濃醇を極めた会津の酒  磐梯山の麓で6代目が紡ぐ地酒のこれから

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宮森優治

Yuji Miyamori

会津 [福島県]

宮森優治(みやもり・ゆうじ)
福島県会津若松市出身。榮川酒造(2026年、天鏡株式会社に合併)6代目当主。大学卒業後、大手酒造メーカーで経験を積み、30歳で家業に入る。名水・龍ヶ沢湧水を活かした酒造りを軸に、地域振興と地酒文化の発信に取り組む。

磐梯山の麓で、酒造りを受け継ぐ宮森優治さん。榮川酒造を束ねる6代目当主として、名水・龍ヶ沢湧水と会津の米、そして杜氏の技を礎に、土地の食に寄り添う濃醇な地酒を醸している。その視線の先にあるのは、蔵だけではなく酒を軸とした地域全体の発展だ。宮森さんが思い描く未来を、その言葉から紐解いていく。

会津の風土が育んだ濃醇な酒

自らの肩書きを「6代目」と語る宮森優治さんは、現在、「天鏡株式会社」のグループ会社として、代々受け継いできた「榮川酒造」を束ねている。日中は営業活動に加え、酒造所敷地内の売店「ゆっ蔵」での接客や日本酒販売、酒蔵見学者の案内などに奔走し、夜になると得意先の飲食店へと足を運ぶ。

「夜は仕事半分、あと半分はプライベートですね。どうしたって私は酒屋ですから、榮川を忘れて人と会うことはありませんし、お酒を飲むこともありません。榮川は、私の人生そのもの。酒蔵を軸にして、私の生き方は定まっているようなものなんです」

宮森さんが家業を継いだのは30歳のとき。大学卒業後、大手酒造メーカーに勤めたのち、榮川酒造へ戻った。次男ではあるが、幼い頃から蔵を継ぐ意識は強かったという。蔵の敷地内に家があり、蔵人と遊び、彼らを家族のように感じて育った。「この人たちとともに過ごしていきたい」。宮森さんが自らの将来像を蔵に思い描いたのは、自然な流れだったといえる。

榮川酒造は、1896年創業の「宮森文四郎商店」にルーツを持つ。酒造りを営んでいたその店から暖簾分けという形で独立したのは、初代・宮森榮四郎である。以来、会津若松駅前に蔵を構え、地酒を醸してきた。

会津地方で酒造りが始まったのは、16世紀の末。会津若松市に入封した蒲生氏郷が、産業振興の一つとして灘から杜氏を招いたことに始まる。その後、江戸時代には会津藩の庇護の下でますます発展。現在でも全国有数の酒どころとして40の酒蔵を有しているが、それにはこの地ならではの環境が大きく影響している。

「酒造りには、米と水、そして醸造に適した気候が欠かせません。会津では江戸時代から稲作が盛んに行われ、また会津盆地を取り囲む山々からの伏流水に恵まれています。さらに、夏は暑く冬は寒いという四季の変化がはっきりした気候も、酒仕込みに適していたんです」

こうして醸された酒は、味わいも他の地域と一線を画す。キリッとした淡麗辛口とは真逆の、米の旨みをしっかりと感じる濃醇な味は飲みごたえがあり、どっしりとした輪郭を持つのが特徴だ。

「会津の食が導き出した味ともいえます。豪雪地帯のこの地域では、昔から塩や醤油でしっかりと味付けされた保存食が作られてきました。その味に負けない、濃い味の酒が求められたというわけです」

会津の代表的な郷土料理でもある「にしんの山椒漬け」は、その象徴だ。「身欠にしん」と呼ばれる乾燥させたにしんを、醤油、みりん、酢、山椒の葉とともに漬け込み、じっくりと熟成させた料理で、旨みが凝縮された珍味である。パンチの効いた山椒が香る、歯ごたえあるにしんを味わいながら、濃醇な酒を口に含む。互いの旨みが重なり合う完璧なマリアージュは、会津が育んだ食文化だ。

会津人ならではの気質が導いた「昔ながら」の味

そのなかで酒造りを営んできた榮川酒造は、早くから「社員杜氏」を採用した蔵である。多くの杜氏が春から秋にかけては農家として米を育て、冬になると蔵に雇われ酒を仕込むという働き方をしていた時代に、自社で杜氏を育成していく道を選んだのだ。

「当時、蔵を仕切っていた3代目は、酒を作る期間のみ関わる杜氏の働き方に疑問を持ったんです。酒は冬の間に1年分を仕込みますが、春になり夏になったときに味や品質がどう変化していくのか、瓶詰めをした商品がお客様にどう評価されるのかなど、すべて見届けるのが造り手の責任だと考えたようです」

さらに、宮森さんの父である5代目もまた、蔵の未来を左右する決断を下した。それが、酒造りの要である「水」を求めての移転である。

それまで蔵を構えていた会津若松市でも、仕込みのための潤沢な地下水が得られてはいたが、都市化が進み始めた1970年前後から水量の減少や水質の変化が見られるようになったのが理由だ。

「醸造量もかなり伸びている時期でしたので、父は先々のことも考え行動を起こしたんだと思います。良質な水を求めて会津一円を調べ歩き、行き着いたのがここ磐梯町。ついに名水を発見したんです」

その水こそが、龍ヶ沢湧水である。移転を決意した翌年には「日本名水百選」にも選ばれた、類まれな名水だ。もし5代目の決断が少しでも遅れていたら、蔵を建てること自体、許可が下りなかったかもしれない。

新たな水を得た榮川酒造は、町の協力もあって磐梯山の麓に広がる森林を造成し、3万坪にも及ぶ敷地に蔵を建造。それまでの硬水とは異なり龍ヶ沢湧水は軟水であるため、酒の発酵を見極める杜氏にとっては大きな挑戦となったが、大自然に抱かれた新天地での酒造りは幕を開けた。

一方、磐梯町への移転は、「地酒蔵元」として地域との結びつきもさらに強めた。原料である酒米・美山錦は町内の農家に栽培を依頼し、賄いきれない分は会津地方や福島県内の米を使用。地域の循環を進めるため、農家とともに酒米作りを学ぶことも珍しくない。そのこだわりを、宮森さんは次のように説明する。

「日本酒の魅力は、なによりも土地の気候風土が味に反映されることです。また、土地の『食』に合うように醸されるのも大前提。10の酒どころを訪ねれば、10通りの酒と食に出会えるというように、お酒の多彩さを生み出すのは地域なんです。

もちろん、私も会津を離れれば、その土地の酒と食を楽しみます。それが地酒を楽しむ醍醐味ですから」

そんな榮川酒造が手掛ける酒の柱は、トップブランドである純米大吟醸「榮四郎」と、日々の晩酌酒として長く親しまれる純米酒「榮川」である。それらを軸に、原酒や生酒、火入れなどに姿を変えた酒は100種類にも及ぶ。味わいはあくまでも「昔ながら」。フルーティーな香りが注目される時代でも、日本酒らしい米由来の香りにこだわる。

「甘・酸・辛・苦・渋という、日本酒特有の五味を大切にしています。それらのバランスが取れ、口の中に心地よく広がっていくのが、日本酒本来のおいしさだと思っています。

ただ一方で、会津人特有の頑固さがそうさせているともいえるんです。会津の杜氏の多くは、代々受け継いできた技術を守る意識が高く、逆に新たなものを生み出すのが苦手。

言い換えれば、トレンドに合わせて味を器用に変化させるのは得意ではありませんが、伝統という枠組みの中で味に磨きをかけていく意欲は非常に強いといえます」

この頑固さは、裏を返せば一貫性であり、信頼でもある。飲み手は、いつ手に取っても榮川らしい味に出会えるのだ。その安心感こそが、長く支持されてきた理由だろう。

6代目の役割は、酒のおいしさを体現すること

榮川酒造が蔵を構える磐梯町は、会津を象徴する磐梯山を背に、眼前には日本で4番目の広さを誇る猪苗代湖を望む地である。日本中が開発に湧いたバブル期でさえ、その波が押し寄せることはなく、今も大自然の豊かさに包まれる。城下町の面影が残る街並みも含め、訪れた誰もが感じる「日本らしさ」がここにはあるのだ。その環境のもと、宮森さんはどんな酒を醸したいのだろうか。

「やはり、この土地らしさを映し出すお酒ですね。

実は、地元の人が地元のお酒や食のおいしさを知らないことも少なくないんです。まちの将来を考えると、このままで良いのかと正直不安になります。会津が観光地としてあり続けるには、まずはここで暮らす人たちが地元で作られる味に親しみと誇りを感じるべきです。

私にできることは、土地の良さを活かした地酒を造ること。そして、その酒を手に取る人を増やしていくことです。夜な夜な飲食店を回るのもそのため。お酒のおいしさを自ら体現することが、6代目としての役割だと思っています」

さらに、「日本酒を楽しく味わう時間も大切」と宮森さんは付け加える。酒と食を囲み、人と人とが繋がるとき、そこには良い時間が流れる。酒を楽しむ人もまた、酒を育てているのだ。

水、米、気候、杜氏、そして盃を交わす人々。それらすべてのピースが揃ってはじめて、日本酒のこれからを描けるのだろう。

未来へ繋いでいきたいものは何か?

最後に、宮森さんに未来へ繋いでいきたいものは何かと尋ねると、ゆっくりと言葉が返ってきた。

「酒造りを核とした、地域全体の繋がりでしょうか。

酒米を育てる地元の農家さんや、お酒を飲んでくださる地元の人たち。その輪をもっと広げたいと考えているんです。

そこには子どもたちも含まれます。例えば、酒造りや米作りを子どもたちに伝えてもいいでしょうし、水のおいしさや大切さを一緒に学んでもいい。そうした積み重ねから、世代や立場を越えたコミュニケーションが生まれれば、地域の魅力はきっと次の世代へと受け継がれていくはずです。

そのコミュニケーションの場に、お酒があればなおいい。しらふでは思いつかないような、まちを面白くするアイデアが飛び出すかもしれませんから」

冗談めかした言葉からは、自ら醸す酒と、それを支える地域への愛情が伝わる。蔵の歩みは単なる企業の歴史ではなく、水を守り、米を育て、人を繋ぐ営みの連続を表す。担い手たちの情熱がなければ、その時間は途切れていたかもしれないのだ。

現在、同じ敷地内では、パートナーである「天鏡蒸溜所」がウイスキーの蒸留を進めている。これもまた、磐梯町の名水が導いた挑戦である。数年後には、この地の大自然を映した唯一無二のジャパニーズウイスキーが誕生する予定だ。

同じ水を原料に生まれる日本酒とウイスキー。水が結んだ縁がどのような未来を醸していくのか、今から期待が膨らむ。