自身を映すまっさらな白磁 ── 一生をかけて追い求める、美しくたくましい「頂点」

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田崎宏

Hiroshi Tazaki

会津 [福島県]

田崎宏(たざき・ひろし)
福島県会津美里町本郷出身。自動車会社に勤務していたが、ものづくりを志し父の窯元・草春窯の跡を継ぐ。先代の絵付けの器から大きく脱却し、独自の白磁のシリーズを作り始める。その作風の違いから、自身の作品のラインを「工房爽」と位置づけ、展示会・個展を中心に活動中。

陶器・磁器、絵付け・釉彩と多種多様を極める会津本郷焼の中にあって、白磁一筋の窯元がある。元は大手自動車メーカー勤務で、部品の製造加工機械の組み立てをしていたという田崎さん。草春窯先代の父と、親子で全く異なる作風に、本郷焼の懐の深さが垣間見える気がした。窯元を継ぎ、さらに白磁へと至った経緯を詳しく伺った。

ポッコン、ポッコン。量産の虚無と凄み

会津本郷のメインストリートから一本入った路地に、その工房は静かに佇んでいる。 木枠のガラス戸を開けると、そこはまるで現代アートのギャラリーのように静かで穏やかな空間だった。 無垢の木の棚に整然と並ぶのは、透き通るような白磁の器たち。 凛としたティーポット、有機的な曲線を描く花器、そして光を透過するほど薄く繊細に見えるカップ。

「草春窯(そうしゅんがま)」の二代目であり、自身のブランド「工房爽(こうぼうそう)」を展開する田崎宏さん。 彼は、作業場の梁に懸垂機を取り付け、日々体を鍛えるストイックな陶芸家だ。 「美しく、たくましく」 そう笑う彼の白磁には、一人の人間が巨大な「組織」を飛び出し、「個」として生きる覚悟を決めた、静かなる熱と論理が宿っている。

田崎さんが陶芸の道を選んだのは、最初からではない。むしろ、高校時代の彼は家業である陶芸には全く興味がなかった。 「親父が何かやってるな、くらいのもので。継ぐ気なんてさらさらなかったですね。」 彼が進路として選んだのは、埼玉県にある大手自動車メーカーへの就職だった。 配属されたのは、生産技術の部署。一つの部品を量産するためのラインに入る製造加工機械を組み立てて、精度を出す仕事だ。

「ボタンを押すと、ポッコン、ポッコンって部品ができていくんです。30秒とか1分の世界で、次から次へと先の行程へ送られていきます。」 日本の製造業が誇る、極限まで効率化された世界。1ミクロンの狂いも許されない精度管理。 「すごい技術なんですよ。あの徹底的な品質管理があるからこそ、僕らはランボルギーニみたいな値段じゃなく、手頃な価格で高性能な車に乗れるんです。」 田崎さんは、量産技術への敬意を隠さない。しかし、その巨大なシステムの一部として働く中で、同時に自分自身の心の中に広がる「虚無」にも気づいてしまった。

「部品は、次の工程に流れていくだけ。僕はその一部分しか担当していない。」 自分は巨大なシステムの中の歯車の一つに過ぎない。全体像が見えないまま、ただひたすらに精度を出し続ける日々。そんな時、ふと思い出したのが実家の家業だった。 「焼き物なら、全部自分で完結できる。」 形を作り、削り、釉薬を掛け、焼き上げる。その全ての工程に自分の意志を反映させ、全責任を負うことができる。 それは、究極の「自由」と「責任」の世界だった。 彼は埼玉を離れ、再び会津の土を踏む決意をする。

父の「絵付け」を捨てる勇気。「工房爽」の誕生

実家である「草春窯」は、田崎さんの父が43年前に立ち上げた窯だ。 父は民芸磁器の巨匠・瀧田項一氏に師事し、絵付けを得意としていた。 田崎さんも戻ってきた当初は、父と同じように絵付けを試みた。見よう見まねで筆を持ち、模様を描く。 しかし、窯から出てきた器を見て、クオリティの低さに苦しい気持ちになった。 「これでお客さんからお金をもらっちゃまずいよね……。」そんなことが続き、思い悩んだ末にある時決断する。「絵付けを一切やめて、白磁だけで展示会をしてみよう。」

それは大きな賭けだった。草春窯といえば絵付け、というイメージを持つ顧客も多い。 しかし、結果は驚くべきものだった。 「お客さんが、しっかり自分の作品を見てくれるようになったんです。」 絵付けという「装飾」を削ぎ落としたことで、彼がこだわり抜いた「フォルム」や「釉薬の質感」が、ノイズなくダイレクトに伝わるようになったのだ。 父の「草春窯」とは違う、自分だけの表現。 彼は自身のブランド名を「工房爽(こうぼうそう)」と名付け、白磁の陶芸家として歩み始めた。

田崎さんの白磁の特徴は、ほのかに青みを帯びた透明感のある白だ。 「釉薬自体が少し青みがかっていて、溝に溜まると青に深みが出て、他の部分とのコントラストが綺麗なんです。」 その美しさを際立たせるのが、「鎬(しのぎ)」と呼ばれる削りの技法だ。 乾燥させた素地を彫刻刀で削り、稜線を作る。光が当たると陰影が生まれ、器に立体感が宿る。

しかし、彼の「しのぎ」には独特の難しさがある。 「僕は、完全に乾いてから彫るんです。」 通常、土が半乾きの状態で削ることが多いが、田崎さんは水分が飛びきった状態で刃を入れる。 「半乾きだと、削った後にさらに乾燥して縮む時に、表面積のバランスが崩れてひび割れのリスクがあるんです。だから、安全策として完全に乾いてから彫るんです。」 カチカチに乾いた土を彫刻刀で削る。その硬質な手応えと、一瞬の気の緩みで割れてしまう緊張感。それはまさに、磁器との対話だ。

また、彼のこだわりは道具選びにも表れている。 例えばティーポットの注ぎ口。 「下膨れの可愛い形にしたいけれど、そうすると茶葉が詰まりやすい。だから茶こし部分は上に持ってきたい。でも、注ぎ口のバランスが……」 機能とデザインの矛盾を解決するために、彼は焼き上がった後の硬い磁器を、ダイヤモンド工具を取り付けたディスクグラインダーで削って注ぎ口の角度を決めた。 「道具として使いにくくてはしょうがないですから。」

注ぎ口の角度を、コンマ数ミリ単位で削り、水を注いで確かめる。 その姿は、陶芸家というよりも、かつて自動車部品の精度を追求していた「エンジニア」というべきだろう。 使いやすさと美しさの両立。それは感覚だけで作られるものではなく、緻密な計算と検証の積み重ねによって生まれるのだ。

偶然が生んだ「TESOROの娘(こ)」抽象と具象の狭間で遊ぶ

工房の一角に、不思議な存在感を放つオブジェがある。 女性のトルソーのような、滑らかな曲線を持つ花器。その一部に、別の焼き物のかけらが埋め込まれている。 「これ、『TESORO(テソロ)の娘』って呼んでるんです。」

3年前、福島市での展示会へ向けての搬入日、夜に地震が起きた。陳列していた作品が棚から落ち、欠けてしまった。 「hitogata(ひとがた)」と名付け、一体ずつろくろで挽き、個性を吹き込んだ愛着ある作品たち。バラバラに砕けたわけではないが、商品としてはもう出せない傷がついた。 「でも、捨てることはできなくて。 直すんじゃなくて、生かす方法はないかと考えました。」

そこでかねてより親交のある、会津本郷焼のジュエリーブランド「TESORO.accessory」の渡部未来さんに傷ついた自分の作品を託すことにした。

「過去の本郷焼のかけらと、僕の作品が融合して、新しい命になった。」 欠けた部分に埋め込まれたのは、かつて誰かが使い、割れてしまった古い器の破片。それが、宏さんの現代的な白磁と融合し、世界に一つだけの景色を作り出した。 傷ついたことを隠すのではなく、歴史の一部として受け入れ、さらに美しく昇華させる。今も数体、渡部さんの元へ「入院中」だというこの「TESOROの娘」シリーズは、ものづくりの     枠を超えた、産地ならではの絆の物語でもある。

田﨑さんの作品は、硬質な磁器でありながら、どこか有機的な柔らかさがある。 ある時は植物のように見え、ある時は生き物のように見える。 「これ、何に見えますか?」 彼が差し出したのは、渦を巻いたような不思議なオブジェ。 後ろから見ると、猫が座っている背中のようにも見えるし、触角のような突起を見るとカタツムリのようにも見える。

「猫派の方は『猫だ!』って言うんですけど、僕の中ではカタツムリに見えちゃって。ちょっと艶っぽいから、艶っぽいカタツムリで、『艶蝸(えんか)』って名付けました。」

あるいは「月桃(げっとう)」と名付けられた作品。 「月明かりに浮かぶ桃」という詩的なイメージだが、その曲線は生命の温かさを感じさせる。

「名前をつける時は、パッとはまる言葉が降りてくるのを待ちます。」 最初は仮のタイトルをつけておき、時間が経ってから「やっぱりこれだ!」と確信する瞬間を待つ。

 彼の作る形は、すべてろくろから生まれる。回転体という制約の中で、いかに有機的な、生命力を感じさせるラインを生み出すか。 

この章の冒頭の写真に写る「hitogata」シリーズも、高さを揃えて量産するのではなく、一体一体ろくろを挽き、それぞれの個性に合うように削り出している。 「お人形さんを作りたいんじゃない。生身の一人一人を作りたいんです」

白磁という無機質な素材を使いながら、そこにあたたかな体温や、生き物の息遣いを封じ込める。 その抽象と具象の絶妙なバランスこそが、田崎宏という作家の真骨頂であり、見る者を惹きつけてやまない理由なのだ。

「美しく、たくましく」 田崎さんが掲げるモットーは、単なる精神論ではない。 彼の作る磁器は、繊細に見えて驚くほどタフだ。 「磁器の特徴として、水が染み込まないんです。だから茶渋がついても漂白剤で落とせるし、電子レンジでもガンガン使えます。」 毎日ガシガシ使ってもびくともしない。それはまるで、懸垂で鍛え上げた彼自身の肉体のような、機能美と強度の融合だ。 「お客さんには、日々の生活の相棒として、遠慮なく使ってほしいんです。」

未来へ繋いでいきたいものは何か?

田崎さんが未来へ繋いでいきたいものは、昨日の自分を超え続けながら、生涯をかけて頂点を目指す、職人としての在り方だ。

「これで完成形って思っちゃったら、ものづくりとして終わりだと思うんです。」 10年前の作品を見れば、未熟だと感じる。今の作品も、10年後には現在の自分の未熟さを知るだろう。 「仕事を始めた時から到達すべき頂上は見えていて、そこにたどり着く為に仕事をしてはいくものの、何年たっても頂上との距離は縮まらない。でもふと振り返ると、結構高度が上がっている。それがものづくりだと考えています。」

満足することはない。常に昨日の自分を超えていく。 それは、かつて自動車工場のラインで感じた「完成されたシステム」へのアンチテーゼであり、全責任を負って自分の手で生み出すことへの尽きせぬ情熱だ。

今日も彼は、工房で土と向き合い、削り、そして懸垂機で体を持ち上げる。 その背中は、誰よりも自由で、誰よりも厳しい「個」としての生き様を語っていた。 草春窯・工房爽の器。 それは、組織を飛び出した一人の人間が、自らの筋肉と知性で勝ち取った、輝ける自由の結晶なのだ。