
世界に求められる本郷焼を次世代に繋ぐ──東北最古の磁器を守る窯元の矜持
佐竹敦夫
Atsuo Satake
会津 [福島県]
佐竹敦夫(さたけ・あつお)
福島県会津美里町出身。明治5年創業の富三窯五代目富三。会津本郷焼の伝統を受け継ぎ、磁器・陶器の双方を作陶している。学生時代には日本画を専攻しており、窯元を継いでからもその技術は絵付に生かされている。富三窯の代名詞「椿」の他、伝統的な祥瑞柄からモダンな動物柄まで幅広く手がける。
焼物の里、会津本郷の地で、150余年の歴史を持つ富三窯。現在窯元を支えているのが五代目富三・佐竹敦夫さんだ。陶器・磁器どちらも扱い、多岐にわたる技術・技法を駆使して多種多様な器づくりを続けている。伝統を受け継ぎながらも、現代的なデザインを取り入れるなど、独自の表現も追求していくその活力の源とは。詳しく伺った。
百五十年の地層の上で。富三窯の歴史
会津盆地の南端、会津美里町。のどかな田園風景が広がるこの町は、かつて100を超える窯元が軒を連ね、煙突から立ち上る煙が空を覆ったといわれる「焼き物の里」である。 400年の時を超え、現在も12の窯元が火を灯し続けるこの地で、ひときわ静謐な時間を刻む場所がある。明治5年(1872年)創業、「富三窯(とみぞうがま)」だ。

富三窯のギャラリーである白鳳堂・竹亭の扉を開けると、ひんやりとした湿気を帯びた重厚な空気が体を包む。ギャラリーの壁際には歴代富三の作が展示され、本郷焼と窯の歴史が紹介されている。「いらっしゃい、寒いでしょう。」籐の椅子を差し出しながら電気ストーブの前に案内してくれたのは、5代目富三、佐竹敦夫(さたけ あつお)さんだ。
「ここね、昔は山だったんですよ。登り窯があった跡地なんです。」 佐竹さんは工房の敷地を指差して、遠い目をしながら語り始めた。富三窯の歴史は、明治の初めに遡る。 もともとこの地には、佐竹家の本家が構える大きな窯があった。そこから次男として分家し、独立したのが「富三」の始まりだ。以来150年余り。時代は明治、大正、昭和、平成、そして令和へと移ろい、かつて登り窯があった場所はスーパーマーケットになり、また姿を変えた。本家の窯元は途絶えてしまったが、この富三窯は、変わらずこの地で土を練り続けている。
失われゆくてしごとの記憶と、受け継がれてゆく錬金術

会津本郷焼の最大の特徴は、一つの産地で「陶器(土もの)」と「磁器(石もの)」の両方が作られるという、全国的にも稀有な二面性にある。富三窯もまた、その両方を手がけるが、特にその名を知らしめているのは、透き通るような白磁に繊細な絵付けを施した「染付(そめつけ)」の技術だ。
「うちは代々、細かい仕事が得意でしてね。特に『祥瑞(しょんずい)』と呼ばれる幾何学模様や、吉祥文様を描き込む技術は、先代たちが命を削って残してくれたものです。」
佐竹さんが見せてくれた古い図案帳には、江戸の著名な画家、北斎や広重の作から取った図案が並んでいた。さらには職人たちが描いた緻密なスケッチ。そこには、選んだ図案を器の画に重ね、どのような配置にするか思案した跡が残されていた。それは単なるデザイン画ではない。生き残るために技を競い合った、先人たちの執念の記録でもあった。
「昔はね、この祥瑞や山水の線を描く細い筆、ネズミの毛で作っていたんですよ。」 佐竹さんは静かに笑う。 「琵琶湖の周りに住むネズミの毛が最高級品だったんですが、もう20年も前にいなくなってしまった。今は中国製や代用品ですが、それでもこの筆を作る職人自体が減っている。道具がなくなるというのは、技術がなくなっていくということとイコールなんです。」
佐竹さんは懐かしそうに、映画『男はつらいよ』の話を持ち出した。 「寅さんの映画でね、いしだあゆみさんがマドンナの回があるでしょう。あの中で、京都の陶芸家が出てきて、手でろくろを回すシーンがあるんです。可愛らしい感じで撮られていますけど、あれこそが本来の姿。昔は片手で重い台を回して、その遠心力が消えないうちに土を引く。両手が使えないから、片手引きだったんです。」
電動ろくろが普及し、効率化が進む現代においても、彼の手のひらには「土と対話する速度」が刻まれている。人の呼吸に合わせた回転を忘れない。それが、富三窯の器が持つ、どこか有機的な温かみの正体なのかもしれない。

富三窯の作品を特徴づける「白」。それは単なる白ではない。わずかに青みを帯び、凛とした冷たさと深みを感じさせる白だ。この色は、会津本郷で採れる「大久保陶石」という原料と、「還元焼成(かんげんしょうせい)」という焼き方によって生み出される。
「焼き物には『酸化』と『還元』があるんです。酸化は酸素をたっぷり入れて焼くこと。でも、磁器でそれをやるとクリーム色になってしまう。真っ白な、あるいは青みがかった美しい白磁にするには、窯の中の酸素を遮断して、不完全燃焼のような状態で焼く『還元』じゃなきゃいけない。」
佐竹さんの口からは、化学者のような言葉が飛び出す。 江戸時代、この「還元」の技術が確立されるまでには、18年もの歳月がかかったという。
「陶器は1200度、磁器は1300度。たった100度の違いですが、その世界は全く別物です。陶器の土は鉄分を含んで黒っぽいから、白く見せるために『白化粧』という泥を塗る。一方で磁器は、石そのものを焼き締める。うちはその両方をやるから、頭の切り替えも大変ですよ。」
土と炎の化学反応を熟知し、コントロールする。それはまさに、現代の錬金術師の姿だ。

素焼きされた白い器に、絵付けを施す工程。ここにもまた、富三窯の看板とも言える「椿」の絵付けを支える、ある伝統の技がある。「ダミ(濃み)」だ。 太い筆にたっぷりと「呉須(ごす)」と呼ばれる青みがかった灰色の絵の具を含ませ、細い筆で描いた輪郭線の中を塗り埋めていく。しかし、ただ塗るのではない。筆に含まれる水分量を指先の感覚だけで調整し、一つの色の中に無限のグラデーションを生み出すのだ。
一度筆を置いたら、もう後戻りはできない。素焼きの生地は瞬時に水分を吸い込むため、描き直しは一切きかないのだ。失敗すれば、成形から乾燥、素焼きまでの数週間の工程がすべて無駄になる。 「祥瑞」の幾何学模様、「山水」の風景画、「ダミ」の色付け。0.1ミリの狂いも許されない世界で、佐竹さんは迷いなく筆を走らせる。その集中力は、祈りにも似ている。
画家の夢、そして「遊び心」への回帰
これほどまでに伝統技法に精通する佐竹さんだが、意外なことに、かつては家業を継ぐことに抵抗があったという。 「本当は、東京の美大に行きたかったんです。日本画をやりたかった。」
若き日の佐竹さんにとって、決められた伝統の図案をなぞるだけの仕事は、退屈で窮屈なものに見えたのかもしれない。親の説得により京都へ修行に出されたが、彼の中にある「絵を描きたい」という情熱の火種は消えていなかった。 そして今、その情熱は、伝統という土台の上で、自由な「遊び心」となって爆発している。
ギャラリーの棚に、異彩を放つビアジョッキがあった。描かれているのは、手足が異様に長い妖怪「手長足長」。前衛的で、ユーモラス。 「これね、僕が20代の頃にデザインして県展に出したやつなんです。こういう昔作ったのをたまに面白がって買ってくれる人がいるんです。」
それだけではない。現代的なペンギンの絵柄、愛らしいうさぎの染付。 「若い人にも使ってもらいたいし、何より描いていて楽しいですから。」 日本画を志した青年の感性は、40年の時を経て、伝統工芸という枠の中で見事に開花していた。過去の図案をただ守るのではなく、現代の空気を取り入れて「遊ぶ」。それこそが、五代目富三のスタイルなのだ。

インタビューの終盤、佐竹さんは一つの急須を手に取った。 「いい急須っていうのはね、立つんですよ。」 そう言うと、彼は平らなテーブルの上に急須を置いた。……いや、置いたのではない。急須の「取っ手」を垂直にして、自立させたのだ。
「バランスが完璧じゃないと、こうはならない。注ぎ口や茶こしにも気を配って、このバランスで作られた急須は、お茶のキレが違う。最後の一滴まで美味しく淹れられるんです。」
見た目の美しさだけでなく、道具としての機能性を極限まで追求する。その姿勢は、海を越えて評価されている。 「最近はね、中国のお客様が多いんです。彼らは本当にお茶の文化を知っているから、いい茶器を一目で見抜く。日本の若い人よりも、むしろ海外の人の方が、この手仕事の価値を分かってくれることもありますね。」
かつて中国の景徳鎮に憧れ、有田の模倣から始まった日本の磁器。それが今、長い時を経て独自の進化を遂げ、再び大陸の人々を驚かせている。歴史の不思議な巡り合わせを感じずにはいられない。
未来へ繋いでいきたいものは何か?

現在、佐竹さんの甥御さんが焼物の修行を積んでいるという。 「次の世代に、ちゃんとバトンタッチできるようにしたい。それが今の僕の仕事です。」
そう語る佐竹さんの視線は、単に自分の家の存続だけを見ているのではない。 「会津本郷焼という産地全体をもっとグレードアップさせたい。全国にある焼物の里と切磋琢磨しあって、世界の焼き物ファンが『会津の器が欲しい』と言ってくれるような場所にしたいですね。」
佐竹さんが未来へ繋いでいきたいものは、世界が求める会津本郷焼だ。
かつて100軒あった窯元は、今は12軒になった。しかし、それは衰退ではない。残るべくして残った精鋭たちが、それぞれの個性を研ぎ澄ませている証だ。
ギャラリーを出ると、会津の空は高く、澄み渡っていた。 白磁の冷たさの中に、手描きの温もりと、尽きない遊び心を宿して。富三窯の炎は、静かに、しかし力強く燃え続けている。 その筆先から生まれる青は、会津本郷焼の次の100年を染め上げていくのだろう。