石もの)の両方があるが、樹ノ音工房は主に「陶器」の土を使う。その上に、白い化粧土(泥)を薄く掛けて焼く「粉引(こひき)」という技法を用いる。 「キーンと冷たい白じゃなくて、下地の土の色がほんのり透けるような、土の味がある優しい白が好きなんです。」

その温かな白地に描かれる絵は、華やかであるのに主張しすぎず、料理を引き立てる名脇役となる。 「お皿が欲しいと思う時って、料理と結びつけて考えますよね。トーストを乗せたらどうなるかな、サラダはどうかなって。だから、生活が少しでも楽しくなるような器でありたいんです。」

よそ者を受け入れる、産地の懐

「伝統工芸の産地」と聞くと、閉鎖的で、よそ者を受け入れない厳しい世界を想像するかもしれない。しかし佐藤さんは、「全然そんなことはなかった」と振り返る。

「私も東京から来て、自由にやりたいことをやらせてもらいましたけど、周りの窯元さんは温かく受け入れてくれました。昔から職人さんって、技術を学ぶために全国を行き来していたでしょう? 他の窯元さんも、京都や瀬戸へ修業へ行っているし。そういう気風がある業界なのかもしれませんね。」

かつて会津藩主が技術者を招き入れたように、あるいは職人が技を盗みに旅に出たように。会津本郷には、良いもの、新しいものを取り込もうとする進取の気性が、土地の記憶として刻まれているのかもしれない。

現在、樹ノ音工房には、地域おこし協力隊として兵庫や埼玉からやってきた若者たちが在籍している。「将来、会津本郷で窯を持ちたい」という夢を持つ彼らに、佐藤さんたちは惜しみなく技術を伝え、育てている。 「人口も減っているし、窯元も減っている。でも、だからこそ盛り上げていきたい。外から来た私たちが受け入れてもらったように、今度は私たちが次の世代を受け入れる番ですから。」

未来へ繋いでいきたいものは何か?

インタビューの最後、佐藤さんは嬉しそうな表情で「未来のこと」を話してくれた。 「娘が今、美大を出て多治見(岐阜県)で修行しているんです。再来年あたりにはここに戻ってくる予定で。」

工房の棚には、修行中の娘さんが送ってくれたという、淡く複雑な釉薬の混ざり合いが美しい花器が飾られていた。 「娘は娘で、また新しいことを学んでくる。一緒にいろんなことができたら楽しいなって、今からワクワクしています。」

佐藤さんが未来へ繋いでいきたいものは、次世代を受け入れ、ともに進化していくという向上心だ。

東京から来た妻、地元を守る夫、そして外の世界を見て帰ってくる娘。それぞれの経験と感性が混ざり合い、樹ノ音工房はまた新しい色を纏っていくのだろう。

「私たちが作る器で、使う人が少しでも幸せな気持ちになってくれたら。こだわりを一言で言うなら、それに尽きますね。」

カフェでコーヒーを飲み終えた客が、帰り際に一枚の皿を手に取った。 「これで朝ごはんを食べたら、いい一日になりそう。」 その呟きは、まさしく佐藤さんが、そして樹ノ音工房が、土に込めた願いそのものだ。

400年の歴史を持つ会津本郷焼。その伝統の年輪に、樹ノ音工房は「優しさ」という名の新しい層を刻み続けている。