会津に宿る精神性——「ならぬことはならぬ」什の掟で繋ぐ、人としての生きる道

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佐藤功武

Yoshitake Sato

会津 [福島県]

佐藤功武(さとう・よしたけ)
福島県会津若松市出身。会津藩士・相沢平右衛門の子孫。会津若松観光物産協会で修学旅行誘致に携わり、東日本大震災後の地域振興にも尽力する。磐梯朝日国立公園ビジターセンター勤務、福島県移住コーディネーターを経て、現在は會津新選組同好会の局長として、会津の歴史と精神性の継承に取り組む。

70代にしてフルマラソンを走り、地域の歴史と誇りを胸に活動を続ける佐藤功武さん。会津若松市の奥座敷、東山温泉に生まれ、会津藩士の子孫として育った佐藤さんは、家業の廃業や東日本大震災といった幾多の困難を経験しながらも、地域振興に尽力してきた。現在は會津新選組同好会の局長として、歴史や武士の生き様を次世代へ伝える役割も担う。什の掟に象徴される会津の精神性とは何か、そして佐藤さんが地域に尽くし続ける理由とは。その歩みとともに紐解いていく。

いただいた恩は故郷に返していく

「週に3、4日は10キロ走っています。週末には20キロくらいですかね。地元で開催されるフルマラソンや東京マラソンでも完走しています」

今年で71歳を迎える佐藤功武さんの姿は、エネルギッシュそのものだ。走り始めたのは50代に入ってから。単なる健康習慣や趣味ではなく、東日本大震災で被害を受けた故郷を元気づけたい、という思いがきっかけだった。

「震災直後は、暗いニュースばかりが聞こえてきました。そこで、ここ福島にも前を向いて走っている人間がいるんだ、ということを知ってほしかったんです」

佐藤さんは、会津若松市の中心部から程近い東山温泉で旅館を営む家に生まれ、会津藩士の血を受け継ぐ者として育った。しかし、これまでの歩みを尋ねると、決して順風満帆ではなかったようだ。

家業を継いだものの、その頃にはすでに経営は行き詰まり、ほどなくして廃業。借入も膨らみ、他県への移住を考えた時期もあった。そんなときに力を貸してくれたのが、故郷会津の人々だったという。

「『応援するから、ここに残ってがんばれ』と、励ましてもらったんです。しかも、家を建てる算段まで付けてくれました。他人がここまでやってくれるのかと、本当にありがたかった。

しばらくして、どうすればお返しができるかと尋ねたら、『そんなことは、いいから』と断られてしまって。だったら、いただいた恩は地域に返していこうと決心したんです」

その後、佐藤さんは故郷活性化のための活動に取り組むようになる。自らを「会津のセールスマン」と称し、会津若松観光物産協会の職員として修学旅行の誘致に力を注いだ。持ち前のバイタリティで地域のために働くことは、大きなやりがいに繋がっていった。

しかし、そのわずか1年後に東日本大震災が発生する。それまで会津地方に修学旅行で訪れていた学校の9割以上が、足を運ばなくなったのだ。

「正直、困ったことになったと思いました。でも同時に、これは私の出番だとも感じたんです。会津が窮地に立たされているときこそ、恩返しができるチャンスだと。

それからは、全国各地の学校や教育委員会を回って、『ぜひ会津に戻ってきてください』と頭を下げる日々でした」

結果、修学旅行生の数は徐々に回復し、全盛期の8割にまで戻すことができた。佐藤さんが、修学旅行の誘致をする際、必ず伝えていたこと。それは、会津に訪れる価値だったという。

「会津には、『什の掟』という教えがあります。それによって培われた気風や精神性は、地域全体の価値でもあるんです。

幕末の戊辰戦争では、会津藩に10代の少年たちによる白虎隊が結成されました。彼らの年齢はちょうど、修学旅行に訪れる中高生くらい。若くして故郷のために戦い、命を落とした白虎隊の行動は、まさにその精神性に裏付けされたものです。そう説明すると、先生方も納得され、再び会津の地を選んでくださいました」

「什の掟」とは、江戸時代、会津藩の子息たちが武士の心構えとして学んだ教えである。藩校である日新館では、武芸や学問だけではなく、この什の掟を基盤とした道徳教育が重視された。「ならぬことはならぬ」の言葉に象徴されるように、自らを律し、人としてやってはいけないことは決してやらない、という教えは、会津人の人となりに大きく影響している。

その後、佐藤さんは磐梯朝日国立公園内にあるビジターセンターに所属し、山での遭難者救助や野生動物対応に従事。さらに福島県の移住コーディネーターとしても活動し、故郷のために汗を流した。その道のりを振り返ると、「義」を尽くすという会津藩士にも重なる姿勢が見えてくる。

高祖父から受け継いだ、ブレない生き方と責務

会津人の精神性を理解するうえで欠かせないのが、会津藩が辿ってきた歴史である。藩の骨格を形作ったのは、藩祖・保科正之公が残した家訓だ。そこには「徳川幕府が困ったときは、真っ先に駆けつけよ」という忠義の覚悟が明確に示されていた。どんな状況であれ、中立や保身を選ばない生き方は、藩の思想のみならず、個人の価値観として組み込まれていく。

その結果として、尊王攘夷を唱える反幕府派が勢いを増していた幕末、会津藩は京都守護職という役割を引き受ける。各地の反発を一身に受けることを分かっていながらも、治安維持の重責を担い、さらに反幕府勢力の取締りに当たっていた新選組も藩の預かりとなった。

会津藩が重んじた「義」と、新選組が掲げた「誠」は、ともに変節を嫌い、筋を通す精神性に支えられていたのだ。

「戊辰戦争において、白虎隊の悲劇や会津若松城落城など大きな犠牲を払いながらも、会津藩は最後まで幕府側に立ち続けました。什の掟を基盤として養われた、武士としての『義』を貫いたからです。その思想は、いまも会津人の心に深く刻まれています」

言うまでもなく、佐藤さんもまた、什の掟を自らの指針としている。戊辰戦争の激戦を生き抜いた会津藩士・相沢平右衛門を高祖父に持ち、「ならぬことはならぬ」と自分を律し、困っている人がいれば進んで手を差し伸べてきた。

「高祖父からは、『自分のような生き方をしろ』と言われている気がするんです。受け継いだ数々の古文書のなかには、妻や家族を案じて送った手紙がいくつも残っています。読み解いてみると、この時代の武士が、これほどまでに愛情や優しさを言葉にしていたのかと驚きます」

会津藩遊撃隊の隊長だった高祖父は、部隊の名簿「遊撃隊惣人別」や、負傷や討死した隊員の名を記した「遊撃隊討死手負人別」も残している。戦後に書かれたそれらの記録からは、生き残った者としての強い責務が伝わってくる。

「私に託されたということは、何らかの行動を起こせ、ということだったんでしょう。昨年、戦で亡くなった藩士たちの慰霊祭を執り行ったことで、先祖に少しでもお返しができたのではないかと感じています」

会津人としての誇りを、今に伝える

現在、佐藤さんが「局長」として力を注ぐのが、會津新選組同好会だ。隊員は東北から九州まで80名以上に及び、新選組隊員たちの研究や講演会の実施、全国の新選組ゆかりの地との連携など、活動は多岐にわたる。なかでも特に力を入れているのが、会津新選組まつりや会津まつりといった地元イベントへの参加である。新選組の衣装をまとい、西軍と刀を交える演舞には、観衆から拍手喝采が起こる。「かっこいい!」との子どもたちからの声は、なにより励みになるという。

「最初は、勝鬨をほんの数回上げる程度でしたが、沿道で喜ぶ人たちの姿を見るにつれ、皆さんをもっと楽しませたい、元気づけたいと思うようになったんです。

もちろん、私たちの姿を通して会津人の誇りも感じてもらいたい。それこそが会津の美点ですから」

一方で、佐藤さんは過去の対立を現代に持ち込まない。修学旅行の誘致活動を行っていた頃、こんなエピソードがあったという。

訪れたのは、戊辰戦争の敵、薩摩藩が治めた鹿児島県のとある学校。校長室に通され、始めは互いに構えていたというが、しばらくして「郷中教育」に話題が及んだ。郷中教育とは、薩摩藩が武家の男子に施した教え。その内容は什の掟とほぼ共通しているという。

「ただ一つ違うのは、郷中教育には『負けるな』という教えがあること。冗談まじりに校長先生にそのことを告げると、一気に場が和んだんです。つまり、会津も薩摩も、人々に宿る気質は同じ。武士として、藩に忠義を尽くした精神は変わりません。

過去の歴史を水に流すことはできないかもしれませんが、お互いをよく知り、理解し合うことはできる。そう痛感した出来事でした」

対立や分断を煽るのではなく、多くの結びつきのなかで新たな歴史を刻んでいきたい。佐藤さんの表情からは、そんな願いを感じる。

未来へ繋いでいきたいものは何か?

最後に、未来へ繋いでいきたいものは何かと尋ねると、佐藤さんは迷いなくこう答えた。

「自分を律し、同時に、人に優しさを向けられる精神性ですね。これは、会津人だけではなく、日本人が育んできたすばらしい心です。

『日本の近代化を支えたのは、長い歴史のなかで培われた日本人の精神性である。争いより秩序を重んじ、自らを律し、他者と調和しようとする姿勢こそが、日本を築いてきた力だ』。

アインシュタイン博士は、かつてこのように話したそうです。ただ、この精神性は、日本だけでなく、世界の人々にも通じると信じています」

「会津の一番の宝は人。そして子どもたちは、未来からの特派員です」とも佐藤さんは話す。未来を築いていく子どもたちに、生きていくうえでの不文律を持ってほしい。その思いから、会津では現代版什の掟ともいえる「あいづっこ宣言」が作られ、今の子どもたちに唱和を奨励しているそうだ。

武士たちがそうだったように、会津では今もなお、人として生きる道を説いている。だからこそ、脈々と受け継がれた心の在りようは、確実に次の世代へも受け継がれていくのだろう。

会津の頑固者、とも呼ばれる佐藤さんだが、その言葉や行動には人を思いやるあたたかな優しさがあふれる。譲れない芯と柔軟さを併せ持つその生き方は、多くの人が学ぶべき価値を映し出している。