時の止まった窯で、最後の一品に出会う──未来へとつなぐ『かやの窯』の軌跡

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鹿目郁子

Ikuko Kanome

会津 [福島県]

鹿目郁子(かのめ・いくこ)
福島県会津美里町本郷出身。両親が営んだ窯元・かやの窯で、残された作品たちを販売しながら窯の歴史や器の技法など、その魅力を伝えている。お気に入りの器はコーヒーカップやそば猪口。口当たりの良さと持ちやすさが気に入っている。かやの窯の顔として、会津本郷焼せと市や、向羽黒山城跡ふれあい茶会など、イベントにも精力的に参加している。

会津本郷の小路の一角に、風情ある水車小屋がある。石を砕き磁器土を作ることから始まった「かやの窯」の歴史。陶工として器づくりをしていた父亡き後、その歴史と魅力を語り継いでいるのが娘の鹿目郁子さんだ。両親の遺した「筆がけ」の器、売れ筋の移り変わりやイベントの変化。職人ではない彼女の目に、会津本郷焼はどう映るのか。詳しく伺った。

水車が生んだ窯元─器に遺る両親の軌跡

会津本郷のメインストリート、瀬戸町通り。かつては焼き物の市が立ち、多くの人で賑わったこの通りから少し入ったところに、「かやの窯」はある。 店に入ると、そこには独特の空気が流れている。どこか懐かしく、静かなひととき。 並べられているのは、淡い中間色や渋い色合いの、力強い器たち。これらはすべて、今は亡き先代夫婦が残したものであり、もう二度と新しく作られることはない。

「父は今生きていたら105歳かな。83歳で亡くなりました。ここにあるのは、父と母が二人三脚で作った、最後の作品たちなんです。」

店番をする娘の鹿目郁子さんは、穏やかにそう語る。 ここは、止まった時間の中で、最後の一品との出会いを与えてくれる場所だ。

かやの窯の歴史は、決して古くはない。鹿目さんの父が、戦後しばらくしてから始めた窯だ。 鹿目さんの実家、佐藤家は、この裏手にある川沿いで水車を回し、会津本郷焼の原料となる「大久保陶石」を砕いて粘土を作る製土業を営んでいた。

「父は戦争に行って、帰ってきてから焼き物を始めました。母も一緒に、二人三脚でね。」 当時は、夫がろくろを回し、妻が絵付けや釉薬を担当するという分業が一般的だったが、かやの窯は少し違った。 「母も形を作るし、父も絵付けをする。二人で一緒に作っていたんです。今思えば、珍しいことだったのかもしれませんね。」

店内に並ぶ大壺や花器、そして日常使いの茶碗。そのどれを見ても、作り手の迷いのない手つきが感じられる。 特に目を引くのは、「手びねり」で作られた大きな作品たちだ。ろくろを使わず、粘土を紐状にして積み上げ、指で形を整えていく。そのごつごつとした肌触りには、土を愛し、土と共に生きた夫婦の体温がそのまま残っているようだ。

かやの窯の最大の特徴は、その独特な色彩にある。 多くの窯元が釉薬の中に器を浸して色をつけるのに対し、ここでは「筆がけ」という技法を多用した。 調合した釉薬を筆にたっぷりと含ませ、器の上から豪快に、あるいは繊細に流し掛ける。

「最初に筆を置いたところは濃く、流れた先は薄くなる。その濃淡が、窯の中で溶けて複雑な景色になるんです。ザブンと浸すやり方と違って不思議な模様でしょ?」 鹿目さんが指差す器は、同じ釉薬を使っていても、一つとして同じ表情のものはない。 筆の勢い、釉薬の濃度、そして炎のいたずら。すべての偶然が重なり合って生まれた「ムラ」こそが、かやの窯の味であり、現代の均質な製品にはない魅力だ。

また、土そのものに含まれる鉄分が吹き出し、表面に斑点のような模様が浮かび上がった器もある。 「この模様も狙ってできるものじゃないから、面白いんですよ。」 人工的なコントロールを超えた、自然への畏敬。それが、この窯の作品に宿る力強さの源泉なのだろう。

失われゆく「五つ揃い」の食卓

鹿目さんと話していると、話題は自然と「時代の変化」へと移っていく。 かつて、かやの窯の主力商品は「五つ揃い」の茶碗や湯呑みだった。 「昔は、お客様が来たら5人分揃っていないと恥ずかしい、という時代でしたから。急須もお茶碗も茶托も、全部セットでね。」

しかし今は、核家族化が進み、個食の時代となった。 「もう5つもいらないわ、って言われます。自分の好きな色を1個ずつ、あるいは家族で間違わないように色違いで買っていかれる方が多いから、箱から出して並べちゃうこともあるんです。」 少し寂しそうな、でもどこか達観したような鹿目さんの横顔。 それは、単に器が売れなくなったという話ではない。家族が揃って食卓を囲み、同じ柄の茶碗でご飯を食べる。そんな日本の原風景が、少しずつ消えていくことへの静かな哀惜のようにも聞こえた。

それでも、店には熱心なリピーターが訪れる。 「昔、せと市で買ったんだけど、割れてしまって。同じものはありませんか?」 そう尋ねる客に、鹿目さんは申し訳なさそうに、でも誇らしげに答える。 「同じものは、もうないんですよ。その時の窯の具合で、全部違いますから。」

会津本郷焼の夏の風物詩、「会津本郷焼せと市」。 毎年8月の第一日曜日に開催されるこの陶器市は、かつてはこの瀬戸町通りの両側に露店がびっしりと並び、夜明け前から人が押し寄せるほどの熱気に包まれていた。

「昔はね、通りにゴザを敷いて、その上に直接器を並べて売っていたんです。私も高校生の頃から手伝っていました。」 鹿目さんの記憶の中にあるせと市は、土埃と活気に満ちている。 しかし近年、会場は広場へと移り、テントとテーブルが並ぶ整然としたイベントになった。 「アンケートを取ると『広場の方が歩きやすくていい』という声も多いです。でも、昔を知る人は『あの通りの雰囲気が良かったのに』って。道路に店を出すから許可取りとか大変なんでしょうね、きっと。」

時代の流れには逆らえない。それでも、鹿目さんは毎年、蔵に残された作品を箱から出し、新しい会場へと運ぶ。 「器に賞味期限はないですからね。頑張って売るだけです。」 その冗談めかした言葉の裏に、両親が残した作品を、一人でも多くの人の手に渡したいという切実な願いが見え隠れする。

娘が受け継ぐ、続いていく店番家業

鹿目さん自身は、職人ではない。 「職人さんがきていた時期もあったんですが、今はもう誰もいません。私が仕事を辞めたタイミングで、店番をするようになりました。」

彼女は、自分では器を作らない。だからこそ、蔵にある器がなくなれば、かやの窯の物語はそこで終わる。 それは一見、悲しいことのように思えるかもしれない。しかし、鹿目さんの表情に悲壮感はない。

「コーヒーカップも、もうこの形しか残っていないんですよ。」 そう言って見せてくれたのは、口が広く反り返った、少し変わった形のカップ。 「これね、飲みやすいんですよ。私も普段使っています。」 自分自身が一番のファンとして、作品を愛で、使い、その良さを訪れる人に伝える。それが彼女の役割だ。

店には、皿や湯呑み、大きな壺や、茶道具などが所狭しと並んでいる。 「自由に使ってくださればいいんです。この建水なんか、花を飾っても素敵でしょ?このお皿もね、お刺身を盛ってもいいし、お新香を入れてもいい。丈夫ですから。」

父母が土に込めた魂は、娘の手を通して、誰かの日常へと旅立っていく。 在庫は減っていく。でも、それは「消滅」ではない。会津本郷の土が、形を変えて、様々な場所で生き続けるということだ。

未来へ繋いでいきたいものは何か?

「会津本郷焼の未来? 若い人たちが頑張っていますから、きっと大丈夫ですよ。」 鹿目さんは、自分たちの窯の終わりを嘆くのではなく、産地全体の未来を温かく見守っている。 「この町は、水もきれいだし、人も温かい。住みやすい良いところです。」

鹿目さんが未来へ繋いでいきたいものは、本郷焼という文化を育んだ、会津美里の町そのものだ。

かやの窯の暖簾をめくって、外に出る。 瀬戸町通りは静かだが、どこからか新しい風が吹いている気がした。 歴史ある窯元がどっしりと構え、新しい窯元が生まれ、個性を発揮する独立作家がいて。そしてかやの窯のように、歴史の証人として静かに佇む店がある。 そのすべてが、会津本郷焼というモザイク画を構成する、欠かせないピースなのだ。

もし、あなたがここを訪れるなら、急いだ方がいいかもしれない。 そして、もし気に入った器に出会えたなら、迷わず連れて帰ってほしい。 それは、もう二度と生まれない、世界にたった一つの「瞬間」そのものなのだから。