400年以上続く技術と想いの炎を絶やさない。金属加工のまち・燕三条でバトンをつなぐ。

山田 立

Ritsu Yamada

燕三条 [新潟県]

山田 立(やまだ・りつ)
1973年新潟県生まれ。県内の百貨店での勤務を経て、ものづくりの世界に魅了され、燕三条を代表する企業のひとつである「玉川堂」に入社。その後、クラフトツーリズムを展開する株式会社つくるを設立し、燕三条の地域全体の発展に尽力している。

燕三条で400年以上続くものづくり。どんな想いを持って、どんな技術を磨いて、どんな歴史を歩んできたのか。そのエッセンスを訪れた人に感じてもらいながら、燕三条という地域のおもしろさを未来に繋げていければと思います。

燕三条のポテンシャルに魅せられて。
百貨店のバイヤーからものづくりの世界へ。

「そもそも私の実家は瀬戸物屋。だから、もともと器には興味があったんです。」

そう話す山田さん。新潟県内で生まれ育ち、大学卒業後も県内の百貨店に就職しバイヤーの道へ。しかし、そんな中でも器への興味は尽きなかった。

「バイヤーとしていろいろなテーマや商品を扱いましたが、『いつか器を扱いたい』という想いは入社以来ずっと抱いていましたね。そして、入社して10年ほどが経ったとき、その目標が達成されました。」

念願だった器のバイヤー。しかし、その目標を達成した後に見えたのは、別の景色だった。

「丁寧に製作された器そのものに魅力があるのは間違いない。でも、職人さんたちと関わる中で、器の奥にある手仕事や職人技の世界に魅了されていって。いつの間にか『自分もそちら側に立ちたい』という想いがわき上がってきたんですよね。」

そして、しばらくして百貨店を退職。2010年に燕三条で創業200年を超える鎚起銅器の老舗・玉川堂に入社した。

玉川堂での役割は「番頭」。主に営業や企画部門を担うのが役目だ。全国の百貨店での展示販売に出展するため、1 年のうち 3 分の1程度は県外に行っていたという。そんな中、山田さんにとって「燕三条」という地域に対する姿勢が変わる出来事が訪れる。

「2013年に『工場の祭典』というイベントが始まりました。これは、燕三条地域の工場を開放し、製造現場をお客様に体感してもらうことで工場や職人、ものづくりへの関心を持ってもらおうという取り組み。今では、まるで芸術祭のように、県内外、さらには海外からも足を運ぶ人もいる地域の一大観光事業になっています。

私が働く玉川堂は、地域の中では珍しく自社でものづくりが完結する企業。でも、燕三条では、『この工程は、この会社。あの工程は、あの会社』といったようにバトンをつなぎながらひとつの製品をかたちにしていくのが一般的。工場の祭典を機に、自社だけでは見えなかった燕三条の技術を目の当たりにして大きな感銘を受けました。」

初めて工場の祭典に関わってから数年後、山田さんは実行委員長も務めるまでになった。そして、工場の祭典は年々注目が高まり、今では工場の祭典をきっかけに燕三条に移住して職人になる人が出てきたり、常時工場を開放する企業が増えてきている。その様子を肌で感じながら、「だんだんと地域の意識も変わってきたように思う」と山田さんは話す。

時代の要請に応じてチャレンジし続ける。
それが燕三条のアイデンティティ。

「燕三条のものづくりは、江戸時代に農家が副業として始めた和釘づくりがルーツ。そこから400年以上もものづくりを続けてきましたが、その過程ではどんどん新しいことにチャレンジしているんです。」と話す山田さん。ものづくりのまち・燕三条に、息づくDNAを教えてくれた。

「たとえば、かつては燕市の近くにある間瀬銅山から良質な銅が採れることがわかったので鉄よりも加工しやすい銅器づくりが盛んになったり、洋釘の普及によって和釘の需要が減ったことでヤスリやキセルなど他のアイテムをつくり出す人が出てきたり。そして、紙巻きタバコの流行でキセル産業が廃れても、やかんをつくる技術を活かしてスプーンなどの食器をつくることに転じたりといった背景があります。」

時代の要請に応じて柔軟につくるものをアレンジしたり、新たな素材やアイテムにチャレンジしたりといった取り組みを繰り返してきた地域、それが燕三条なのだ。

また、山田さん曰く、燕三条はほかのものづくりの産地と異なる特徴があるという。

「ひとつは、職種の幅広さ。一般的にものづくりの産地というと、つくられる製品が集約されるケースも多いんですが、燕三条の場合は金属加工を中心としながらさまざまな素材・アイテムが存在しています。だから、訪れる工場ごとに違いや個性を感じられて、まったく飽きないんです。

もうひとつは、食に関する製品が多いこと。毎日使う身近なアイテムなので『知っている』『持っている』『使っている』『欲している』といった感情が浮かびやすい。燕三条を訪れれば、そんな製品たちがつくられる裏側を見ることができますし、その後地域のレストランなどに入れば背景を知った上で製品を使うことができます。その地域で、どんなものを、どんな人が、どうつくっているのか……そんな背景を知った上で、実際にものに触れる。それはきっと豊かな体験だと思うんです。」

「伝統とは灰を崇拝することではなく
炎を絶やさないことである」。

なぜ山田さんは、燕三条という地域に向き合うのか。その答えを尋ねてみた。

「この土地に伝わってきた技術や想いを、次の世代に引き継いでいきたい。それしか考えていません。オーストリアの作曲家・グスタフ・マーラーの言葉に『伝統とは灰を崇拝することではなく、炎を絶やさないことである』という一節があります。つまり、『かつてこんなすごい人がいた』『こんなすごい歴史があった』と伝統をノスタルジーとして表現するのではなく、まさに今現場で起こっている営みや生きている技術を次の世代につなぎ続ける。それが、大切なんだと思います。」

「そのためには、地域で生きる私たち自身が『燕三条は、今までこうして続いてきた』という文脈を知らないといけない。そして『おもしろい』と感じたことを、まだそのおもしろさに出会っていない人に伝えていかなくてはならない。そうすることで道は拓けて、炎を絶やさずに済むんだと思います。」

燕三条に灯り続けてきた炎を絶やさずに進んだ先にどんな未来が待っているのか。どんな姿を望んでいるのか。山田さんは語る。

「ものづくりやデザインに興味がある人が『まだ燕三条に行ったことがないの?』と言われるくらい、一度は燕三条に訪れることが当たり前のような状況をつくりたいですね。地球上の全員じゃなくてもいい。興味がある人に深く刺さり、足繁く通ったり、仲間と旅で訪れたりする地域になればいいなと思いますね。

そうなるために、地域としてはまだまだ伸び代ばかり。常時開放している町工場をもっと増やしたいし、地域と訪れる人をつなぐような人も増えないといけない。まちづくりにゴールなんてありませんから、目の前の課題をひとつひとつ解決しながら前に進んでいきたいと思います。」

最後に、燕三条を訪れる人に何を感じてもらいたいかを聞いてみた。

「まずは、ものづくりの現場に身体を預けてほしい。実際に現役で活躍している職人さんと間近で会話したり、製品を触ったり、自分でつくったり……400年以上続く燕三条ならではの営みを五感で味わってもらいたいですね。

自分でやるとどれほど難しいのか、職人さんはどれほどすごい技術を持っているのか、実際に体感することで、目の前の製品の見え方も変わってくるはずですから。」