蒔絵師として、伝承者として未来へ繋ぐ、urushi文化と日本人の感性

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中村光彩

Kousai Nakamura

会津 [福島県]

中村光彩(なかむら・こうさい)
福島県会津若松市出身。会津漆器の蒔絵師であり、会津塗伝統工芸士。金沢で蒔絵の技法を学んだ後、会津に戻り「光彩工房 中村光彩」を設立。金・銀・プラチナ・色箔を用いたガラス蒔絵を代表作に持つ。現在は会津塗伝承館・鈴善漆器店で蒔絵体験の講師を務め、創作と並行して会津漆器文化の伝承に携わる。

蒔絵師・中村光彩さんは創作と伝承の両輪を担っている。会津漆器伝承館である鈴善漆器店で蒔絵体験の講師を務めるかたわら、会津漆器の実用性と金沢で学んだ装飾技法を融合させ、独自の表現を追求してきた。長い歴史とともに育まれてきた漆器文化は今、時代の変化とともに岐路に立たされている。それでも中村さんは、漆と向き合い続ける。その歩みをたどりながら、会津という土地が育んだ文化が、未来へ何を手渡そうとしているのかを問い直す。

会津で芽生え、金沢で磨かれた蒔絵の技

「会津は雪国なので、冬になると完全に雪で閉ざされてしまいます。その環境に耐えながら過ごしていると、人も自然に我慢強くなるんでしょうね。会津塗りの職人が、木地に何度も何度も繰り返し漆を塗り重ねて仕上げていくのも、そんな気質からなのかもしれません」

温和な笑みを浮かべてそう話すのは、400年以上の歴史を持つ会津漆器の蒔絵師、中村光彩さんだ。生まれ育ったここ会津の地で創作活動を続けるかたわら、会津塗伝承館「鈴善漆器店」で蒔絵体験の講師を務めるようになって18年ほどが経つ。体験に訪れるのは、修学旅行の小学生から一般観光客、さらには海外からの団体客までと幅広い。

蒔絵は、漆を用いて器の表面に文様を描き、そこへ金や銀の粉、あるいは色粉を蒔き付けて仕上げる漆器の加飾技法である。体験では、参加者が皿や椀、手鏡などから好みの品を選び、中村さんの指導のもとで絵を描き、世界に一つだけの漆器に仕上げていく。

「青森、秋田、石川、京都など、全国各地に漆器の産地はありますが、一般の方が気軽に蒔絵を体験できる場所はここくらいです。作ったものはその日のうちに持ち帰ることができ、とても喜ばれています」

中村さんは、もともと漆職人の家に生まれたわけではない。一度は会津を離れて会社員として働いていたが、故郷への思いが次第に強まり帰郷。そこで勤めたのが、全国の漆器を取り扱う小売店だった。

営業担当として、会津をはじめ全国で作られるさまざまな漆器を各地の百貨店に案内するうちに、中村さんはその美しさに惹かれていく。なかでも特に心を奪われたのが、石川県を産地とする金沢漆器の加賀蒔絵。日本には「三大漆器(蒔絵)産地」があり、京漆器(京蒔絵)、金沢漆器(加賀蒔絵)、江戸漆器(江戸蒔絵)がそれにあたる。とりわけ金沢漆器は、江戸時代に京都から職人を呼び寄せ、加賀藩の保護のもとで発達した歴史を持ち、蒔絵に金や銀を惜しみなく使用するため、華麗さと重厚さを併せ持つ。

「金をこれほどまで光り輝かせる技に、衝撃を受けたんです。その豪華さには息を呑むほどでした。そんな私の様子を見ていた取引先の方が、あるとき、『金沢で修行したらどうか』と言ってくださって。それを機に金沢で弟子入りし、漆の調合や金粉の扱い、筆の運びなど蒔絵の技法を学びました」

漆文化を次世代へ、世界へと繋げる中村光彩の感性

一方、会津漆器の歴史は戦国時代にまでさかのぼる。1590年、蒲生氏郷が会津若松市に入封し、城下町整備と産業振興の一環として漆器づくりを奨励したことが始まりとされる。その際、近江から木地師や塗師も伴ったことで、木地づくりや塗が盛んになり、漆器づくりの基礎が整った。さらに1661年には蒔絵も取り入れられ、藩の後ろ盾のもとで安定した生産基盤が築かれていった。

こうして育まれた会津漆器は、武家や寺社向けの調度品にとどまらず、庶民の生活道具として広く普及した点に特徴がある。黒塗りや朱塗りを基調とした実用性の高い器は、冠婚葬祭から日常生活まで欠かせない存在となり、使われる漆器としての文化が根付いていった。蒔絵においても、日常使いに適した比較的簡潔な技法が発展。金沢漆器が蒔絵の芸術性や装飾性を追求してきたのに対し、会津漆器は暮らしの中で使われる実用品として磨かれてきたのだ。

「私の実家はもちろん、漆器はどこの家にもある必需品でした。お正月や祝言の際には多くのお客様を迎えるため、最低でも20人分くらいのお膳やお椀を備えていたものです。ただそれらの大半は、無地のもの。加賀蒔絵の艶やかさに魅了されたのも、そのためでしょう」

修行を終えて会津に戻った中村さんは、再び漆器問屋で働きながら夜には創作活動を行い、金沢で学んだ技法を、会津という土地でさらに磨いていった。そんな矢先、中村さんを悲劇が襲う。妻の急逝である。

「子どもがまだ幼かったので、これからどう生きていくのかを考えざるを得ませんでした。会社勤めでは子育てとの両立が難しい。でも職人であれば時間に縛られることなく自宅で仕事ができる。そう考え、蒔絵師として独立することを決意したんです」

悲しみを癒すかのように仕事に打ち込んだ中村さんは、やがて自らの表現を築き上げていく。暮らしに寄り添う日常使いの会津漆器に蒔絵を施す一方で、金沢から金粉を取り寄せ、修行時代に培った技法を生かした作品にも取り組んだ。

その過程でもっとも神経を使ったのが、漆の調合だったという。漆は気候によって乾き具合が異なり、さらに地域ごとに受け継がれてきた技法によって最適な調合も変わる。会津に拠点を構えた中村さんは、この土地に合った漆の状態を見極め、創作の幅を広げていった。

「細い線は極力細く描き、金や銀の輝きを出す際には、磨き加減にも気を配ります。

ただ、同じ材料を使って同じ絵柄を描いても、仕上がりは蒔絵師によってまったく異なるんです。産地というより、職人の感性そのものが作品に現れるからでしょうね」

豪華絢爛な金沢漆器と、使われることに重きをおく会津漆器。両者の特性を理解したうえで、漆や箔、金や銀といった素材が持つ美しさをどう引き出すのか。それらに向き合い続けた中村さんは、蒔絵師としての独自の世界観を形にしていった。

しかし平成の時代に入ると、日本経済の停滞とともに会津漆器を取り巻く環境も大きく変化する。需要の低迷により、主な取引先だった漆器問屋をはじめ、関東・関西へ出荷していた大型の漆器店が次々と倒産し、業界全体が厳しい時代に入ったのだ。それまで仕事に困ることのなかった中村さんも、生活の糧を失うことになる。

だが当時、すでに自分の作りたいものを自分の裁量で形にしたいと考えるようになっていた中村さんは、新たな作品も手掛けるようになっていた。それが、ガラスに蒔絵を施すという技法だ。透明な素材であれば、漆器では困難だった絵や色彩が描写できるのではないか。そうした発想から、試作を重ねていたのだ。

転機となったのは、またも人との出会いだった。栃木県益子の陶芸家が、ガラスや陶器に漆を用いた表現を模索しており、共同制作が始まったのだ。陶芸家が作ったガラス作品に、中村さんが蒔絵を施す試みである。

「難しかったのは、漆とガラスの密着でしたね。何度やっても剥離してしまうことから、ガラス表面の下処理や漆の調合を一つずつ見直し、試行錯誤を重ねてようやく技術が確立しました」

いまや、蒔絵師・中村光彩の代名詞ともなったガラス蒔絵は、光を受けて色鮮やかに輝き、伝統の技のなかにも現代的な美しさを宿す作品として、国内外から高い評価を得ている。漆器業界の変容という逆風にさらされながらも生まれたこの作風は、中村さんにとって、漆という素材を次の時代へ、広い世界へと導いていくための一つの答えにもなったといえる。

会津塗伝承館で担う、伝え手としての役割

現在、中村さんが蒔絵体験の講師を務めている鈴善漆器店は、会津若松の漆文化を今に伝える存在として、長く地域に根を張ってきた漆器店である。敷地内には、江戸から明治期にかけて建てられた蔵が点在し、現在は店舗、工房、ギャラリー、そして体験の場として活用されている。会津塗伝承館として国の登録有形文化財にも指定されており、建築そのものが会津の歴史を物語る貴重な文化遺産だ。

また鈴善漆器店が特別なのは、単に漆器を売る場所ではなく、これまでの歩みを伝える場としての役割を担っている点にもある。最盛期には生活の中に当たり前に存在していた漆器。しかし、生活様式の変化とともに需要が落ち込むなか、未来へその価値を伝承する使命を引き受けたのだ。

「会津漆器に限らず、日本全国の伝統工芸品が姿を消していく今、職人として、文化を絶やしてはいけないと感じています。蒔絵体験の講師を引き受けたとき、仕事場を鈴善に移したのもそんな思いからです」

蔵を開放し、誰もが漆に触れられる鈴善漆器店は、次の世代に伝統を繋ぐ象徴的な存在だ。その場に身を置く中村さんもまた、蒔絵師であると同時に伝承者なのだ。

「私はそもそも、人と話すのは得意ではなかったんです。ですが、ここでいろんな方とお会いするようになって、人一倍話し好きになりました。職人は無口の方が良い、なんて思いながらも、今では皆さんとの会話が楽しくて仕方ないですね」

未来へ繋いでいきたいものは何か?

最後に、中村さんに未来へ繋いでいきたいものは何か、と尋ねた。

「やはり、漆という塗料ですね。世界を見渡しても、漆の木から樹液を採取し、塗料として使っているのは日本だけ。英語では、“paint” や“lacquer”と訳されますが、日本独自の塗料“urushi”として、そのまま通用する存在になればと願っています。

漆は、黒であっても朱であっても、ほかにはない独特の色合いを持っています。そこには、自然そのものの神秘が宿っている。漆のすばらしさを広く伝え、後世に残していくこと。それが、私の役割だと思っています」

漆文化の根底には、自然がある。山や森、水に恵まれ、豊かな自然とともに生きてきた日本人は、日々の営みのなかで独自の美意識を育んできた。その延長線上に、漆器をはじめとする伝統工芸が息づいているのだ。

鈴善漆器店という伝承の場で中村さんが伝えようとしているのは、会津漆器の美しさや歴史だけではなく、自然に感謝し、自らも自然の一部と捉える、日本人の感性そのものなのかもしれない。